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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

布市駅のホーム用電灯

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無人駅である地鉄布市駅のホームに電灯は刺さっていない。
代わりに架線柱の上に電灯が取り付けられている。
夜間は架線柱の電灯がホームを照らす。
地鉄では古い駅に見られる電灯の設置手法である。
電灯は傘のついた古いタイプである。
ただ電球は丸いのに突起が付いているので、最近のに交換されているのかもしれない。
トラス架線ステーに取り付けられている。
電源は電柱側から駅待合室へと引き込まれている。

撮影日 2017年05月03日
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  1. 2017/05/31(水) 23:58:50|
  2. 地鉄
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牛ノ谷駅前の古レール

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牛ノ谷駅は福井石川県境の駅である。
無人駅で、周りに目立ったものも無い。
この駅の前には公衆電話とバス停がある。
その横になぜかレールが突き刺さっている。
大きさは40か50kレールくらいだろうか。
柵の一部と言うわけでもないようだが、かといって何か取り付けられていた跡も無い。
何用でここに突き刺されているのだろうか。

撮影日 2017年05月28日
  1. 2017/05/30(火) 01:37:35|
  2. 未分類
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花堂駅横の敷石

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福井鉄道花堂駅は急行が通過する無人駅である。
かつては多数の線路を有し引込み線を有した巨大な駅であった。
今は2面の2線のみで、側線跡は空き地となっている。
花堂駅より福井方の空き地に、敷石が詰められている。
市内電車や、あるいは初期の頃の踏切に使われていた石のようだ。
再利用のつもりがあるならば積み上げるだろうが、ここでは文字通り敷き詰められている。
かなり長い年月がたっているようで、隙間から草が生えてきており、石も地面に埋まっている。
草を生やさず整地するためのものだったのだろうか。

撮影日 2017年05月28日
  1. 2017/05/29(月) 23:58:44|
  2. 福鉄・えち鉄
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C36-1551

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とある運送会社に佇む国鉄有蓋コンテナC36。
国鉄末期の標準的なコンテナである。
おそらく倉庫として使用されているのであろう。
屋根下で錆びにくい状況下であるためか、屋根の上にもものが乗せられている。
表記類はかなり薄くなっているようだ。
側面のJNRマーク上にJRステッカーが貼られている。
エンボス風で青地に白文字のJR貨物ステッカーである。
妻面の国鉄の文字は消されていないようだ。
屋根下のため文字の消えた次回検査ステッカーやレバー操作ステッカーが残るが、一方で札入れは劣化して破損している。
運送会社部内用の表記があるので、末期は特定輸送についていたのか、それとも倉庫としての備品表記なのか。
製造ステッカーが付いており、今は無き富士重工コンテナ部門で昭和62年に作製されたことが分かる。
同年に国鉄は民営化しているので、JNRマークの意味はあまりなかったのであろう。

撮影場所 福井県福井市
撮影日 2017年05月28日
  1. 2017/05/28(日) 23:57:51|
  2. 廃車・廃コン
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地鉄布市駅の橋

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富山地方鉄道布市駅のホーム直下には川のような用水のような水の流れがある。
鉄道会社によっては橋とカウントしないそうなので、これも橋ではないのかもしれない。
構造は、用水の上をレールがごく普通に跨いでいる。
そのうち枕木のない部分をレールと平行に鋼材を当て、鋼材をボルトで締結している。
鋼材をレールの両側から当てることで、枕木のない部分の枕木方向への力を抑えている。
橋台らしい存在ではなく、かわりに枕木が一段低い場所に落とされている。
鋼材にも犬釘が打たれ、橋台代わりの枕木に固定されているようだ。
かつては色が付いていたのかもしれないが、今はさび付いていて何色かも分からない。

撮影日 2017年05月03日
  1. 2017/05/27(土) 23:45:13|
  2. 地鉄
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石川県道145号線動橋大橋

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粟津から動橋へ向かう古い街道に145号線はある。
実際のルートはかなりぐにゃぐにゃしている。
動橋の町へ入るところで、道は古めかしい橋を渡る。
この橋は動橋大橋という。
薄黄緑色の無骨な片側一車線道路は、昭和11年製という歴史ある橋である。
残念ながら製造銘板は見当たらないが、柱に設置年が印されている。
古い文字で「いぶりはしおほはし」とある。
当時はここが街道であったため、その重要性を考慮してのものであろう。
今も現役で使用されている。
後年になって歩道が増設されたようだ。


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2つの鋼鉄製の橋げたと、ひとつのコンクリート製の橋で構成されている。
鋼鉄製の部分は太いリブとリベット打ちの鋼体が時代を感じさせる。
鋼鉄製の橋げたは動橋方が粟津方より若干下げた状態で設置されている。
中央部を高くするための仕組みであろうか。
コンクリートの橋げたは坂道を稼ぐためかかなり上下差がある。
橋脚は大き目のもので、この時代に多い小ぶりのものではない。
歩道は1969年に石川県が設置したもので、こちらは銘板がついている。
歩道の粟津方は階段とスロープにわかれており、深夜にはトラップになりかねない。
時代を感じさせる橋である。

撮影日 2017年05月21日(すべて)
  1. 2017/05/26(金) 01:57:04|
  2. 道・橋・隧道
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那珂川清流保存会の北鉄DL

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栃木県にある那珂川清流鉄道保存会。
葬儀場の裏にある広大な敷地に所狭しと車両が並べられている。
国内の車両保存としては最大の車両数であろう。
この中に北陸鉄道で使用されていた車両が保管されている。
写真のDLは北陸鉄道石川線で使用されていたDL1である。
車検シールと北鉄の社章をつけたまま置かれている。
後ろには同じく石川線で活躍したDL3が置かれている。
こちらも社章や車検シールはそのままである。
ロータリーヘッドは取り外されている。
同時期に撤去されたホムやDEもそれぞれ保管されているので、この頃は医者になった車両は実は全国で保存されていることになる。
なかなか運が良い車両たちだ。
北陸鉄道では他にも元金沢市内電車の車両も保管されている。
北陸ゆかりの車両も多く、尾小屋のディーゼルや黒部峡谷の車両も置かれている。

撮影日 2017年05月13日
  1. 2017/05/25(木) 23:53:00|
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北陸本線五十川橋梁

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北陸本線の粟津~動橋の間の田んぼ沿いにいくつか橋がある。
小規模な築堤で用水などを跨いでいるためだ。
五十川橋梁はそのうちのひとつであるが、やや変則的な構造である。
写真は海側から撮影したもので、手前が下り線である。
橋梁は3スパンで、下り線がPC、上り線が鉄骨ガーターとなっている。
古い線路は上り線で、金沢方のみにレンガの橋台が現存する。
PC橋脚は1964年の施工で、一方の上り線は1963年にガーターを交換している。
左から1スパンが道路を跨ぎ、2スパン目が川を跨いでいる。
3スパン目はただの空き地なので、なぜ跨いだのかはよく分からない。
踏み切り削減対策のために、川のついでに道もつけたのだろうか。

撮影日 2017年05月21日
  1. 2017/05/22(月) 23:52:59|
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北陸本線旧動橋川橋梁

動橋駅と粟津駅の間にある動橋橋梁。
二級河川動橋川を跨いでいる。
現在は独立した2本のガーターがひとつの橋脚を共有している。
明治30年にこの区間が開業したとき、橋はひとつであった。
1960年代の複線電化に伴う線形改良で、この区間にかかる橋は付け替えられた。


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動橋駅より金沢方面にある中島踏切。
この地点で、レールは分岐していた。
写真奥のレールはまっすぐで、付け替えた新線のカーブがよくわかる。
この地点はJR用地として封鎖されておらず、砂利敷きながら生活道路に転用されている。
写真の周辺までが、動橋駅の停車場区域となっているようだ。
線路沿いにある制御ボックスの下にはレンガが数枚あり、何かから転用したと思われる。


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この区間の線路跡の特徴として、当時の鉄道構造物がよく残っているということがある。
線路跡の山側には写真のような設備が残っている。
鉄柱を組んだもののようだ。
今は見かけないものだが、おそらくはしごをかけるのに使っていた設備であろう。
電化された路線では、架線の整備のためか、竹はしごが線路端に置かれていた。
今でもえちぜん鉄道の沿線などで見ることが出来る。
新線が開業したのは電化よりも後なので、電化後わずかな期間のみ旧線が電化されていたのだろうか。


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特筆したいのは橋がひとつ現存しているということだ。
勿論当時のガーターは取り外されていて現存しない。
しかし人道を考慮し、設備が維持されている。
橋は枕木の廃材を再利用して作られている。
歩行者のためか手すりもあるが、これは新しそうだ。
継続して整備が行われている証といえよう。
わだちがあるということは自動車が通ったこともあるのだろうか。
周辺にはレンガいくつも転がっており、この橋の改修や撤去の際にレンガを捨てたことがうかがえる。


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看板の名称は第4動橋川である。
現行線の橋についている銘板は第四動橋架道橋となっている。
築堤の石垣は明治時代の北陸本線によくある大きな石を組み合わせたものだ。
橋台は四角い大きな石とレンガのハイブリッドである。
だがレンガや石が現存するのは金沢方の一部だけで、他はコンクリートに置き換わっている。
廃止後に置き換えたのか、あるいは現役時に改修が加えられたのかは不明だ。
桁下は2メートルもない。
築堤の下にはJRの生きた境界杭がある。


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まっすぐな線路跡は平坦な道を維持したまま川岸まで続く。
線路跡には多数のレンガやコンクリート片が残されている。
一部の草むらには丸まった人程度の大きさのレンガとコンクリートの固まりも残っている。
橋かあるいは鉄道関係の構造物を撤去し、道のジャマにならない端に転がしたのであろう。
橋に比較的近い場所には、写真中央にある保線小屋か何かの跡地も残っている。
近くにはコンクリートの柱を撤去した跡も残るが、これは電化したときのものなのだろうか。
かつては写真を撮影している位置に踏切が存在していたのだが、代替路などは無く川岸に続く道はここで線路にさえぎられる。


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水色の三連ガーターが現在の動橋川橋梁である。
よく見るとそれぞれのガーターが若干違う形状だ。
写真手前にレールが存在していたが、橋台などはすべて撤去されて現存しない。
ここにもレンガのかけらが多数落ちている。
写真の手前の堤防は新しいコンクリートだが、写真左手にある堤防は古い石垣で、線路がここまであったことを伝えている。
対岸のレールがあった地点には特に痕跡は無い。


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動橋川左岸にある線路跡。
動橋川の左岸には並木道があるが、レールに近づくにつれて草に埋もれて消える。
最後は写真のようなフェンスで封鎖されている。
普通このタイプのフェンスはJRの作業員が使用するが、もはやトラックすら乗り入れられない。
境界杭が黒く塗りつぶされていることから、こちら側はJRは関与していないのだろうか。
かつてはここにも踏切があり、その名残で道が続いている。


170521ibu8.jpg

橋を渡るとぱっとしない草むらが続き、第三動橋架道橋でレール跡は途切れる。
ここにも旧線の橋があったはずだが、その痕跡はまったく見当たらない。
なぜかフェンスで厳重に封鎖されている。
写真の緑色の築堤カバーが付いているあたりで合流していたようだ。

この区間は1963年には電化していた。
複線開業は1965年である。
葬られることが多い北陸本線のプチ旧線跡で、微妙に再利用されている場所は珍しい。

撮影日 2017年05月21日(すべて)
  1. 2017/05/21(日) 23:28:08|
  2. 廃線など
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二塚駅の封じられた窓口

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城端線二塚駅は貨物輸送があった当時、JR貨物職員の詰めている有人駅であった。
貨物輸送の廃止とともに駅員も引き上げられ、以後無人駅であった。
無人駅となっても窓口は当時のまま、カーテンが閉まっているだけだった。
しかし最近になって窓口がふさがれてしまった。
JR・地方私鉄問わずよくある板を使って封鎖してしまう手法である。
石膏ボードのような掲示板が張られている。
とりあえずつけたような掲示物がむなしい。
切符をやり取りするための窓口にある板が、ここに窓口があったことをわずかに伝える。
窓口があったころ無かった設備として、最近JR西日本が積極的に設置しているお知らせの液晶パネルがある。
かつてより遅延情報などは知りやすくなった。
またひとつ、窓口のある木造駅舎が消えてしまった。

撮影日 2017年05月01日
  1. 2017/05/20(土) 20:59:50|
  2. 未分類
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坂城駅の169系保存車輪

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しなの鉄道坂城駅には169系が保存されている。
国内最後の169系はラストランを終えたのち、国鉄急行色で保存された。
フェンスは高いが状態は良好である。
その坂城駅内にある多目的スペースに、169系用の車輪が展示されている。
昭和40年に住友で製作され、以後予備品として保管されていたと言う。
169系全廃に伴い役目を喪い、この場所へと保存された。
レール、枕木、バラストとそろったちゃんとした保存である。
電動用の車輪で、歯車装置が特徴である。

撮影日 2017年05月04日
  1. 2017/05/18(木) 23:55:54|
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ぼっちのDE15-1541

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かつてJR東海が社内から機関車を駆逐した際、JR西日本に引き取られた国鉄型ラッセル除雪車DE15-1541。
富山に来てからは床下を黒に改め、冬の切り札として待機していた。
富山機関区ではJR所有のDE15とあい鉄所有のDE15がそれぞれ並んでいる。
今は貨客牽引も無いので夏は暇でゴロゴロしている。
だいたい機関車とセットの姿か、あるいはヘッドと機関車を分けて置かれている。
ヘッドは1エンド2エンドを連結しておいて置くのが一般的だが、なぜかDE15-1541は片側だけである。
米原方面のヘッドだけがぽつりと置かれている。
他はどこへ行ってしまったのだろうか。

撮影日 2017年05月06日
  1. 2017/05/17(水) 17:39:57|
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三和テッキのE2

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JR東日本岡本駅よりかつて専用線が延びていた。
高崎製紙まで行くそれは大戦ごろにナローゲージから国鉄標準に改軌された。
途中にある名門汽車製造からはレールを通じて貨車機関車が出荷されていた。
その汽車製造が川崎重工になった頃、隣の敷地に三和テッキが移転してきた。
三和テッキは鉄道の架線関係の部品を中心に作っている会社である。
近年、CSR活動の一環として鉄道車両の保存も行っている。
工場移転時に設置した都電175のほか、流浪の機関車D51-947が良好な状態で保存されている。
今年2月、新たにE2系新幹線が搬入された。
長野行き新幹線として導入されたE2もW7E7に追い出されるような状態であるが、この初期型E2の現時点での唯一の保存車両である。
車両はE223-23である。
5月13日に三和テッキの地域向け見学会があり、保存後の姿が展示された。
車庫が建設中で、雨のためシャッターを開けることも出来なかったが、窓越しに保存されている姿を見ることが出来た。
環境はとてもよく、将来が期待できる。
今後整備を終えるということである。

撮影日 2017年05月13日
  1. 2017/05/16(火) 23:59:01|
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二塚駅の貨物ホーム側線跡の枕木

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城端線二塚駅は貨物専用線を2つ持っていたほか、通常の小口貨物輸送も行っていた。
貨物側線は城端方から分岐し、駅本屋の南側から駅横に線路が伸びていた。
すでに貨物ホームだったものは埋まっていてよく分からないが、車止めを確認することが出来る。
貨物ホーム用のレールは大分前に撤去されている。
しかし地図によっては今も表示されているようだ。
そんな貨物ホームのレールだが、なぜか一本だけ枕木が残っている。
分岐地点の近くに、写真のように枕木が残っている。
わざわざ敷石もずらしているようだ。
残す理由があったとは思えないが、掘り返すと困るような配線でも埋まっているのだろうか。

撮影日 2017年05月01日
  1. 2017/05/10(水) 01:29:33|
  2. 廃線など
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平成29年5月の富山機関区EF81

170506ef81.jpg

定期運用が消えてしまった北陸のEF81。
富山機関区に居たEF81も多くが広島送りにされてしまった。
わずかに、富山機関区に残された車両が居る。
気動車研修庫の近くには
EF81-1
EF81-124
EF81-627 (元EF81-27)
EF81-628 (元EF81-28)
EF81-729 (元EF81-129)
が連結して放置されている。
改番されなかったEF81-124はナンバープレートが外された状態で、以前に増して塗装が剥げていた。
富山駅側の電気機関車研修庫では
EF81-39
EF81-715 (元EF81-115)
EF81-719 (元EF81-119)
EF81-723 (元EF81-123)
EF81-742 (元EF81-142)
EF81-748 (元EF81-148)
EF81-742とEF81-39はナンバープレート外され、ペンキ書きになっていた。
部品取りには多すぎるが、このまま朽ち果てるのを待つばかりなのだろうか。

撮影日 2017年05月06日
  1. 2017/05/09(火) 03:15:09|
  2. 貨物
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倶利伽羅駅旧ホームに柵

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倶利伽羅駅の駅舎は開業時からあるという話である。
複線電化の際は駅の横に新しく今の駅を作った。
だが古い駅舎を流用したので、ちょっと変則的な構造である。
駅舎から構内に入ると、かつての線路とホームを埋めた場所を跨いでから跨線橋に入り今のホームに降り立つ。
埋められているとはいえ、古い時代のホームを見ることが出来た。
のだがこのホームから降りると線路にまで柵が無い。
新線の貨物ホーム跡はJRの作業用スペースで、車道側からは封鎖されているのだが駅舎側からは柵が無かった。
近寄るとよくなさそうなのは見て分かるとおりだが、駅舎側から線路間際まで侵入するマニアをよく見かけた。
それを受けてか、駅舎側からも柵が設置された。
古いホームに金属製のポールがぶち込まれ、チェーンで封鎖されている。
こんなものを作るのももったいないが、安全のためと言えば仕方ないのか。

撮影日 2017年05月05日
  1. 2017/05/08(月) 23:35:54|
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千曲市の謎の動輪

170504dorin.jpg

千曲市の主要国道沿いに動輪が置かれている。
機関車は詳しくないので分からないが、ボックス動輪である。
クランクの横の穴が丸いのでD51とかが使っていたタイプである。
国道沿いの細い歩道の横に置かれており、私有地ではないかと思われる。
草が少し生えている場所にダイレクトに置かれている。
石やバイスのようなもので動かないように固定されている。
喫茶店とかのモニュメントかと思ったが、特にそういう店があるわけでもない。
敷地の端には何かの事務所があるようだが、鉄道と関係はなさそうだ。
塗装ははげていて、手入れをされている様子は無い。
タイヤに刻印があるが、さびていて何が書いてあるかわからなかった。
保存目的だったのかモニュメントとして購入されたのか。
いずれにしろ今はなんの役割も持っていないようであった。

撮影日 2017年05月04日
  1. 2017/05/07(日) 23:45:59|
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高山線キハ120の屋根塗装

高山線で活躍するキハ120。
広島から来た奴を除いて300番台である。
キハ120は経年劣化とともに屋根が赤色になってくる。


170506350.jpg

今、屋根が一番綺麗なキハ120-350。
大分くすんできたが、前面の上部の緑塗装はまだツヤが残っている。
平成27年11月の検査なので、まだ1年半くらいである。
屋根を見ると、グレーに塗られている。
退色やはがれはまだない。
基本的にこの塗装でキハ120は出場してくる。


170506347.jpg

こちらはキハ120-347。
検査は22年の2月である。
かなり退色していて、グレーはあまり残っていない。
どちらかと言うと白っぽい屋根になっているようだ。
グレーに見えるがもしかしたらそれは汚れで、屋根色が退色して白色になったのかもしれない。
この色は下地なのだろうか。
前面の緑塗装もすすけており、一部に塗装の亀裂も見られる。


170506349.jpg

そしてこちらは活躍中の車両で最も退色していると思われるキハ120-349。
屋根の色は白っぽさを通り越して赤色が所々から見えている。
艦底色みたいな色だが、屋根のさび止めの塗装だろうか。
検査は22年5月と、キハ120-347よりも若干新しい。
そのときは屋根の塗り替えはしなかったと言うことだろうか。
意外とどの車両も側面の汚れ具合は変わらない。
ステンレスであることと、洗車が可能な範囲であることが影響しているのだろうか。

撮影日 2017年05月06日(すべて)
  1. 2017/05/06(土) 23:20:42|
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踏切柵の色

170505saku.jpg

北陸の、小さい、4種から1種になったような踏切には、柵が取り付けられている。
踏切が小さく、踏切から脱輪することを防ぐためだ。
コンクリート製で、旧金沢管理局の管内に広く設置されている。
いつごろからこれらが設置されたかは知らないが、複線化された後であろう。
現在、ほとんどの柵が写真と同じようにまだら模様となっている。
もともとは黄色と黒の警戒色で塗装されていたようだ。
その後蛍光オレンジと黒の塗装に改められたようだが、今ではすっかり剥離してまだらになっている。
そうなった後はメンテナンスされていないようだ。
上部に反射板が取り付けられている。
写真はIR転換路線の高道踏切下り方だが、JR区間でも似たり寄ったりである。
コンクリート柵の横には木製柵の根元が残されている。
模型的に踏切柵で時代を再現できそうだ。

撮影日 2017年05月05日
  1. 2017/05/05(金) 23:52:30|
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D51-1001

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しなの鉄道屋代駅から歩いていくらかいったところにある更埴体育館の前に、日本国有鉄道でもっとも有名な機関車D51が保存されている。
D51-1001は1115両生産された機関車のうちの1001両目…ではない。
戦時中に生産されたD51は1001より付番されており、つまり1001号機は戦時型D51の一番機である。
戦時型は標準型より工程が省略されており、炭水車やかまぼこ型のドームにその特徴が見られる。
この個体は戦時型の特徴を残すドームなどを持つほか、長野式集煙装置を煙突の上に乗せている。
やまぐち号のC57についている集煙装置と同じ奴だ。
保存状態はとてもよいわけでもないが、今時の機関車としてはそこそこなほうである。
ライト類のガラスが失われており、製造プレートも現存しない。
車両に上がる階段は見当たらないが、機関室も破損が見られる。
しかしさびなどは壊滅的というほどではなく、つや消し黒の車体が手入れをされていることをうかがわせる。
現役時の塗装の再現は無いが、変な色に塗ると言うこともない。
赤プレートと普通のプレートがごちゃまぜになっている。
写真は体育館の駐車場から撮影しているが、公道側には解説プレートがある。
製造後新潟県内の各所を転々とし、最後だけ木曽福島に居たようだ。
羽越本線のSLラストランを担当した輝かしい経歴も持つ。
廃車後は長野県にやってきてこの場所で保管されてきたが、解体話が持ち上がっている。
更埴と書いてこうしょくと読むが現在更埴体育館は千曲市にある。
市庁舎の改築が流行っているが千曲市でもそれは同じで、この体育館を潰して新しい庁舎と体育館を作ろうと言う計画が持ち上がっている。
千曲市の資料によれば平成28年度内の着工で、30年度後半から供用開始となっている。
昭和42年築の体育館裏ではフェンスが張られ、重機が待っている。
このついでにD51を葬ろうと言うわけで、千曲市からアナウンスもされている。
この姿を見られるのがいつまでかは不明だが、何のアクションもない場合、平成29年が見納めと思われる。

撮影日 2017年05月04日
  1. 2017/05/04(木) 23:52:30|
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雨晴~伏木のべるもんた停目

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氷見線と城端線を走る観光列車べるもんた。
おなじみキハ40を改造した特別な快速である。
この列車は主要な観光が出来る駅をめぐるほか、雨晴周辺では特別停車もあるという。
雨晴海岸より伏木よりの線路上に、「べるもんた」と書かれた看板がある。
どうやら停止目標用らしい。
氷見線は車窓で有名だが、実際のところ海側から鉄道車両を撮影したり、あるいは車内から海を眺められるシーンは意外と少ない。

撮影日 2017年05月02日
  1. 2017/05/02(火) 23:52:51|
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二塚駅大門土石引込み線跡

170501dai1.jpg

かつて城端線二塚駅より砂利積み込み用の引込み線が存在していた。
1960年代の設置と見られ、同じ二塚駅の中越パルプ専用線より若干遅めの敷設である。
小規模ながらスイッチャーを所持し、入換え作業も行っていた。
比較的遅い時代まで戦前の入換え機(スイッチャー)を使用していたため、専用線マニアには知られた存在であった。
二塚駅裏にある複数の側線のうち、写真左手にある転轍機のポイントから写真右奥に引き込まれていた。
現在もポイントが残されている。
貨物輸送が完全になくなった今、どのレールも雑草に覆われ始めていた。
中線ホームの待合室裏手にはレールに下りる階段が2つあり、貨物輸送が華やかだった時代を伝えている。


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レールは貨物ホームに達する直前で途切れている。
これでは何のためにレールが残っているのか分からない。
10年以上前、このあたりに保線車両が留置されていた記憶があるが、どこにおいてあったのか忘れてしまった。
保線車両用に残してあったレールがそのままなのかもしれない。
ホームは通常のホームより高く、砂利専用ホームであることを示している。
かつてはホキ800などが横付けされていたようだ。
ホームには階段も残されているが、貨車1.5両分程度を残して撤去されている。
レールがあった場所は砂利で埋められているようだ。


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大門土石積み込み場所の入り口だった場所より撮影。
右手の黄色い柵の辺りまでがレールだったと思われるが砂利が盛られていて何も見えない。
現在はJR西日本系の大鉄が所有している土地のようだ。
貨車もレールもなくなってしまったが、この敷地には今も作業用のトロッコが転がっているなど、鉄道との縁は切れていない。
大門土石は現在も存在しており、トラックなどで輸送しているという。
平成の初めごろ、すでに引込み線は使われなくなっていたようである。

撮影日 2017年05月01日(すべて)
  1. 2017/05/01(月) 23:50:26|
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