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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

チキ6000車軸のバーコード

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チキ6000は他系列とともにレール輸送に使われる貨車である。
私有コンテナを昼間にたくさん見れるわけでもない北陸において、たまにやってくるワクワクな車両である。
といっていつも休日に来てくれるわけではないので簡単に走っているところを見れるというわけでもない。
貨車であるがレール輸送に使用されるJR西日本の車両である。
JR西ではバーコードを使って車両の状況を管理しているようだ。
車両側面にそれがついているのをみることができる。
ところでこのバーコード、車軸にもついているようだ。
写真はレール輸送をしてきたチキ6275の車軸。
1エンド側のTR63Fに付いている軸である。
探すと他にもついているのかもしれない。

撮影日 2017年06月24日
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  1. 2017/06/27(火) 23:59:38|
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新菅波踏切

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北陸本線の新菅波踏切。
田んぼの真ん中にあるよくありがちな踏切だが、微妙に特徴的だ。
遮断かんはこの周辺だとまったく採用されていない板タイプである。
大きいと視認性が高まるということで使っている事業者があるそうだ。
試験的につけているのだろうか。
そしてこの時期だというのになぜか封鎖されている。
バーには封鎖時期延期と町区の張り紙が付けられている。
一町区ごときが踏切を封鎖できるとは思えないがどういう理由で封鎖中なのだろうか。
ちなみにこの手前までは変電所があるためか道は広いものの、踏切を渡ると道はあまり大きくない。
珍しいものが二つある踏切である。

撮影日 2017年06月11日
  1. 2017/06/26(月) 23:58:32|
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粟津~動橋間勾配標の根元

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小松と加賀の間にはなんだか小さい山がいくつかポコポコっと平地の中にある。
北陸本線は粟津駅を出ると動橋に向かう途中そのひとつを切りとおしで抜ける。
この地点には勾配標が設置されている。
勾配標は勾配の大きさを示すもので単位はパーミルとなっている。
普通、道床にぶっ刺してある。
ここの勾配標はちょっと根元の作りをこだわっている。
根元には木材で張り出しが作られている。
崩れるのを防ぐために、当てもされている。
若干のこだわりを感じるが、ここだけ弄られている理由は何なのだろう。
付近は鉄道用地が若干狭いので、その影響であろうか。
模型などのアクセントによさそうな感じだ。

撮影日 2017年06月25日
  1. 2017/06/25(日) 23:58:19|
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第2中島橋りょうのポンプ小屋廃墟

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北陸本線の加賀よりは、なぜか架道橋が多い印象である。
架道橋の多くは複線電化に伴う高速化で踏切を廃した際、地域へその代替として設置されたものだ。
踏切のままだったり、あるいはすべて廃止されたりと地域によりけりだが、何か政治的な力があったのかと思うくらいこの周辺には多い印象を受ける。
このひとつが第二中島橋りょうである。
田んぼの真ん中に位置し、もちろん砂利道でしかアクセスできない。
ここはかなり深く掘り下げられた場所となっている。
こういうところにはポンプ小屋が併設されている。
そのままだと雨水がたまり水没するため、水を外に逃がす仕組みが作られている。
この架道橋のポンプ小屋は現在廃墟となっている。
北陸本線沿線には、こういう廃墟となってしまったポンプ小屋がなぜかそのまま残されている場合がある。
コンクリート製の小さな小屋であるが、入り口の扉はすでになくなっている。
かつては三角形の屋根が付いていたらしい。
落ちている部品からして木材とトタンを組み合わせたものらしいが、完全に崩壊している。
草が生い茂っていて入ることは難しいが、中にはまだポンプが残されている。
エバラ自給水ポンプの銘板が見えるが、製造時がいつかは分からない。
荏原製作所のポンプのほか、それに組み込まれた東芝製のモーター、オムロン製のボックスなどが残る。
どれもこれも風雪に晒されたためか銘板は読み取れないものが多く、塗装もハゲが多い。
ポンプから先の配管は道へと伸びているが、施設が稼動しているとは思えない。
というのもポンプ小屋から延びた配線は目の前の電柱でぶつりと切れているのである。
橋の下は少し水がたまり、よくない匂いが漂っている。
あまり人通りが無いのか、2.0mの看板こそ新しいが、黄色のシールは色あせてコンクリートと同化している。
人が来ないため、そのうち装置を廃してしまったのか、あるいはかなり小さな装置に換えられたのか。
付近の複線化や架道橋の建設時期から、1965年ごろの設置と思われる。

撮影日 2017年06月24日
  1. 2017/06/24(土) 23:55:21|
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明峰駅下りホーム接近音

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明峰駅ホームには列車接近のメロディーが流れる。
今はどこの駅でも聞けるが、かなり早い段階から音楽のほうを採用していた。
下りホームではその後増設が行われている。
その際に音楽は同じであるものの装置が新しくなったようだ。
なので、同じ音楽が少しずれて、しかも音が違う状態で流れるようになった。
写真では奥のほうが点灯しているが、手前にも装置があることが分かる。
かぶって流れる時と、片方だけ流れる時があるようだ。

撮影日 2017年06月17日
  1. 2017/06/23(金) 23:53:57|
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踏切遮断棒の根元

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北陸本線中ノ江踏切の海側。
田んぼの真ん中の踏切だが、そこそこの大きさである。
警報機のほか遮断機も付いている普通の第一種踏切である。
遮断棒は昔ながらの竹ではなくFRPのようだ。
根元を見ると樹脂が劣化して繊維が見えている。
白っぽい繊維が見えるのでGFRPであると思われる。
黒い部分では平織り系と思える編み方も確認できる。
黄色の部分では塗りものが違うのか黒いところと質感が異なる。
繊維がばらけているところも見え、あまり厳密に作られているものではないのかもしれない。
根元が劣化し始めているが、どの程度の耐用を考えているのだろうか。

撮影日 2017年06月17日
  1. 2017/06/22(木) 00:11:27|
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明峰駅の無言スピーカー

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北陸本線明峰駅は小松駅管理の無人駅である。
このため無人駅の設備がいろいろと備え付けられている。
階段を上がって上りホームに行くと、柵に放送装置がつけられている。
しかしうんともすんともいわない。
簡易的なタイプで、工事現場などに使われているのをよく目にする。
下りホーム側にも同様の設備があり、こちらはホーム端が狭いことを伝えている。
電力が切れているのか、それとも撤去忘れだろうか。
特に警告する必要があるものは見当たらない。

撮影日 2017年06月17日
  1. 2017/06/17(土) 23:41:10|
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北陸本線旧大聖寺川橋梁

大聖寺駅近くを流れる大聖寺川。
この川を渡っていた橋は、北陸本線複線化をきっかけに複線化された。
このため古い橋は廃線となり撤去された。


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大聖寺川よりも直江津よりの敷地踏切より米原方を撮影したもの。
敷地踏切より直江津方面は大きなカーブを描いている。
この踏切を過ぎたところで、旧線は右へと分かれていく。
赤色の今も生きている境界杭が右側へと広がっていく。
古い線路は今よりも低い場所にあったらしい。
この線路沿いにはかつて暗渠があったようだが、草生しており確認することは出来なかった。
大聖寺川は何度も改修がなされている。
かつては蛇行し、線路際にまでカーブしていたが、今は一直線に近い形だ。
川があったところにはなぜか畑だの田んぼだのがあり、怪しい雰囲気を漂わせている。
写真右手の草生している辺りがかつて大聖寺川のあった場所である。


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大聖寺川の右岸は一部遊歩道的な整備がされている。
舗装された安心できる道で、現在の大聖寺川橋りょうをくぐっている。
ここに築堤と旧大聖寺川橋りょうの橋台が現存している。
橋台はレンガ製で開業時のものと思われる。
珍しいのは橋台の角部の処理である。
おそらく大形の上路ガーダーを支えていたと思われる橋台の下側は角のみが石造りとなっている。
長方形の石を互い違いに組んでいるようで、角部分を強化するためだろうか。
橋台の下のみコンクリートが盛られており、開業後いつかの段階で橋げたを交換したと想定される。
この先は川だが、草が多くて接近できず、現存する橋脚があるかは不明である。
Yahoo!の航空写真では、川中に六角形の構造物が見え、橋台の基礎が今も残っていると想定される。
手元に資料が無いため、当時の橋の姿がどんなものであったかは分からない。


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大聖寺川を渡った左岸より対岸を撮影したもの。
線路跡には後述の橋跡から登ることができるようになっている。
保線用の敷地かと思いきや封鎖はされておらず、別の目的があるようにも思える。
かつてはこの旧線跡に小屋があった時代もあったようだ。
右手の旧線跡と新線の間に川へと降りていくスロープがあるため、道として整備されたのか。
しかし川へ降りていくスロープは草が生えており人も車も入るようなところではなくなっている。
写真左手のひときわ大きな木が生えているところには、レンガ製の橋台が現存している。
築堤部断面は四角の石を斜めに積んだよくあるタイプだが、築堤の側面がコンクリートで補強されておりやや新しい感じを受ける。
木が生えていたりして接近することは極めて困難である。
造詣は右岸のものとは違い、角部もレンガとなっている普通のタイプだ。
現在の大聖寺川橋りょうは複線のコンクリート製で、1965年の夏に完成しており、複線化よりも一年早い。


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第二大聖寺川橋りょうである。
旧線の橋台は石造りで、旧大聖寺川橋りょうとは作りが異なっている。
四角の石を積み上げた形で、レンガは使われていない。
周辺の小さな開渠では同様のつくりのものがあり、作りわけの理由は不明であるが、小さい橋はこのようなつくりということか。
両側ともに橋台が残っているが、米原方の橋台は草に埋もれており、木も生えている。
旧線と新線の間にはスロープがあり、先述の旧線の築堤に上ることが出来る。
こちらは除草剤でもまいたのか草は生えておらず、現役の施設を感じさせる。
スロープ部は築堤の擁壁を撤去して作られたと思われる。
旧線の築堤断面の擁壁は角張った石を斜めにしたほかでもよく見るタイプである。
石と石の間の切り込みは大きく、シャープな印象を受ける。
旧線の橋は廃線後もしばらくは残っていたらしいが今は無い。


170611daishoji5.jpg

米原方から直江津方を見た写真である。
左奥の家が第二大聖寺川橋りょうのあるところだ。
第二大聖寺川橋りょうがあるのだから、第一もありそうだが、見当たらない。
第一は大聖寺川橋りょうのことなのだろうか。
しかし上り方面から第一第二とつけることを考えれば腑に落ちないところがある。
第二大聖寺川橋りょうを過ぎると大きくカーブし、次第に旧線の築堤は新線に飲み込まれていく。
線路の改良としては、旧大聖寺川橋りょうを更新することだけを目的としていたようだ。
周辺はカーブが多いのだが、そちらは手をつけなかったようだ。
今は下り線であるが、単線だった時代はインカーブからいい雰囲気の写真が撮れたことであろう。


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上記写真より米原方の窪川橋りょうである。
完全なコンクリート製の橋脚であるが、直江津側にわずかながらレンガが残る。
上下線の橋脚に挟まれて、下部にレンガが覗いている。
旧線と新線が合流後、この橋りょうでは上下線とも更新したことが分かる。
上り線の橋は1965年の完成に対し、下り線は1966年の完成である。
上り線を供用したのち旧線を解体し、下り線を作ったと思われる。
構造はほぼ一緒である。
すぐ米原方にはもうひとつ川がある。
橋の名称はツタまみれの銘板から菅生川橋りょうと読めたが、地図では三谷川となっており、どうにも合致しない。
三谷川は国鉄の橋りょうをくぐると大聖寺の街中にぐにゃぐにゃ流れていたが、今はバイパスを作ってすぐそばの大聖寺川に流れされている。
この菅生川橋りょうも上下線の開業が一年違いで、同様のPC橋であるため、これらの橋の整備のため一年違いで竣工させたものと思われる。
続く県道の橋もコンクリートに作りかえられているが、さらに隣の苗代川橋りょうは下りのみ石造りである。

下り線の構造物が竣工した1966年の秋に、同区間は複線開業している。
電化開業はその3年前なので、電化設備はその間のみ使われたと推測できる。

撮影日 2017年06月11日(すべて)
  1. 2017/06/14(水) 23:54:01|
  2. 廃線など
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C20-30407

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とある高架下に佇む国鉄有蓋コンテナC20。
多数生産されたC20の30000番台である。
倉庫として使われているらしい。
側面に配管をしまうための小屋が併設されている。
高架下にあるためか、腐食は少ない。
とはいえ下面を中心にさびが出てきている。
塗装は当時のままと思いきや、一部は白く塗られている。
さびを防止するためなのだろうか。
田舎の高架下にありがちなスプレーの落書きがされている。
わずかに製造時の塗装が残り、富士重工製昭和54年と見える。
ブーメランマークのロゴが懐かしい。
JRになってからも活躍したらしく、JNRマークを潰して赤いJR貨物の文字が加えられている。
上屋の無い側のJR貨物の文字はほぼ消えている。
コンテナグリーンに引かれている白いラインもほとんど見えない。
個体番号は白ペンキで抹消線が引かれている。
日付は不明だが、登録の抹消と引渡しはJR貨物金沢支社で行われたようだ。

撮影場所 石川県加賀市
撮影日 2017年06月11日
  1. 2017/06/11(日) 23:50:29|
  2. 廃車・廃コン
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倶利伽羅駅の駅ノート3冊目

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倶利伽羅駅に設置された駅ノート。
最近3冊目に突入した模様である。
といっても5月に書き込まれたあと、誰も書き込んでいないようだ。
意外と時期によって書き込み数にばらつきがあるようだ。
あるいは地元の人が多く書き込んでもう書き込むことが無いのか。
スタンプを無差別に押す人間(子供?)はコレもターゲットにしたようですでに汚れている。

撮影日 2017年06月04日
  1. 2017/06/09(金) 23:57:44|
  2. 未分類
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城端線に残る高岡色の乗車案内表示

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あずき色を纏った実質3代目の高岡地域塗装。
しかしついに合理化による朱色塗装となり、その姿を消した。
しかし一部駅にある乗車駅表示にその名残を残している。
城端線ではワンマン運転を行っている。
ワンマン列車を普段使用しない人のため、そこらじゅうに乗車方法の案内が貼られている。
そのうち古いタイプでは、高岡色の案内表示が使われている。
内容は今のものと変わらない。
JR西日本とだけ書かれ、高岡地域鉄道部などの文字は無い。
微妙にこだわっており、地味にキハの種類も違えている。

撮影日 2017年06月03日
  1. 2017/06/07(水) 23:58:40|
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倶利伽羅駅のワンマン対応看板

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4年ほど前から設備の設置準備が進められた北陸本線富山~金沢のワンマン化。
第三セクター移行までにワンマン運転が行われるようになった。
このときに各駅では乗車位置表示の整備が進められた。
使用開始までは各看板などは目隠しをされ、その後使用された。
倶利伽羅駅のワンマン乗車位置看板は、いまだ真っ白のままである。
汚くなってきていて分かりにくいが、白い看板に乗車位置の文字が透けている。
この看板はホームの上下線とも同じ位置にある。
現在の運用と対応しなくなってこんな状態なのだろうか。

撮影日 2017年06月04日
  1. 2017/06/06(火) 23:58:20|
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戸出駅の井戸

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城端線戸出駅は富山県内で最も古い駅のひとつである。
明治30年開業時の姿を残す木造駅舎として、近代歴史遺産に登録されている。
戸出駅の正面向かって右手に井戸がある。
駅舎の右手はすぐに他の建物が隣接し、場所はあまり広くない。
ここに井戸が残されている。
時代を感じさせるコンクリートのつくりである。
蓋はぴったりのサイズだ。
構造物の跡が他に見当たらないので、かなり古い時代に使われていたのだろう。
あるいは井戸があるだけでバケツでも放り込んで使っていたのか。

撮影日 2017年06月03日
  1. 2017/06/05(月) 22:54:30|
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倶利伽羅駅のホーム端

170604home1.jpg

かつてより車両の数は減り、ホームが必要とされる長さは短くなっている。
北陸をはじめ全国的にホームのかさ上げや、不要部分への立ち入りが禁じられている。
このため、古いホームに立ち入れる機会も減ってしまった。
倶利伽羅駅は有名撮影ポイントである新田道のカーブがあるためか、いまだ封鎖されていない。
このホームが出来た昭和30年のホームのつくりを見ていく。
ホームの両端には長方形の敷石が使われている。
そして3列正方形の敷石が並ぶ。
ホーム中心は保線小屋などの構造物が置かれ、ない場合はコンクリートで埋められていたが、ホーム端では砂利だったようだ。
写真奥のコンクリートは現在は撤去された構造物の跡となっている。
倶利伽羅駅ホームには花壇があったが今は廃墟になっている。


170604home2.jpg

上り線のホーム敷石である。
長方形になっている敷石は、線路上に張り出している。
転落した人がホーム下に転がって助かるようにしているのだろうか。
3列の敷石はホーム端と違って下にコンクリートがないためか沈み始めている。
敷石は大きめの石が埋め込まれている。
装飾の意図なのか滑り止めなのかそれともそういうコンクリートなのか。
格子状に草が生えているがこの時期だというのにすっかり枯れている。
よほど農薬をまいているのだろうか。


170604home3.jpg

下り側の一部は雰囲気が異なっている。
三列の敷石が二列となり、残りはコンクリートである。
白っぽいコンクリートが縁との間に乗せられている。
段差がひどくなって埋めたのだろうか。
ホーム中央側には細いコンクリートの構造物がある。
一部がむき出しになっており、中はひだの付いていない鉄丸棒のようだ。
通信線があったのだろうか。

昭和30年のホームは今のように全面アスファルト埋めでは無く、中央を土で盛るタイプのホームだったようだ。
敷石を使う細かさが時代を感じさせる。

撮影日 2017年06月04日(すべて)
  1. 2017/06/04(日) 23:48:56|
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城端乗車ポスターの謎車両

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城端線や氷見線のようなローカル路線では、ワンマン乗車方式のポスターが貼られている。
いまや北陸どこでもワンマン運転が行われているのだが、城端線などでは前からポスターがあった。
かつては金沢支社管内でも高岡地域鉄道部であれば高岡カラーの車両がモチーフであった。
最近配備されたポスターは、なぜか写真のようなタイプである。
前面は明らかに521系列だが、両開き2ドアで、パンタグラフは無い。
姫新線に居るキハ127らしい雰囲気だが、窓配置がずらりである。
床下機器はぎっしり詰まっているようだ。
ポスターの他線区転用のためにどこでもいけそうな車両をモチーフにしたのか、今後北陸の末端路線にも新型車両を入れるということなのか。

撮影日 2017年06月03日
  1. 2017/06/03(土) 23:46:35|
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