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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

旧対山橋

手取渓谷に沿い、右岸は国道157号線が、左岸は県道178号線が走っている。
県道178号線は旧北陸鉄道白山下駅を過ぎると手取川を渡り国道に合流する。
ここに架かる橋は対山橋といい、昭和29年に架橋された赤いトラス橋である。
今では珍しくなった昭和20年代の橋だが、その横にはさらに古い時代の遺構が残っている。


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白山下駅より機回し線が伸びていた先を歩くと河川サイレンの看板がある。
この場所が、かつてのメーンストリートである。
この道から北西側は住宅に取り込まれているが、わずかにそれらしい雰囲気が残る。
北西側に進んでもすぐに壁にぶち当たり、かつて雑貨屋があったほうへ曲がり駅前に進んでいた。
逆の南東側が手取川へ向かう橋であった。
すぐにこの場所で用水を渡っていたようだが、橋は消滅している。
橋台は見当たらないが、向こう側は丸石造りとなっている。
こちらは苔むしたコンクリートである。
看板の下をよく見ると古い時代のコンクリート片が大量に残されている。
橋に関する設備を撤去した跡ではないだろうか。
文字の彫られたコンクリートもあるが、親柱だったのかは不明である。
皆破壊されていて用水を渡る橋の遺構だったかを確認することは出来ない。


20170423-2.jpg

手取川左岸に残る橋台である。
かなり立派な印象を受けるコンクリート作りである。
苔むしており、橋上部の形状はうかがえない。
木も生えているが壊れずに生き残っているのは立派である。
近所の人の話ではかつてここには青色のトラスが架かっていたと言う話である。
まだ手取川に橋がほとんど無い時代、戦後も釣り橋が作られていたと言うのに、トラスとはなかなか豪華である。
が、鶴来ですら天狗橋はつり橋だったので、どうにもそれが本当かは分からない。
あるいは今の赤い対山橋に青い時代があったのかもしれない。
写真左下に、コンクリートの下敷きになった石垣が見える。
角型の石が末広がりになっているのが確認できる。
コンクリート製橋台の旧対山橋よりさらに古い時代にも橋があったのだろうか。
ちなみにこの周辺はかつてゴミ捨て場だったという。
ゴミ処理機能のない時代は川に捨てていたそうだ。


20170423-3.jpg

右岸の橋台である。
こちらも苔むしており、上部は木が生えていたりなんだりでどうしようもない状態だ。
写真は現対山橋から寄って橋台をとらえたものだ。
この垂直な橋台を壁式と呼ぶそうだ。
気になるのは橋台のかかり部と呼ばれる桁が引っかかるところである。
ここには現在の橋と同じ長さの大きな橋が架かっていたと言うのに、その割りに橋かかり長が短い。
測定することは出来ないが、今まで見てきた廃橋より全然短いような気がする。
コンクリート製橋台ともあって比較的新しい時代の橋と思われるが、この耐荷重性の無さが昭和29年の新橋設置を呼んだのだろうか。
現在の対山橋には銘板が着いており、石川縣建造の誇らしげな文字のほか、内示(昭和14年)一等橋の文字が見える。
昭和14年に一等橋は13tの荷重に耐えうるように設計しろと言う決まりが定められた(鋼道路橋設計示方書案)ことを示していると思われる。
古い橋は昭和29年において一等橋の資格を持っていなかったということだろうか。
ちなみに昭和31年に基準が改正され、一等橋は20t、二等橋は14tの基準が新設されている。


20170423-4.jpg

右岸の、かつて橋があった場所から撮影したものである。
今の橋よりも大分高い場所になっている。
足元は大きな石がゴロゴロしている。
角張っていて、石垣か何かに使われていたもののようにも思えるが、とにかくたくさんある。
別の場所からここに捨てたのだろうか。
国道からここに来るときは急な左カーブを描いてくるのだが、新橋を作るとき手前で曲がるようにしたらしい。
おかげで古い橋への道はすっかり埋もれてしまった。

橋台や道の幅からして自動車一台分といったところで、自動車が通る時代に作られたものである。
金名線の前身金名鉄道は昭和2年に全通しており、それ以降白山下駅はさらに山奥へ行くための中継基地となっていた。
生活手段としては勿論のことレジャーや戦後の自衛隊演習などバスの利用者は多かった。
対山橋はその時代鳥越村やそれより山側へ行くための重要な橋だったのだろう。
白峰方面には鉄道開業以来バス路線が設置され、そのための道路工事もおこなわれたということで、コンクリートの作りもあってその時代のものと思われる。
金名鉄道創始者の小堀定信は金名鉄道とともに周辺道路も整備したと言うが、そのときのものだろうか。
北陸鉄道以前の金名線やその周辺道路は分からないことが多く、気になることだらけである。

撮影日 2017年04月23日(すべて)
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  1. 2017/04/28(金) 23:56:17|
  2. 道・橋・隧道
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石川線おいでよ白山ヘッドマーク

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北陸鉄道石川線を走る7102+7112のコンビにヘッドマークが装着されている。
白山開山1300年を記念したものだ。
いつものようにアクリルのヘッドマークである。
北陸鉄道では1300年記念を推しているようだ。
鉄道ではヘッドマークだが、バスでもマスクを装着している。
ほかに、バスにステッカーが張られている個体も存在する。

撮影日 2017年04月23日
  1. 2017/04/27(木) 23:10:22|
  2. 北鉄
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河合鉱山前の古レール

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河合鉱山は石川県白山市にある鉱山で、陶器のための陶石を掘り出している。
かつてはこの鉱山から鉱石を鉄道輸送していた。
鉱山入り口にはホッパーがあり、すぐそばの北陸鉄道金名線大日川駅から積み込みをしていたと言う。
今もホッパーが現存しており、廃線マニアには知られた存在だ。
地図上近そうに見える能美市のいしかわ動物園裏と白山市河合は、一見結んでくれそうな県道297号線がこの鉱山で分断されている。
そんな河合鉱山は勿論部外者立ち入り禁止だが、その入り口に古レールが使用されている。
写真の土壁を押さえている支柱はすべて古レールだ。
また出入り口の看板なども古レールで作られている。
他にも林の中などにレールが投棄されている。
レール高は10センチも無いので、15kとか22k程度しかないようだ。
かつて鉱山でレールが使われていたのだろうか。
あるいはホッパに引き込まれていた大昔のレールなのだろうか。

撮影日 2017年04月23日
  1. 2017/04/26(水) 23:38:33|
  2. 未分類
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ワラ10758

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とある敷地に佇む国鉄有蓋貨車ワラ1。
ワム80000に次いで多数製造された鋼製有蓋貨車である。
この個体は倉庫として使われているようだ。
施錠はされておらずオープンな感じである。
かなり塗装が劣化してきている。
車体番号こそ読み取れるが、他の表記は剥がれ落ちて読むことは出来ない。
側面は腐食が進み下部がすっかり落ちてしまっている。
倉庫としての耐用はギリギリそうだがどれくらい活躍してくれるだろうか。

撮影場所 石川県小松市
撮影日 2017年04月16日
  1. 2017/04/21(金) 23:54:25|
  2. 廃車・廃コン
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北陸新幹線梯川橋梁

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北陸新幹線敦賀開業の工事が進みつつある。
すでに用地買収とともに住宅などの撤去が進んでいる。
先行して行われているトンネル工事に続き、橋梁の工事も始まっている。
手取川ではすでに橋脚が出来上がっているが、梯川でも基礎工事が始まった。
写真は金沢方から敦賀方面を撮影したものだ。
左手に北陸本線の梯川橋梁がある。
現在はまだ基礎工事の段階で、橋脚は無い。
完成後はここで川を跨ぎ、続いて北陸本線を跨いで山側に移る。

撮影日 2017年04月16日
  1. 2017/04/20(木) 20:14:47|
  2. 未分類
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JA339J

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小松空港へ着陸するJAL機。
機体はB737-800である。
よく738と略される。
B737は50年前に設計された飛行機で今も改良されて製造され続けている。
この機体は右端にユニセフの文字が入れられているようだ。
時間からして羽田発小松行きのJAL189便と思われる。

撮影日 2017年04月16日
  1. 2017/04/18(火) 23:15:41|
  2. 航空
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粟津公園のディーゼルエンジン

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北陸本線粟津駅に程近い粟津公園には尾小屋鉄道の車両が動態保存されている。
遊具扱いなので無料であり、乗りやすさと親しみやすさは全国屈指の保存鉄道であろう。
小松市のパンフレットはボンネット車両やサイエンスヒルズこまつを推すが、こちらのほうがはるかに珍しく面白いと思う。
だが運行日が限られていて、いつでも見れるわけではないのが難点か。
車両の倉庫は平成3年に作られているのだが、その横にディーゼルエンジンが展示されている。
国鉄という文字がある一方文中に昭和59年以降とあるのでそれくらいの時期の看板か。
全体的に激しくさび付いており、パーツは一部さびで穴が開いている。
ベルトは欠落しているのか存在しない。
銘板は劣化していて読みづらいが、4サイクルディーゼルエンジンであることが分かる。
三菱日本重工業川崎製の文字が歴史を感じさせる。
エンジン単体ではなく、写真右手には変速機が付いているなど、一通りのパーツが付いている。
機関調整表も現存している。
どの銘板も昭和27年となっているので、DC121機関車についていたものであろうか。
ボロボロであるが、なんとかしてほしいものである。

撮影日 2017年04月15日
  1. 2017/04/16(日) 18:45:07|
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倶利伽羅~大聖寺ICカード対応

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15日、倶利伽羅~金沢~大聖寺間において、ICカードの対応が始まった。
ICOCA等のICカードへの対応はあいの風とやま鉄道では先行して行われていたが、他は未整備であった。
また、併せて高岡~新高岡の間もICカード対応となった。
これによりICカード対応区間は大聖寺~越中宮崎となり、石川県と富山県の旧北陸本線をカバーした。
同区間においては会社が異なってもICカードの使用が可能である。
従来どおり、大聖寺~越中宮崎を外れ、対応していない福井やあるいは別カードエリアの新潟などへ行くことはできない。
この整備に併せ、IRいしかわ鉄道ではオリジナルICカードが登場した。
定期券はこれまでどおりの名刺判のものもつかえるが、ICカードに変更することも出来る。
ICOCAは飲料自販機などにもつかえるのだが、写真の粟津駅駅舎にある6つの自販機はいずれも非対応であった。

撮影日 2017年04月15日
  1. 2017/04/15(土) 21:05:44|
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小松駅の新幹線工事と遺跡

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小松駅のコマツ側で、新幹線工事の準備が行われている。
小松駅には北陸新幹線の駅が併設される予定だ。
工事の下準備として、遺跡発掘がおこなわれている。
写真を見ての通り、駅予定地にはダイレクトに遺跡がある。
八日市地方遺跡と言って、弥生時代中期のものだという。
住居跡から墓地跡まで何でもそろっているようだ。
どうやらこの周辺は水が豊富なおかげで栄えたらしい。
せっかく出てきた遺跡であるが、新幹線工事のジャマなので消えてもらう予定だと言う。

撮影日 2017年04月13日
  1. 2017/04/14(金) 23:06:53|
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あい鉄の乗車位置表示

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あいの風とやま鉄道では、ホーム上に乗車位置のステッカーを貼っている。
JR時代は大きな駅にしか設置されていなかったが、今は写真の呉羽駅のような小さな駅にも設置されている。
あいの風とやま鉄道は2種類の旅客車両を有している。
521系と413系で、それぞれドアの位置が異なる。
このため、ステッカーではAとBに分けて表示している。
JR時代に設置された駅では古いものを流用しているが、あい鉄で新設された駅では、写真のような小型のステッカーで対応している。

撮影日 2017年04月09日
  1. 2017/04/12(水) 21:09:21|
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高山線キハ120のドア部カバー

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高山線のJR西日本管轄区間である富山~猪谷にはキハ120が走っている。
キハ120は旧型の気動車を置き換える目的で製造された軽快気動車だ。
仲間が西日本管内の各地に居て、北陸では他に大糸線と越美北線に居る。
この車両はドア部が折り戸になっている。
北陸にはあまり似合わなさそうな仕様である。
この折り戸はバスの折り戸などと同じくシリンダを使って開閉している。
バスと同じようにむき出しの状態で使用されていたが、今はカバーが取り付けられている。
布製で、ドアとともに移動する。
むき出しの頃は傘などが挟まる恐れもあったが、これならばドアとの間にねじ込まない限り安心だ。
装置の根元は運転席の下にあるが、そちらは椅子の下と言うこともありカバーはない。

撮影日 2017年04月09日
  1. 2017/04/11(火) 21:00:56|
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猪谷駅の神岡鉄道のペイント

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10年と少し前に廃止した神岡鉄道。
高山線猪谷駅から神岡に向けて分岐していた。
今では駅構内にあった神岡鉄道用のレールはすべてはがされている。
ホームには柵が設置され、駅名板も無くなった。
神岡鉄道の匂いはここ10年で消えてしまったが、わずかに残るものがある。
高山線のみとなったホームに、神岡鉄道と赤い文字でペイントがされている。
先端には矢印があり、今はレールのなくなったホームが神岡鉄道の乗り場であったことを伝えている。
かなり古いものらしく、薄くなっていてほとんど見えない。
いつか駅利用者の靴に削られ、完全に消えてしまうことであろう。

撮影日 2017年04月09日
  1. 2017/04/09(日) 18:17:45|
  2. 廃線など
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おくひだ1号復活する

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富山県の端にある高山線猪谷駅から分岐し、岐阜県神岡へと延びていた神岡鉄道。
旧国鉄神岡線を第三セクター化した路線だったが、2006年秋に廃止された。
その後一部の線路跡は軌道自転車などで走行できる観光鉄道に転用された。
そして路線活用を目指すNPO法人などの活躍により、廃止から10年たったこの日に車両の復活運転が実現した。
神岡鉄道は旅客ディーゼルカーを2両所有していたが、その両方が神岡鉱山前駅跡の車庫に保管されていた。
このうちのおくひだ1号を復活させ、実際に走行を行った。
途中から雨が降り、また複数の鉄道イベントと重なる日であったが、沿線には多数の鉄道マニアや報道関係者が訪れていた。


170408okuhida.jpg

特製ヘッドマークを掲出したおくひだ1号は神岡鉱山前から出発し、数百人が見守る中奥飛騨温泉口まで走行した。
奥飛騨温泉口では地元有力者が多数集った式典が行われた。
車内の見学も可能となっており、現役時と変わらぬ車内を見ることが出来た。
その後一駅区間である神岡大橋駅まで抽選で当選した人を乗せた運転を数往復行った。
奥飛騨温泉口駅には多数の出店があり、多くの人々でにぎわった。
この日のための鉄道グッズや、かつて駅の中で飾られていたと思われる鉄道模型も販売されていたようだ。
沿線にはスタッフが相当数派遣されており、地元の力の入れようが感じられた。
今後はいつもどおりの自転車運転用の路線に戻るが、今後の車両の動きに期待したい。

撮影日 2017年04月08日(すべて)
  1. 2017/04/08(土) 23:51:53|
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敦賀駅の日本海停止位置表示

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寝台特急日本海は青森と大阪を結んだ夜行列車だった。
廃止後は24系6両編成で臨時列車として運行されたが、誰もが予想したとおりすぐに消えた。
そんな6両編成時代の名残が敦賀駅に残っている。
比較的最近のタイプの停車位置表示には6両編成6号車と日本海の文字が見える。
もはや客車が存在していないので、日本海が走ることは無い。
はがし忘れているのか、この表記はずっと残されたままとなっている。
あるいはEF81の付け替えをしていた敦賀だからこそわざとそのままにしているのか。

撮影日 2017年04月01日
  1. 2017/04/06(木) 22:59:29|
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粟津駅の禁煙看板

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粟津駅は地下道でホームをつないでいる。
跨線橋はない。
この地下道に禁煙を示す看板が付いている。
のだがなぜかややこしい書き方をしている。
文字だけ拾うと地下道終日喫煙コーナーである。
元は(終日)禁煙のマークだけだったのだが、何か苦情があったのか喫煙コーナーの存在を付け足している。
喫煙コーナーは金沢よりのホーム上にある。
蛍光ペンの色がいよいよ薄れてきたら、もう何がなんだか分からなくなりそうだ。

撮影日 2017年04月01日
  1. 2017/04/02(日) 17:49:06|
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