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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

横江駅の伝言板

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地鉄のいくつかの駅には伝言板が現役で存在する。
といっても駅員がいない駅ばかりなので、書いたらそのままである。
時間によって消す人もおらず、場合によってはチョークも無い。
大昔の、まだ人が駅にいた時代の名残である。
伝言板は古く、人偏の古い時代の文字である。
傳言板とかいてある。
横江駅は長く無人駅で、チョークもない。
もはや書く人も居ない存在である。

撮影日 2020年02月16日
  1. 2020/02/21(金) 23:42:03|
  2. 地鉄
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神通川第一ダム横の廃トンネル

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古い時代、飛越越えの際は庵谷の峠を越えるか神通川沿いに移動するかであった。
大正時代、神岡軌道は神通川沿いをセレクトし、国鉄は庵谷をトンネルで抜ける道を選んだ。
現在、国道41号線は庵谷峠をトンネルでパスし、神通川沿いの道は通行止めの多い道となった。
神通川第一ダムは国道41号線庵谷峠の近くにある。
1954年に竣工した戦後のダムで、神一ダムと呼ばれている。
この横を通る道に、廃トンネルがある。
新し目のトンネルでいかにも昭和の建設といった感じだ。
銘板はないので名称は不明だが、片掛トンネルとか神一トンネルとかそんな名前なのだろうか。
写真は国道41号線側の入り口だが、コンクリートでガッチリふさがれている。
こちらは新しいので出来て10年以上20年未満といったところか。
上側は鉄柵で封鎖されておりかなり厳重である。
写真奥の道を使うことになるが、別段良い感じに拡幅されているわけでもない普通の道である。


200215haitonneru.jpg

反対側の入り口である。
同じように封鎖されている。
ポータル周辺の巻きよりもひと回り小さいトンネルになっているのが見て分かる。
ぽつぽつ穴が開いているのはサンプル用の穴なのか別の目的なのか。
お地蔵さん用らしいくぼみがあるが、撤去されてしまっている。
道沿いに側溝があったのだが土砂崩れで埋まっており、もともと道だったところを川にして流している。
両トンネルは直線距離で200メートルほどしかなく、今の道でも別段不自由はなさそうだ。
航空写真を見てもこの立派なトンネルの活躍した時期がいまひとつ分からない。
ダム以降のものと思われるが、何故作られそして廃止されたのか。
あるいはダム用の何らかのトンネルだったのか。

撮影日 2020年02月15日(すべて)
  1. 2020/02/20(木) 23:55:49|
  2. 道・橋・隧道
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小杉駅日本セメント専用線の上屋

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北陸本線時代の小杉駅からは専用線が延びていた。
距離は短く専用線というより引込み線である。
最後まで残ったのは日本セメントの専用線である。
まだ太平洋セメントに名前が変わる前で、アサノセメントを大書きした車が出入りしていた。
列車が来なくなった後も、スイッチャーが入っていた小屋はしばらく現存していた。
それも無くなり、今は空き地だ。
かつては敷地に侵入するものも居たのだが、そのせいか柵ができている。
鉄道時代を唯一しのぶものが上屋である。
車両一つ分程度のもので、セメントを積み込んでいたらしい小屋に繋がっている。
どの程度設備が生きているかは不明だが、少なくともこの上屋は不要の存在のはずである。
越中大門の貨物ホームがここ最近変わったように、いつもそのままの設備もいつか突然変わってしまう。
この設備もいつまで残ることか。

撮影日 2020年02月14日
  1. 2020/02/19(水) 22:37:53|
  2. 廃線など
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砂防軌道の廃トンネル跡

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地鉄の有名撮影地である千垣橋梁。
この近くにトンネルが眠っている。
トンネルの真向かいは常願寺川で、つまり崖である。
かつては橋があり、このトンネルの向こう側、つまり右岸と繋がっていたのだろう。
トンネルのポータルは古めかしく、普通乗用車の幅しかない。
意匠からして大正時代から昭和初期にかけてのものだろう。
幅は狭いがどこか鉄道らしさを感じさせる。
古地図を当たってみると、どうやらかつて存在していた砂防用軌道のものと見られる。
地鉄の立山線がまだ戦時統合を受けるずっと前、富山県営鉄道は千垣駅が終点であった。
ここから先、常願寺川を鉄橋で渡って伸びていたのは砂防用の軌道である。
千垣駅横を基地として、すぐに川を渡った後は左岸を進み、そしてスイッチバックに繋がる。
千垣駅は大正12年に開業し、昭和12年の粟巣野駅開業で途中駅となっている。
千垣橋梁もこのときに架橋された。
立山砂防事務所公式ページには大正15年着工で、昭和4年に現在の千寿ヶ原~樺平(旧ルート)が開業とある。
読む記事によって年代が異なるが、おおむねその頃と思われる。
飛んで戦後の地図には地鉄の千垣鉄橋しか記載されていない。
ただ軌道と地鉄のルートは同じようなものなのである。
立山線にいくつかある小さなトンネルの廃墟は写真のトンネルと同じ役目だったのではなかろうか。
生憎資料が手元に無いので詳細は不明である。
立山線が粟巣野や立山まで延伸した際に、砂防軌道がどうなったのかはいまひとつ分からない。
昭和40年代には道路も整備され、近くに芳見橋が架橋されている。
もし道路に転用されていてもその頃には役目を終えていたのだろう。
ちなみにこのトンネルは貫通状態で残っているが中は様々なバリケードがあり、抜けた先は民有地である。

撮影日 2020年02月16日
  1. 2020/02/18(火) 23:49:36|
  2. 廃線など
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楡原駅の埋められたトンネル

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高山本線の小駅楡原駅。
笹津と猪谷という比較的重要駅の間にある小さな駅である。
といっても駅前は細入村の役場等々重要拠点がある。
古の時代は貨物ホームのほか、対面式のホームを有する交換駅だった。
今は片面ホームの無人駅となっている。
かつて、対面式だった時代は跨線橋ではなく、地下道で対向ホームに移動していた。
北陸本線すら構内踏切が存在しているというのに、贅沢な話である。
楡原駅は高台にホームがあり、駅舎からは階段でアプローチする。
その階段の隣に地下道の入り口があった。
今も入り口はそのまま残っているが、丸いトンネルはガッチリ埋められている。
実に勿体のない話だ。
屋根や階段もそのまま残るが、撤去するのも面倒くさいのかそのまま残されている。
目の前でポートレートでも撮れば怪しい雰囲気になること間違い無しである。

撮影日 2020年02月15日
  1. 2020/02/17(月) 22:26:09|
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