FC2ブログ

富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

北陸本線黒部川橋梁旧線

北陸本線黒部川橋梁は生地駅の直江津寄りにある。
1910年の泊駅開業時に完成したトラス橋であった。
橋の全長は2448ftで、開業時において国内トップクラスの長さであった。


170326kuro1.jpg

生地駅より直江津よりの飛騨踏切である。
この周辺で線路が分岐していた。
写真後ろの線路沿いには丸い石が使われており、コンクリートを使う現在の鉄道線構造物と異なる。
旧線時代の線路の端と思われる。
写真右手に旧線が延びていた。
新線は当時あった引込み線の関係だろうか、今よりも緩やかなカーブになっていて、外側を走る。
旧線は生地駅を出ると築堤を駆け上がって黒部川の堤防に上がっていたが、かなり早い段階で田んぼに戻されており遺構は無い。


170326kuro2.jpg

黒部川右岸より左岸の米原富山方向を見る。
この地点から橋梁が架けられていた筈であるが遺構は見当たらない。
堤防はかさ上げされているようで、こちらのほうにも特別な遺構は無い。
明治時代の黒部川の写真を見ると、今ほど堤防は高くなかったようだ。
右岸では新線と旧線が接近するが、左岸ではカーブの関係上少し離れていた。
新線は複線トラスのどっしりしたもので、1964年の製造である。


170326kuro3.jpg

橋梁の直江津方には若干の遺構が現存する。
写真の第1高畠橋梁跡が第一の遺構である。
富山方の橋台は存在しないが、直江津側については現存している。
橋台がコンクリートであるため、開業時に作られたものではなく、後に付け足されたものであろうと推測する。
あるいは改修工事で橋台のみコンクリートとなったのか。
築堤のよう壁は四角の石を組み合わせたタイプである。
このタイプの擁壁は地域によって若干の差があるが、ここのは特徴に乏しいものである。
このあたりには国鉄境界杭が残されていて、築堤横の道も厳密にはあい鉄のもののようだ。


170326kuro4.jpg

少し行った先にあるのが高畠第2橋梁である。
新線は2スパンだが、旧線は1スパンだったのかそれとも橋脚を撤去したのか。
こちらも橋台はコンクリート製である。
橋台は根元が少しせり出しており、垂直ではない。
擁壁も先ほどと同じく石造りである。
旧線と新線が接近しているため、新線側は築堤が撤去され、コンクリートに囲まれて新線と融合している。
新線は1964年の夏ごろに作られたようだ。
1972年の航空写真を見るとこ、この橋梁より直江津よりの築堤上で新線と旧線は合流していたようだ。


170326kuro5.jpg

合流後に最初に通過する本村架道橋である。
海側からの撮影であるが、どちらにもコンクリート製の橋台がついている。
銘板を見ると、他の場所の構造物より若干遅く、1964年の末から1965年初にかけて施工されている。
ここがよくわからないが、新線切り替えの最中に旧線に接触するこの場所も工事をしたと言うことなのだろうか。
あるいは旧線は写真奥に存在し、撤去されてしまったのか。
しかし本村架道橋付近の境界杭は前出2つの遺構周辺の場合と異なり現在の築堤に沿っている。
少し面倒な切り替え工事をしたのかもしれない。

この区間が複線化されたのは1965年の春で、夏には電化も行われている。

撮影日 2017年03月26日(すべて)
スポンサーサイト



  1. 2017/03/27(月) 01:13:59|
  2. 廃線など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<C20-41790 | ホーム | タキ52610>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://toyamahatsu.blog.fc2.com/tb.php/1351-7c2fed07
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)