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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

EF510の側面汚れ

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北に向かって走っていくEF510-505電気機関車。
かつては北へ行くブルートレインの先頭に立った花形であるが、今はもっぱら裏日本で地味な貨物運用に就く。
北陸筋で働く電気機関車は汚れていることで知られる。
EF81もそうであった。
汚れを見てみると車体側面にまで落ちる茶色系のものが目立つ。
車両の走行に沿って流れているのだろうが斜めだ。
よく見ると北側に流れている汚れのほうが多い。
つまり南に向かって走っているときの汚れが目立っているといえる。
だが機関車なので両方の方向に運用を持っているはずだ。
何かこちら側にのみ汚れが集中してしまう理由があるのだろうか。

撮影日 2018年5月12日
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  1. 2018/05/31(木) 23:49:07|
  2. 貨物
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北鉄8000形の窓ロック

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昔は窓が開いた電車も今では全然開かなくなってしまった。
かつては下側が開いたのに今は上だけという車両もある。
北陸鉄道浅野川線の8000形はもう全然開かない。
妻面の窓も開いたはずなのだが今は開かないようになっている。
側窓は写真のようにロック部が使えなくなっている。
つまみを動かすのだがそのつまみがない。
下に相手側があるのでつまみの部分だけを取っ払ったのか。
安全を考えれば仕方ないことか。
京王3000形の時代からこうなのかは不明である。

撮影日 2018年05月13日
  1. 2018/05/30(水) 23:13:51|
  2. 北鉄
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地鉄寺田駅の看板

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富山地方鉄道寺田駅は現在の地方鉄道には珍しい三角分岐駅である。
昔はデルタ線だったのだからさらに珍しい。
中央部の非常にレトロな待合所はもう使われておらず、今はコレジャナイ感じにリフォームされた駅舎だけが使われている。
待合所の横には地鉄の全盛期をうかがわせる設備が盛りだくさんである。
ここには地鉄沿線ではそんなに多くない電光式の看板が設置されている。
がなぜか裏側を向いている。
どれもこれも古そうなものだ。
なぜ裏側を向けられているのだろう。
もちろん夜になっても電気は入らない。
契約が切れてしまったのだろうか。
撤去が面倒だがもう掲示することもないのでとりあえず裏にしているのか。
たまにこういう看板を見るがなんともいえない。

撮影日 2018年05月04日
  1. 2018/05/29(火) 23:49:54|
  2. 地鉄
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鶴来のバス車庫

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以前、加賀白山バスの本拠地は鶴来駅横だった。
ここに所属するバスが能美や白山山中へと路線を持っていた。
南部などに昼寝する車などを除いて、ほとんどがここに戻ってきていた。
先の大規模な移動で、加賀白山のバスは南部車庫に移った。
そんなわけでここはガラガラである。
おなじみのレインボーが昼寝をしているが、他は何も居ない。
もう一つの駐車場も今は完全に従業員駐車場になっていた。

撮影日 2018年05月27日
  1. 2018/05/28(月) 20:09:50|
  2. バスとか
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旧加賀一ノ宮駅レール撤去

180527tsurugi1.jpg

北陸鉄道加賀一ノ宮駅は石川線の終着駅で、金名線廃止以降は文字通りの終点であった。
2009年秋に廃止してからは、ホーム上屋が撤去されるなどしたが、他はそのままとされていた。
2016年に途中区間のレールが道路に転用され、いよいよ孤立した状態であった。
最近、ついにレールや関係設備が撤去された。
2016年の記事(リンク)と比較すると、その変化がわかる。
レールだけでなく架線柱なども撤去され、砂利で舗装された。
現在はまだ立ち入り禁止のままとなっている。
貴重な皇紀レールの残る区間だったが、跡形もない。
かつて廃止反対の看板があったところに辛うじて昔の柵か何かの細いレールが残るのみだ。


180527tsurugi2.jpg

駅舎のホーム側には建設会社のシートが貼られている。
ホーム周辺もレールは完全に剥がされている。
白山下へ向かう路盤跡のうち、橋が架かっていたところには、改めてコンクリート橋が建設中であった。
手取中島へ向かう区間の整備も含めれば(リンク)、サイクリングロードの延長でもする気なのか。
旧和佐谷踏み切り横には手取キャニオンロードの看板があり、その可能性は高い。
駅舎には白山市の活用を検討している旨の張り紙がそのままに残っていた。
まだこの駅舎を保存するつもりがあるということなのかもしれない。
駅舎の中には信号機などが転がっており、いずれなんとかパークとして整備するつもりがあるようだ。
白山下駅のようになるのかもしれない。

撮影日 2018年05月27日(すべて)
  1. 2018/05/27(日) 23:57:44|
  2. 廃線など
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福井駅仮改札口

180525fukuist.jpg

大聖寺~敦賀間のICカード化に向け、各駅で準備が始まっている。
ここ福井駅でも仮改札が組み立てられた。
以前小松駅で作られたのと同じ感じである。(リンク
旧来のラッチはそのままに置かれているが、仮の改札口で業務を行っている。
仮改札は改札の外側に置かれている。
島は二つのみで、待合室側のラッチはそのままで、仮改札もない。
現状は手付かずだが、今後自動改札機の設置が進むと見られる。
ICカード化は今年の夏を予定しているという。

撮影日 2018年05月25日
  1. 2018/05/26(土) 23:18:41|
  2. 未分類
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砺波東バイパスいかるぎ大橋工事

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砺波東バイパスは国道359号線の高規格化を目指して作られている。
現在は一部区間が開業しているのみだ。
いかるぎ大橋は庄川からちょっと東へ向かっていくと見える。
何年も前から工事中のままなのだが、徐々に進んでいるようだ。
現在はいかるぎ大橋上部工事その2らしい。
何度も細切れにして工事していく予定なのか。
完成は2019年度中だという。

撮影日 2018年05月05日
  1. 2018/05/25(金) 01:06:30|
  2. 道・橋・隧道
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倶利伽羅駅の駅ノート4冊目

180521note.jpg

IRいしかわ鉄道倶利伽羅駅に4冊目のスタンプノートが設置された。
第三セクター化後に設置されたというのに驚異的なペースである。
といって中を開くとそんなにたくさん書き込まれているわけでもない。
相変わらず頭がおかしいくらいばんばん押されたスタンプで一杯だ。
中の書き込みもどこか他のローカル駅と違って治安が悪い。
立地条件の問題なのか。
こんな感じで消費されると来年には5冊目になっていそうだ。
ちなみにこの場所に置かれているのは3冊目と4冊目のみになっていた。

撮影日 2018年05月21日
  1. 2018/05/24(木) 23:52:52|
  2. 未分類
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扇沢駅の展示

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関電トロリーバスの駅である扇沢駅。
国内4箇所しかないトロリーバス駅の一つである。
立山黒部アルペンルートの突端で、アルピコバスで信濃大町と連絡する。
トロリーバスはこの駅と黒部ダムをつないでいる。
関東からはこちらのルートでダム入りするのが一般的らしい。
この関電トロリーバスだが今期での終了が決まっている。
今後はふそうのMP系のボデーを使った電気バスに移行する。
そのため現行の車体には特別ラッピングが施されている。
駅改札の横には廃止を記念しての展示が行われている。
車体を模した大型の撮影用のブースがあり、制帽が置かれている。
横には写真のパネル展示がされている。
部品も少しだけ置かれており、旧型車のメータパネルが飾ってある。
現行の車は平成5年式だが、それ以前の旧型車はメキシコシティに譲渡されている。

撮影日 2018年05月20日
  1. 2018/05/23(水) 19:15:24|
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倶利伽羅駅工事中

180521kurikara.jpg

倶利伽羅駅は信号所として開業後格上げされて停車場になった。
現倶利伽羅トンネルの開業に伴う新線移行に伴って駅ホームは海側に移動した。
駅本屋はそのままに、線路を跨線橋で越える変則的な構内になった。
古い駅の跡は資材置き場になり、一部には貨物ホームが作られた。
この場所は勝手に入る人が多くIRになってからはロープが張られていた。
そんな資材置き場だった部分に重機が入っている。
かつての貨物ホームはすっかり破壊され、コンクリートが山積みにされている。
造成して全体的に平らにしているようだ。
元から駅の名残をとどめるところは資材置き場には少なかったがこれでもう完全に分からなくなった。
コンクリートブロックが多く置かれているので、今後線路側に壁を作っていくのだろう。
なぜ整備しているのかは看板が見当たらないのでよく分からない。
駅跡富山側のレンガアーチ広畑函渠や鉄道用設備は手付かずである。
また資材置き場の下にあった木も何故か放置されている。
成長しすぎたので残しておこうというところなのだろうか。
何か構造物を作る予定でもあるのかも知れない。

撮影日 2018年05月21日
  1. 2018/05/22(火) 23:27:37|
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地鉄バス石金停留所

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バスの終始発点でもある石金。
重要なバス停なのだが古い看板を使っている。
バス停を示す表記はずれているようで、車道側はたれが落ちている。
書体も古い感じだ。
行き先の部分も不二越の文字がずれている。
長いことメンテしていないのであろう。
地鉄のバス停は古くなると全体的に黄色っぽくなる。
模型的に白くする場合が多いが、本当はこんな感じの色らしい。

撮影日 2018年05月21日
  1. 2018/05/21(月) 21:56:38|
  2. バスとか
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道の駅市振の資料館

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道の駅市振は今時珍しい駐車場と道路情報だけの道の駅である。
特産品やら売店やらはない。
コンビニや食堂は隣の敷地に個人のものがあるだけだ。
ほとんどは除雪センターとなっているようだ。
親不知から降りてきた人、あるいはこれから親不知に挑む人の重要な休憩ポイントになっている。
この道の駅の二階に小さな資料展示がある。
上がって左手は親不知付近の地質の解説である。
右手は古代から人々が戦ってきた道の歴史が書かれている。
特に明治以降の現在の8号線にかかる資料の展示がされている。
かなり以前からあるので写真は結構色あせている。
ベランダに出ると日本海が一望でき、線路も見える。
ただ一両単行くらいしか撮影できない。

撮影日 2018年05月20日
  1. 2018/05/20(日) 23:50:14|
  2. 道・橋・隧道
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能町駅のツバメの巣

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昔からツバメは人家に巣を作ることで知られている。
人が好きなわけではないらしいが、人が居ることで適度に外敵を抑えられるからというわけらしい。
地鉄の駅など連続してツバメの巣だらけになっているところもある。
氷見線能町駅にもツバメの巣が出来ている。
無人駅になってから常時開け放たれているうえ、昼間は誰も居ないが朝と夕方のラッシュ時のみ学生が大量に降りるので、ツバメには都合がいいのだろう。
巣は駅舎の中の蛍光灯に作られている。
能町駅の蛍光灯はちゃんと点灯しているので、それなりにあったかいと思うのだが、ツバメは気にしないのだろうか。
JRも把握しているようで、床にダンボールが敷かれている。
トラテープも貼られており、利用者にフンの危険性を知らせている。
ツバメはせっせと餌を運んでいるようであった。
JRも鳩は追い払うがツバメには理解があるようだった。

撮影日 2018年05月02日
  1. 2018/05/19(土) 20:45:01|
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C21-5440

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とある敷地に埋もれる国鉄有蓋コンテナC21。
C20に天井釣りフックを追加した国鉄を代表するコンテナである。
どこからどう見ても倉庫に使われているようだ。
C21をあらわすブルーの帯もそのままに残っている。
国鉄の文字は同色のペンキで消されているのでJRになっても使われたのだろう。
妻面の一部分だけグリーンが濃く残るが何か理由があるのだろうか。
下枠の一部のみグレーなのは塗りなおしているのか。

撮影場所 富山県富山市
撮影日 2018年05月03日
  1. 2018/05/18(金) 22:42:21|
  2. 廃車・廃コン
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浅野川線の整理券発行機

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北陸鉄道浅野川線の車内である。
この車両、珍しくシルバーの整理券発行機が取り付いている。
一昔前は黄色とか黄緑とか色々居たが今はオだいたいレンジ色に統一されている。
北鉄もかつては薄い黄色のも使っていたが今はグレーというかシルバーになっている。
運賃箱の色とそろえているのだろうか。
最近になって、箱の塗装がはがれてきた。
はがれた先にはオレンジ色が見えている。
ということは普通のオレンジの整理券発行機だったのを塗りなおしたのか。
あるいは出荷時に既製品に上塗りしたのか。
なんともいえない存在である。

撮影日 2018年05月13日
  1. 2018/05/17(木) 20:32:01|
  2. 北鉄
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9628修復中

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高岡伏木にある北陸ロジティクスの敷地内に9628が置かれている。
富山城址公園に置かれていたが保存修繕のためここにやってきた。
解体必至なボロボロの姿であったが、運がよいことに修復中である。
輸送時のようにテンダと切り離された状態だ。
周りには足場が組まれている。
以前と余り変化はなさそうだが今後どのように変化していくのだろうか。
ボイラーはついていないが、車庫の中に入れられている。

撮影日 2018年05月01日
  1. 2018/05/16(水) 23:20:34|
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奥飛観光りんどう

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とある場所にロープウェイのゴンドラが役目を終えて第二の人生を歩んでいる。
見るからに倉庫として使われているゴンドラは元奥飛観光開発のロープウェイに使われていた。
新穂高ロープウェイは昭和45年に開業している。
その開業当時のゴンドラで、昭和62年まで使用された。
現在のゴンドラは3代目である。
新穂高のロープウェイは第一と第二があるが、これは第一ロープウェイに使われていたものだ。
当時1号のくろゆりと2号のりんどうがいたが、こちらは2号のりんどうである。
上部に取り付けられていたキャリアやハンガーはなくなっている。
塗装は白に赤帯が入るスタイルだったが、ほとんど面影はない。
今見えているのはさび止め塗料の赤色だけである。
窓が真っ暗なので内側から塗装でもしているのだろうか。
検査銘板が残り、検査期限が昭和6X年と書かれている。
ゴンドラそのものの銘板は確認できなかった。
もしかしたら1号もどこかで倉庫になっているのかもしれない。

撮影場所 岐阜県高山市
撮影日 2018年05月06日
  1. 2018/05/15(火) 23:32:02|
  2. 廃車・廃コン
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国道156号線祖山トンネル旧道

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国道156号線の祖山ダム近くで道はトンネルに吸い込まれていく。
祖山ダムは1930年に出来た古いダムで、双子ダムで知られる。
このダムにアプローチする形で現在の道が出来、以後国道になっている。
1975年に祖山トンネルが完成し、ダムにアプローチする区間を除いて旧道は使用されなくなった。
写真は高岡側から岐阜方向に旧道を撮影したもの。
祖山トンネルの開通から10年後にロックシェードが増設されて、車は入れなくなっている。
旧道へのアプローチ部はカーブになっている。
この場所の川側には何らかの施設があったらしいが基礎だけが残されている。
工事現場が近いため、プレハブが設置されている。


18050502.jpg

分岐部からはシェルターが続いている。
銘板は見当たらなかったがそれなりに新しそうだ。
あるいは道がなくなってから出来たのかと思うくらいである。
欠けた柱の中の鉄骨はでこぼこしているのでそんなに古くはなさそうだ。
シェルターの山側には工事用の機材が山と積まれている。
国道事務所の管理物なのだろうか。
写真は岐阜側から高岡側を撮影したもの。
妙なことにガードレールが一つも残っていないことが分かる。
春だからか落石の量はそこそこあり、撮影中もごろごろころがってきた。
シェルターはかなり過激に活躍しているようでもはやトンネルのごとき土砂の積もりようである。
撮影場所より少し下がると祖山ダムの入り口になる。


18050503.jpg

祖山ダムの入り口から岐阜方向に現在の国道を見たもの。
こちらはダムへの接続ルートとして生き残っているのでガードレールが現役で道も整備されている。
この日ダムは封鎖されていた。
ダムアプローチの旧道と新道の接続地点はまるで車の出入りを考慮していないような設計で、柱にはひどく削った跡が見られる。
何でそんなことをしたのかよく分からない。
おかげでダムへ行く道は地図でも読んでいないと気づかないようになっている。

撮影日 2018年05月03日(すべて)
  1. 2018/05/14(月) 23:58:02|
  2. 道・橋・隧道
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あさでんまつり2018

180513hokutetsu.jpg

北陸鉄道浅野川線の終点内灘駅裏の内灘車庫にて毎年恒例のあさでんまつりが行われた。
内灘町の世界の凧祭典と同時に開催されているイベントである。
今年は全国的な雨模様で、イベントは若干規模を縮小して行われた。
庫内ではおなじみの車両展示が行われた。
今年は8802+8812がその任についていた。
8802は運転台見学、8812は運転シミュレータとパンフレット配布に利用されていた。
8802の一部は石川線から移設したと見られる金沢工大写真部の写真展示に利用されていた。
なお方向幕は今はなき急行の表記であった。
ミニSLは雨天中止の予定となっていたが、車両をバッテリーロコのみとし、車庫の中で短い運転を行っていた。
乗車すると記念品を貰うことができた。


180513hokutetsu2.jpg

恒例の鉄道模型展示は例年と同じ場所だったが、若干窮屈そうであった。
商品化されていない旧型車両が充実していた。
グッズ販売のみ車庫の外で行われた。
部品販売はバスが中心で丸い看板などが売られていたが、鉄道はわずかにあるのみだったようだ。
グッズの目玉は発売されたばかりのミニミニ方向幕で、金沢、高速バス、電車の3種類が新たにラインナップされた。
500円以上の買い物でもらえる鉄カードが新しくなっており、新旧両方を選ぶことが出来た。
食品の販売はクレープのみであった。
来客は雨のせいか例年より人が少ないように思えた。
同日の凧祭りは昼過ぎに中止となったが、シャトルバスは内灘駅との間を運行し続けたようだ。

撮影日 2018年05月13日(すべて)
  1. 2018/05/13(日) 21:14:06|
  2. 北鉄
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681系のカーテン

180512katen.jpg

リニューアルが徐々に進む681/683系。
実際のところ塗装リニューアルとは別に、内装はちょこちょこ替わっている。
痛んだものだけを取り替えているのだろうが、それが昔と違うのである。
おかげで編成や車両によってちょっとずつ差異が生まれてきている。
写真はリニューアル前のサンダーバード用V11編成。
外から見るとカーテンの色が異なっているのが分かる。
編成内では寒色っぽいカーテンのほうが多数派のようだ。
ただ右のような暖色系のカーテンも一部使われている。
ランダムに配置されているので、一部だけ取り替えたのだろう。
日が差しているときに観察すると、編成ごとの違いがあって面白い。
すべての車両を抑えればあるいはカーテンだけで編成の特定も可能かもしれないがちょっと気の長い話だ。

撮影日 2018年05月12日
  1. 2018/05/12(土) 23:47:39|
  2. 681/683
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あい鉄区間の通信線看板

180502kanban.jpg

北陸本線の第3セクター移行区間の看板は、皆新会社名に替わって取り替えられた。
線路横断禁止の看板は鉄道部から事業社名に変更された。
踏切看板などは新設されている。
ただ通信回線の看板については存置されている。
通信ケーブルの看板は工事がおこなわれそうな踏切などの周辺に刺さっている。
この下に通信回路があるので工事のときに気をつけろというわけだ。
国鉄時代に設置されたものが今も残っていると思われる。
この看板の代表は高岡信号通信区となっている。
現在は存在していなさそうだが、このまま残るのだろうか。

撮影日 2018年05月02日
  1. 2018/05/11(金) 23:38:20|
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D51-172

180506d51172.jpg

長野県松本市の大久保原公園に保存されている国鉄蒸気機関車D51-172。
地図では大久保原公園なのだが看板だと大久保工場公園である。
名前の通り名だたる企業が連なる工業団地の真ん中にある。
昭和14年日本車輌製で、昭和24年以降から廃車まで長野地域で活躍した。
昭和48年廃車当時は長野式集煙装置を取り付けていたが取り外されている。
公式側のみ旋回窓のつく雪の降る地域らしい仕様である。
屋根無しの露天保存だが塗装はしっかりとしており良好である。
塗り分けも非常に丁寧だ。
がしかしキャブの内外のガラスはすべて破壊されている。
のみならずブレーキハンドル周辺が根こそぎなくなっている。
状態がよければ大体五万円ぐらいの部品なので盗まれたのであろう。
ヘッドライトテールライトともにガラスは割られたらしく別のものに入れ替わっている。
キャブへは立ち入りが可能で、中も美しく塗られているがやはり破損が目立つ。
シートはきちんと張りかえられている。
子供向けというわけで階段の段が多くて大人には使いにくい形だ。
上らないでという看板はあるのだが子供は気にせず上っていく。
怪我人などが出ると大変である。
同場所にはこれまたガラスがぶっ壊された腕機式信号機が一緒に保存されている。
下の継電ボックスもともに保存されているのは珍しい。

撮影日 2018年05月06日
  1. 2018/05/10(木) 23:34:39|
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釜ヶ淵駅の車止め

180504kamagafuchi.jpg

富山地方鉄道釜ヶ淵駅はかつて交換駅であったが、今は一本のみの棒線駅である。
さらに農協とそれのための側線も存在した。
農協の側線は駅の立山方にあった。
今は撤去されて何も残っていないが、車止めだけが残っている。
車止めは本線に平行してあった側線の立山側にある。
かつては本線の安全側線もかねていたのだろうか。
コンクリート作りで、本線側のほうが若干厚い。
中央部のみ補強のためかコンクリートが追加されている。
裏に回ると丸石がごんごんと積まれている。
かなり頑丈に作っているようだ。
エンドマークがついていたところは鉄の枠が残っている。
駅は大正10年の開業であるが、それよりは新しいように感じられる。
この駅は昭和11年に軽便鉄道から1067mm電車区間になったので、そのときのものと推測される。

撮影日 2018年05月04日
  1. 2018/05/09(水) 18:52:40|
  2. 地鉄
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小滝駅のコンクリート塊

180503kotaki.jpg

大糸線小滝駅は古い木造駅舎の残る駅だ。
発電所横の有名な撮影スポットで知られる一方、駅近くにあるのは国道くらいで民家はない。
この駅の近くに何かよく分からないコンクリートの塊が置かれている。
四角いブロックにまるで持ち手のような棒が生えている。
棒の上には紐か何かがついているようだ。
ブロックには金属製のフックがいくつかついている。
巨人が持ち上げるわけでも無し、この棒は何の意味があるのだろうか。
テトラポット的に川に入れておくものなのか。
側面にはJR西日本施設部の文字が入っている。
JRの持ち物のようだが、どういうものなのか。

撮影日 2018年05月03日
  1. 2018/05/08(火) 23:46:46|
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ワム283176

180506wm283176.jpg

とある敷地に佇む国鉄有蓋貨車ワム80000。
1970年代に製造された改良型の280000番台である。
地面よりかさ上げされた場所に置かれているが、倉庫として使われていると思われる。
公道からはこれしか見えない。
青色に塗られているので一見380000番台かと思うが、280000番台を青にリペイントしただけのようだ。
その割りに文字は読み取りやすい。
車番はくっきり見える。
車検は昭和57年から61年まで苗穂工場で行われている。
ということは製造から10年せずに廃車となった悲しいグループのようだ。
札差には○留の文字が見える。
検査も3つほど残っていそうだったが場所が悪くて読み取れなかった。
壁の配置から銘板が現存しているかは確認できない。

撮影日 長野県松本市
撮影日 2018年05月06日
  1. 2018/05/07(月) 20:56:44|
  2. 廃車・廃コン
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伏木駅キオスクの跡

180501kiosk.jpg

伏木駅にはかつてキオスクがあった。
まだコンビニなどない時代は重宝したのだろうが、時代の波に消えていった。
キオスクも何もかも撤去されるところと、スペースくらいは残るところがあるが、この駅ではほとんどすべて残っている。
プレハブのようなボックスを設置するタイプの小さなキオスクであった。
空き地は自販機置き場に転用されている。
置ける幅ギリギリの小さな自販機と大きな自販機の組み合わせだ。
棚などは当時のまま残っているが、もうかなりホコリまみれだ。
撤去するのが面倒だったのだろうか。
この場所では待合室の全面改装がない限りずっと残り続けることになりそうである。

撮影日 2018年05月01日
  1. 2018/05/06(日) 20:52:18|
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柳峠沿いの謎の橋

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国道156線は庄川左岸を下っていくが、祖山と平の間は右岸に林道が生き残っている。
周辺のほかの林道はたいていなくなったのだが、ここは冬季封鎖などはあるものの一応舗装されて通ることが出来る。
とはいえバイクや四駆じゃないと余り行きたいとは思わない落石と倒木の多い道だ。
この途中に写真の橋がある。
地図を見ても名前の分からない川に砂防ダムが幾多も連なっている。
林道のためというよりはダム湖に土砂を落とさないためであろう。
ここに橋があるのだが、橋げたしかない。
林道の橋はその下にちゃんとかかっているので、この橋は上流に行くためのものであろう。
古い航空写真を見ると林道の上にもグレーの橋がかかっているのが確認できる。
ところがグーグルなど新しい航空写真を見ると写真と同じようになっている。
かつてはちゃんとした橋があったが、いつの間にかこうなったようだ。
土石流で橋げたを残してあらゆるものが流されるとは思えないので、何かの理由で架け替えたのだろう。
本当に橋げただけである。
赤錆びており銘板はない。
この先は川沿いに道が続いているが、地図上建物はないので砂防ダムの整備用道路と思われる。
砂防ダムの増築のときだけ板を渡して重機を通すのだろうか。
それにしては橋げたが石を網に入れたタイプのダムで支えられていてなんだか心もとない。
桁だけであるということは、土石流が来た際通常の橋より軽微な損傷ですみそうだ。
だが、かつてはちゃんとした橋があったはずなのにどうしてこうなったのか。
謎な橋である。

撮影日 2018年05月05日
  1. 2018/05/05(土) 22:13:55|
  2. 道・橋・隧道
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榎町駅の整理券発行機

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昔、地鉄では整理券発行機が駅舎にあった。
JR東日本などは駅員のいない駅での乗車証明の感じだったが、地鉄では大体の駅に置いてあった。
ボタンを押すと乗車駅の名前が入った証明書が発行される。
名称は乗車駅証明書だった。
ほとんどの鉄道は車内に整理券発行機がついている。
乗車時に整理券を発行して乗車駅を証明する。
車内のほうが人がいるので不正はしにくさそうである。
それでも何枚も整理券を出してキセルをしていく人はいるのだが。
地鉄の場合何枚でも何度でも出せるのでキセルしやすいシステムであった。
いたずらで何枚も出せるので整理券まみれになっている発券機もあった。
知る限りでは平成筑豊鉄道なども駅に乗車証明発行機を置いていたが、今はなくなっている。
そんなこともあるのか、地鉄では何年か前に今の形になり、駅の整理券発行機は撤去されてしまった。
ほとんどの駅からは撤去されて台座の跡なんかが残っているのみだが、榎町駅には今も発券機が残されている。
そもそも榎町駅の整理券発行機は洗面所の横にあったはずなのである。
今は窓口のあった場所に固定されている。
ちなみに変な位置にあった洗面所はいつの間にか蛇口だけになっていた。
撤去忘れなのか、意味があって残しているのか、謎である。

撮影日 2018年05月04日
  1. 2018/05/04(金) 22:55:44|
  2. 地鉄
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D51-921

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長野市篠ノ井駅の近くに国鉄蒸気機関車D51-921が保存されている。
長野市の篠ノ井支所のすぐそばである。
製造は昭和18年で川崎製である。
戦後木曽福島に所属し、篠ノ井線を含む各所で活躍した。
昭和47年に引退し、同年よりこの場所で展示されている。
長野式集煙装置が地元の機関車であることを主張している。
駐車場の端にあり、付近が工事中ということもあって若干窮屈である。
車両正面周囲には花が植わっており、あまり近寄れない。
錆びて穴があいている場所もあるが、数年前に塗りなおしをしたようで、放置されているところと比べれば状態はまずまずである。
色挿しも車輪の塗り分けや砲金部の金色などちゃんとしている。
見た目のライト類もしっかり残っている。
古い写真を見ると赤ナンバーのようだが、普通のナンバーになっている。
運転台には階段がついているが、運転台そのものは柵で覆われていて入ることが出来ない。
そのため、錆びはあるものの中は比較的良好な状態で残る。
ガラス類が割られずに現存している機関車はいまや珍しくなってきた。
それでも悪ガキでもいるのか炭水車のボックスが開けられ、継電スイッチのカバーがはずされていた。
こんな状態だけに窓ガラスが割られているのは惜しい。
レールには溶接でお別れのメッセージが書かれており、これも地元ならではという感じがある。
機関車の前には腕機式信号機があり、木製の羽がついている。

車両横には昭和47年にしては妙に状態のいい案内看板がついている。
そこには篠ノ井交通記念館の設置に当たってD51を保存したとある。
周囲に記念館がないため、図書館司書の方に聞いてみた。
調べてもらったがそんなものがあると聞いた人はおらず、さし当たって見てみた昭和53年の住宅地図にも記載はなかった。
10年経たずに記念館が消滅したか、あるいはかなりこじんまりとしたものであったか。
隣接の市民会館に小スペースが存在した可能性もあったが、現在は更地となっており確認できなかった。

撮影日 2018年05月03日
  1. 2018/05/03(木) 23:46:12|
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再利用される庄川橋梁橋脚

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明治の世に生まれた北陸本線の大きな構造物は、大抵が昭和の高速化で失われている。
明治時代にできた長大トンネルは一つも鉄道構造物として残っていない。
橋は場合によりけりで、撤去されたり、別の線路に転用されたり、あるいは現在も使用されている。
庄川橋梁は生き残ったほうだが、全部が生き残ったというわけではない。
旧橋梁は山側に残り、あいの風とやま鉄道線の上り本線として生き残っている。
かつては3スパントラスプラスガーダーで構成されていた庄川橋梁だが、複線化に伴い5スパントラスプラスガーダーになった。
取り替えられたトラスの分の橋脚は新しいコンクリートに置き換えられた。
一方残ったガーダーは桁だけを変えて橋脚はそのままである。
写真は米原側2個目の橋脚である。
なぜかこれだけ上部が白く塗られている。
明治時代の石積みを残すが、上部はコンクリートに置き換えられている。


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橋脚の石は真四角なタイプで、一部の駅のホームに使われたのと同じようなものだろう。
戦前のコンクリートと違ってほぼまったく風化していない。
当時の庄川橋梁のいい写真が見当たらなかったのだが、石造りのものと、レンガ・石のハイブリッドがあったようだ。
この橋脚が元から石のみだったのか、レンガを石で置き換えたかは不明だが、石だけの存在だったように思える。
側面には穴が開いている。
通信用の電信柱を取り付けるための固定部と思われる。
丸い穴を開けてボルトを差し込み、隙間はセメントで埋めていたようだ。
一部のボルトが刺されたまま残っている。
上下線の開通状況から、下りを1962年ごろに作り、上り線(旧線)を同63年ごろに作り変えて複線開業したと見られる。
このとき一部の橋脚はそのまま遺棄されてしまった。
当時一部のみ橋脚を生き残らせたのは何か理由があってのことなのだろうか。

撮影日 2018年05月02日(すべて)
  1. 2018/05/02(水) 23:59:21|
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