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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

小牧ダムのコンベア跡

庄川流木争議というのがある。
庄川流木事件とかとも言われ、割と有名な事件なのでいろんな資料があるのだけれども簡単に言うと利権争いである。
代々庄川を使って木材を流してきた業者と、ダムを建設する業者が対立したのである。
ダムが出来ると水の流れがせき止められて木材を流せない。
木材を流す利権がなくなると木材側が訴えたのである。
県・電力は解決策としてダムがあるところだけ別の手段で木材を運び、また川に流すと言うことにした。
それでも利権がなくなる側はもめたのだが、木材を岐阜県側に輸送することで話は決着した。
その決着するまでの間、ダム側が建設し運用していたのが小牧ダムのベルトコンベアである。
上流から流れてきた流木をコンベアを使ってダムを超えて、先にある鉄道のホームにまで送り込むのだ。
この遺構が今も残っている。


170324beruto1.jpg

小牧ダムは大正15年に着工許可を得て、昭和5年にたん水がおこなわれている。
このときからこの水位が道の基準となったわけだ。
写真は小牧ダムの上から上流を向いたところである。
左側が木材を引き上げる側のコンベア跡である。
右側の岸壁が段々になっていて、かつて何かあったことを示している。
流木を維持管理していた頃はここから人が降りたりしていたのだろうか。
今は流木やら石やらがおいてあってごちゃごちゃしている。


170324beruto2.jpg

コンベアーの引き上げ側の遺構である。
このアングルの写真は、けっこういろいろな人が撮影している。
見ての通り今はローラも何もなくコンベアとしての機能は無い。
スロープにはスリットが入っており、昔はコンベアだったことを伝えている。
コンベア遺構の上にある建物は現役当時存在しなかったようだ。
コンベアの足元にはしけをおいて、そこで木材を集めて流していたようだ。
小さな装置に見えるが、建設中も木材を運んでいたので、この下にも当然スロープがある。
壮大な装置だがもはや見ることは出来ない。


170324beruto3.jpg

ダムの上を歩いてコンベアのあった場所を見る。
コンクリート壁がここだけ段差になっている。
また、地面にはしっかりとラインが入っている。
コンベアを撤去した後、切り欠けを綺麗に埋めたと言うわけだ。
埋められたほうにだけコケがたくさん生えていてなんだか意味深である。
コンベアはダムに対して直角ではなく、斜めに作られていたことがわかる。
木材置き場との位置関係を考えると仕方ないのだろうか。
現役時はこの場所に建物があったようだ。
ダムの上にコンベアがあるのに人はどうやって移動していたのだろうか。


170324beruto4.jpg

コンベアのあった場所から真下を見たのがこの写真である。
写真中央の建物の左側にあるのがコンベアの基礎のひとつである。
鉄骨をもぎ取った跡が今も残っている。
そして写真中央に左手に木材を置き、スロープを転がして下部の踊り場で貨車に積み込んでいた。
スロープ上にある基礎は、当時あった建物の基礎のようである。
スロープは写真の通り今も残っている。
ただ、貨車への積み込み場所はなくなっており、ホームなどもない。
貨物駅は今の平場となっているところで、写真右手となる。
よく見かける木材積み込み場所の現役の頃の写真は、ここより右側で撮影されている。


170324beruto5.jpg

156号線の横から、小牧ダムを撮影した写真。
この場所はガイシではないかと思われる破片が敷き詰められた広場になっている。
ダムの出っ張りはコンベア支柱の基礎のひとつである。
この場所と荷揚げ場の間はかなりの坂だが、観光鉄道時代はどこから人を上げたのだろう。
時刻表を見ると、だいたいこの駅と遊覧船の時間は20分ほど取られているようだが。
ここで積み込んだ貨車がそれぞれの町へと向かうと思いきや、発電所を通り過ぎた後でまた川に放り込む。
これは用水の利権が絡んでいるからで、木材は青島で引き上げられてそこから鉄道に乗せて運ばれた。
それが木材価格に転嫁されるのだから馬鹿馬鹿しいのだが当時の人々は大真面目にそれぞれの利権やら生活やらを守ろうとしたのだろう。
いや、なんとなくなこういう感じの非合理さは今でもやっている気もする。

この装置だが基本的に冬のみ稼動した。
そして岐阜側に搬出する用意が整うと徐々に使われなくなった。
ついでに木材側が輸送能力を破壊する目的で多量に伐採したため、翌年からの数が減ってしまった。
等の理由から昭和14年には接続側の鉄道が廃止される。
施設がいつまで残りいつまで稼動したかは不明だが、昭和18年に当時の県知事が富山港への転用を申し出ている。
戦時中まったく使っていないこのコンベアを視察して無駄だと思ったわけである。
立派な装置だが、活躍を見るとなかなか不遇だったのではないかと思う。

※注釈
石動駅から庄川町まで砺波鉄道が存在した。
(砺波鉄道は戦時大統制を経て加越能鉄道となり、昭和47年に廃止されている)
終点の庄川町(当時は青島)から、小牧ダムの建設のため庄川水電が鉄道を敷設していた。
庄川左岸沿いに建設され、小牧ダム直下(写真4枚目)に終点が存在した。
ダム建設資材の輸送後は木材輸送と観光輸送のために残された。
しかし観光輸送は振るわず木材輸送も減ったため昭和14年に一部区間が廃止された。
戦後この路盤を生かす計画も立てられたが頓挫している。
機関車はそれぞれ北陸の鉄道に払い下げられたがすべて解体され現存しない。
廃線跡は道路転用などされていて歩けるところもある。

撮影日 2017年03月24日(すべて)
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  1. 2017/03/24(金) 23:56:10|
  2. 廃線など
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