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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

敦賀機関区新幹線工事中

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敦賀駅の裏に広大な敷地を持っていた敦賀機関区。
今は車両もなくがらんとしている。
ここで新幹線工事が本格化している。
敦賀機関区跡地は北陸新幹線敦賀駅となる予定である。
一部は更地になり、土が盛られている。
給水塔や上屋と言った大きな建物には手をつけていないようであった。
写真奥は現役の保線車両である。
今後どのようなタイミングで工事が進んでいくのだろうか。

撮影日 2017年03月30日
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  1. 2017/03/31(金) 21:40:32|
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大聖寺駅の池

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大聖寺駅と動橋駅はかつて特急停車駅として争っていた。
争っていたと言うか両方に止めていた。
理由は温泉へのアクセスで、両駅から北陸鉄道が路線を延ばしていた。
しかし2駅しか離れていないのに特急まで止まる無駄さに、金沢管理局は加賀温泉駅を作ってそこに特急を止めた。
おかげで両駅の温泉輸送は衰退し北鉄電車も消えていった。
動橋駅の衰退と言ったらとんでもない状態だが、大聖寺は比較的特急駅時代の姿を残している。
国鉄時代のこだわった駅にあった池が大聖寺駅には今もある。
駅本屋のホーム側で、植物とも手入れをされている。
柵で囲まれている半分は庭園風となっているようだ。
池の中には魚も泳いでいる。
今ではあまり見られなくなった設備である。

撮影日 2017年03月30日
  1. 2017/03/30(木) 23:48:22|
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旧金屋トンネル

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国道156号線を小牧ダムから高岡方面に向かうとそれと出会う。
高岡側のからでは捕捉しにくいが、この季節であれば小牧ダム側からだとなんとなく分かる。
普通、旧トンネルと言うのは厳重に封鎖がなされるものだが、これはされていない。
道も、途中までなら車でも入れそうな雰囲気だ。
小牧側は写真のように土砂崩れが何年も前からあって、人しか入ることは出来ない。
旧金屋トンネルは昭和18年と言う太平洋戦争真っ盛りの時期に竣工したらしい。
ポータルの額には左から文字が刻まれている。
ポータルはぽっきり半分くらいにひびが入っている。
内部は地面と言う地面が頭とか拳くらいの大きさの石で埋め尽くされている。
ちょっと変わったつくりで、中央部は支柱を先に作ってから隙間を埋めるような形で側面を作ったらしい。
その一部分が激しく崩壊している。
天井にもひびが入り絶えず水が滴り落ちている。
入れと言われても入りたくない。
どう見ても危険でいまさら迂回路にもつかえなさそうなものだが、どうして封鎖していないのであろうか。
写真右手はさらに昔の道があったと思われるがもう何も見えない。

撮影日 2017年03月24日
  1. 2017/03/29(水) 22:04:53|
  2. 道・橋・隧道
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C20-41790

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とある場所に佇む国鉄有蓋コンテナC20。
改良の加えられた40000番台で倉庫に使われていると思われる。
だが扉は開けっ放しでなかなか無用心だ。
見ると内張りのベニヤがはがれ始めている。
現役の頃そのままの塗装となっているようだ。
JR化後も使用されていた個体の様で、JNRマークが緑色のペンキで塗りつぶされている。
JNRマークのある面の反対側にJR貨物の赤い表記が付け足されている。
JRになったときによく見かけたタイプである。
徐々にさびが広がっており、薄い板は壊れてしまっている。

撮影場所 富山県黒部市
撮影日 2017年03月26日
  1. 2017/03/28(火) 20:51:44|
  2. 廃車・廃コン
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北陸本線黒部川橋梁旧線

北陸本線黒部川橋梁は生地駅の直江津寄りにある。
1910年の泊駅開業時に完成したトラス橋であった。
橋の全長は2448ftで、開業時において国内トップクラスの長さであった。


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生地駅より直江津よりの飛騨踏切である。
この周辺で線路が分岐していた。
写真後ろの線路沿いには丸い石が使われており、コンクリートを使う現在の鉄道線構造物と異なる。
旧線時代の線路の端と思われる。
写真右手に旧線が延びていた。
新線は当時あった引込み線の関係だろうか、今よりも緩やかなカーブになっていて、外側を走る。
旧線は生地駅を出ると築堤を駆け上がって黒部川の堤防に上がっていたが、かなり早い段階で田んぼに戻されており遺構は無い。


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黒部川右岸より左岸の米原富山方向を見る。
この地点から橋梁が架けられていた筈であるが遺構は見当たらない。
堤防はかさ上げされているようで、こちらのほうにも特別な遺構は無い。
明治時代の黒部川の写真を見ると、今ほど堤防は高くなかったようだ。
右岸では新線と旧線が接近するが、左岸ではカーブの関係上少し離れていた。
新線は複線トラスのどっしりしたもので、1964年の製造である。


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橋梁の直江津方には若干の遺構が現存する。
写真の第1高畠橋梁跡が第一の遺構である。
富山方の橋台は存在しないが、直江津側については現存している。
橋台がコンクリートであるため、開業時に作られたものではなく、後に付け足されたものであろうと推測する。
あるいは改修工事で橋台のみコンクリートとなったのか。
築堤のよう壁は四角の石を組み合わせたタイプである。
このタイプの擁壁は地域によって若干の差があるが、ここのは特徴に乏しいものである。
このあたりには国鉄境界杭が残されていて、築堤横の道も厳密にはあい鉄のもののようだ。


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少し行った先にあるのが高畠第2橋梁である。
新線は2スパンだが、旧線は1スパンだったのかそれとも橋脚を撤去したのか。
こちらも橋台はコンクリート製である。
橋台は根元が少しせり出しており、垂直ではない。
擁壁も先ほどと同じく石造りである。
旧線と新線が接近しているため、新線側は築堤が撤去され、コンクリートに囲まれて新線と融合している。
新線は1964年の夏ごろに作られたようだ。
1972年の航空写真を見るとこ、この橋梁より直江津よりの築堤上で新線と旧線は合流していたようだ。


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合流後に最初に通過する本村架道橋である。
海側からの撮影であるが、どちらにもコンクリート製の橋台がついている。
銘板を見ると、他の場所の構造物より若干遅く、1964年の末から1965年初にかけて施工されている。
ここがよくわからないが、新線切り替えの最中に旧線に接触するこの場所も工事をしたと言うことなのだろうか。
あるいは旧線は写真奥に存在し、撤去されてしまったのか。
しかし本村架道橋付近の境界杭は前出2つの遺構周辺の場合と異なり現在の築堤に沿っている。
少し面倒な切り替え工事をしたのかもしれない。

この区間が複線化されたのは1965年の春で、夏には電化も行われている。

撮影日 2017年03月26日(すべて)
  1. 2017/03/27(月) 01:13:59|
  2. 廃線など
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タキ52610

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とある場所に佇む国鉄私有タンク貨車タキ2600。
トラック用と思われる廃タンクに囲まれている。
これだけは、鉄道貨車から切り取られたタンクだ。
タキ2600は国鉄の私有タンク貨車として多数製造された。
タキ52610は信越化学用で使用された。
側面には昔からの信越化学工業の文字と、最近の製品でよく見かけるブルーのShinetsuロゴが取り付けられている。
屋根のドームの周辺に手すりは無い。
製造は昭和38年で日本車両の製造である。
信越化学とあって常備駅は信越本線黒井駅だ。
黒井駅で一番最後に残った専用線が信越化学の専用線のはずだが、とすれば20年近く前にはすでに廃車だったはずだ。
内部ゴムライニングの表記や化成品分類番号がやたら新しい。
薄れていて読めないが製品上化成ソーダ専用だったと思われる。
特に使われている様子は無いが、何の用途で縁もなさそうな北陸へやってきたのだろう。
車体は激しくさびており、状態は極めてよろしくない。

撮影場所 富山県黒部市
撮影日 2017年03月26日
  1. 2017/03/26(日) 23:57:38|
  2. 廃車・廃コン
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開田高原の木曽森林鉄道保存車両の変化

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岐阜県高山から中央本線の木曽福島に向かっていくと、開けた場所がある。
そこが開田高原で、木曽の観光地的なところでもある。
本州では唯一となった在来馬の木曽馬が育てられているところだ。
またコメが育たないと言われていた木曽であるが、ここでは開田に成功している。
ということを記念する資料館が開田高原にある。
木曽町開田高原郷土館という名前で、国道沿いにある。
この郷土資料館の前には木曽森林鉄道で使われていた車両が3両保存されている。
今でこそ保存鉄道だけだが、かつての木曽森林鉄道はすさまじい路線延長を有していた。
JRの駅からかなり遠い開田にも木曽森林鉄道が走っていたのだ。
この車両の周辺が現在整備中である。
車両は10年ほど前に手入れをしなおしたのだが、今回は車両の手入れとは別のようだ。
機関車は元の場所にあるが、客車と貨車それぞれ一両は別の場所に直置きされている。
保存場所を変えるのか、それとも別の工事のジャマなので動かしているかは不明だが、壊すわけではなさそうだ。

撮影日 2017年03月23日
  1. 2017/03/25(土) 23:58:22|
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小牧ダムのコンベア跡

庄川流木争議というのがある。
庄川流木事件とかとも言われ、割と有名な事件なのでいろんな資料があるのだけれども簡単に言うと利権争いである。
代々庄川を使って木材を流してきた業者と、ダムを建設する業者が対立したのである。
ダムが出来ると水の流れがせき止められて木材を流せない。
木材を流す利権がなくなると木材側が訴えたのである。
県・電力は解決策としてダムがあるところだけ別の手段で木材を運び、また川に流すと言うことにした。
それでも利権がなくなる側はもめたのだが、木材を岐阜県側に輸送することで話は決着した。
その決着するまでの間、ダム側が建設し運用していたのが小牧ダムのベルトコンベアである。
上流から流れてきた流木をコンベアを使ってダムを超えて、先にある鉄道のホームにまで送り込むのだ。
この遺構が今も残っている。


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小牧ダムは大正15年に着工許可を得て、昭和5年にたん水がおこなわれている。
このときからこの水位が道の基準となったわけだ。
写真は小牧ダムの上から上流を向いたところである。
左側が木材を引き上げる側のコンベア跡である。
右側の岸壁が段々になっていて、かつて何かあったことを示している。
流木を維持管理していた頃はここから人が降りたりしていたのだろうか。
今は流木やら石やらがおいてあってごちゃごちゃしている。


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コンベアーの引き上げ側の遺構である。
このアングルの写真は、けっこういろいろな人が撮影している。
見ての通り今はローラも何もなくコンベアとしての機能は無い。
スロープにはスリットが入っており、昔はコンベアだったことを伝えている。
コンベア遺構の上にある建物は現役当時存在しなかったようだ。
コンベアの足元にはしけをおいて、そこで木材を集めて流していたようだ。
小さな装置に見えるが、建設中も木材を運んでいたので、この下にも当然スロープがある。
壮大な装置だがもはや見ることは出来ない。


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ダムの上を歩いてコンベアのあった場所を見る。
コンクリート壁がここだけ段差になっている。
また、地面にはしっかりとラインが入っている。
コンベアを撤去した後、切り欠けを綺麗に埋めたと言うわけだ。
埋められたほうにだけコケがたくさん生えていてなんだか意味深である。
コンベアはダムに対して直角ではなく、斜めに作られていたことがわかる。
木材置き場との位置関係を考えると仕方ないのだろうか。
現役時はこの場所に建物があったようだ。
ダムの上にコンベアがあるのに人はどうやって移動していたのだろうか。


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コンベアのあった場所から真下を見たのがこの写真である。
写真中央の建物の左側にあるのがコンベアの基礎のひとつである。
鉄骨をもぎ取った跡が今も残っている。
そして写真中央に左手に木材を置き、スロープを転がして下部の踊り場で貨車に積み込んでいた。
スロープ上にある基礎は、当時あった建物の基礎のようである。
スロープは写真の通り今も残っている。
ただ、貨車への積み込み場所はなくなっており、ホームなどもない。
貨物駅は今の平場となっているところで、写真右手となる。
よく見かける木材積み込み場所の現役の頃の写真は、ここより右側で撮影されている。


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156号線の横から、小牧ダムを撮影した写真。
この場所はガイシではないかと思われる破片が敷き詰められた広場になっている。
ダムの出っ張りはコンベア支柱の基礎のひとつである。
この場所と荷揚げ場の間はかなりの坂だが、観光鉄道時代はどこから人を上げたのだろう。
時刻表を見ると、だいたいこの駅と遊覧船の時間は20分ほど取られているようだが。
ここで積み込んだ貨車がそれぞれの町へと向かうと思いきや、発電所を通り過ぎた後でまた川に放り込む。
これは用水の利権が絡んでいるからで、木材は青島で引き上げられてそこから鉄道に乗せて運ばれた。
それが木材価格に転嫁されるのだから馬鹿馬鹿しいのだが当時の人々は大真面目にそれぞれの利権やら生活やらを守ろうとしたのだろう。
いや、なんとなくなこういう感じの非合理さは今でもやっている気もする。

この装置だが基本的に冬のみ稼動した。
そして岐阜側に搬出する用意が整うと徐々に使われなくなった。
ついでに木材側が輸送能力を破壊する目的で多量に伐採したため、翌年からの数が減ってしまった。
等の理由から昭和14年には接続側の鉄道が廃止される。
施設がいつまで残りいつまで稼動したかは不明だが、昭和18年に当時の県知事が富山港への転用を申し出ている。
戦時中まったく使っていないこのコンベアを視察して無駄だと思ったわけである。
立派な装置だが、活躍を見るとなかなか不遇だったのではないかと思う。

※注釈
石動駅から庄川町まで砺波鉄道が存在した。
(砺波鉄道は戦時大統制を経て加越能鉄道となり、昭和47年に廃止されている)
終点の庄川町(当時は青島)から、小牧ダムの建設のため庄川水電が鉄道を敷設していた。
庄川左岸沿いに建設され、小牧ダム直下(写真4枚目)に終点が存在した。
ダム建設資材の輸送後は木材輸送と観光輸送のために残された。
しかし観光輸送は振るわず木材輸送も減ったため昭和14年に一部区間が廃止された。
戦後この路盤を生かす計画も立てられたが頓挫している。
機関車はそれぞれ北陸の鉄道に払い下げられたがすべて解体され現存しない。
廃線跡は道路転用などされていて歩けるところもある。

撮影日 2017年03月24日(すべて)
  1. 2017/03/24(金) 23:56:10|
  2. 廃線など
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松本電鉄新村駅解体

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松本電鉄の途中駅である新村駅。
松本電気鉄道の前身の前身である筑摩鉄道が大正10年に建築した。
松本電鉄は物置に木造貨物を使っていたり、日本でもっとも古い電車(のちのハニフ1)を保管していたりと物持ちが良い事で知られる。
新村駅も筑摩鉄道時代の社章が駅正面に残り、文化財級と称される駅舎であった。
が、新駅舎を建築の際に解体ということになった。
今週の月曜に最後の公開が行われ、以後解体工事が進んでいる。
この日は屋根のかわらを取り除く作業が行われ、作業員に取り除かれた瓦が次々とトラックに投げ入れられていった。
窓ガラスなどは取り除かれ、外に放り出された機材が寂しさを感じさせた。
つくりを眺めればなるほど戦前の建築である。
この駅の特徴だった社章だけは取り外されているようだ。
松本電鉄が保存してくれるのだろうか。

撮影日 2017年03月23日
  1. 2017/03/23(木) 23:51:56|
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乗車口掲示のサンダーバードの絵

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北陸の乗車位置表示のうち、サンダーバードだけはなぜかイラストが付いている。
しらさぎやはくたかにはついていない。
1995年にサンダーバードとして登場して以来、この車両は北陸本線の顔である。
当時681系はサンダーバードにしか使われていなかったからだろうか。
サンダーバードの大半が683系になってからもこのままとなっている。
拡大すると実にシンプルな線で描かれていることがわかる。
前面窓の上をへこませて車体ラインに合わせない表現もなかなかだ。
この調子でいろいろな車両のデザインがあればもっと面白かったのだが今となってはもう車両形式が増えることも無いだろう。

  1. 2017/03/22(水) 23:54:02|
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野々市工大前ホーム上の架線柱跡

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よくあるのだが、木製架線柱からコンクリート製架線柱に交換するとき、木製架線柱の根元を切断するのだ。
根元が深いので掘り出すのが面倒と言うことなのだろう。
コンクリート製や鉄骨製でも、根元をぶった切ったかけらを線路端に残す。
北陸鉄道も近年の改修で大幅に木製架線柱を減らし、その切り株ともいえる存在を沿線のあちこちに見ることが出来る。
野々市工大前駅は金沢工大に至近の駅で、他駅よりも比較的大きな上屋を持つ。
上屋は3段階に分けられて設置されている。
一番出口に近いものは鉄製で待合室の上に覆いかぶさっている。
隣は古レール製で、一番古そうだ。
もっとも出入り口から遠いところは新しいと見え、鉄製で根元のコンクリも盛ってある。
その新しい上屋の根元に架線柱の切り株が顔を出している。
この場所を中心にひび割れが発生しているが大丈夫なのだろうか。
なんと上屋の柱の根元が架線柱と一部接触していて、根元のほうが譲って少し隙間を空けている。
なんぜこんなところに設置してしまったのか。
架線柱はその後撤去されたようで、上屋の柱根元付近のみ切断面が異なる。
上屋があると架線柱の撤去は困難そうだが、根元を作ったときには上屋は完成していないとおかしい。
どうやったのだろうか。

撮影日 2017年03月17日
  1. 2017/03/21(火) 23:54:43|
  2. 北鉄
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金屋石の索道跡

庄川水記念公園から庄川を挟んだ場所に、金屋石採掘所の跡地がある。
冬を過ぎたこの季節は木々が少なく、口をあけた四角の坑道がよく見える。
有志によってかけられたしめ縄が目印である。
金屋石はこの周辺のみで取れる石で、加賀藩政期には金沢城の築城に用いられた。
当時は川を使って海に出て、能登半島を迂回して金石まで運んでいたという。
富山県内を中心としてさまざまなところに使われたが、今ではもう使われていないらしい。
庄川水記念公園では金屋石にちなんだパンフレットを配布している。
採掘所は庄川を挟んで急峻な斜面にあり、なかなか厳しい地形である。
かつて、この採掘所から対岸まで索道が引かれていた。


170319iwa1.jpg

道路沿いに、索道にはだいたいある基礎部がある。
索道のワイヤーの張力をここで引き受ける。
かつては柵があったのか、敷地の周りに若干の杭があるので遠目に観察した。
台形の基礎部分には上部に何かを固定したと思われるでっぱりが2セットある。
反対側はワイヤーの固定部だが、3つある固定部のうち2つには太いワイヤーが残ったままとなっていた。
他に境界杭らしきものや鉄骨が刺さったままの基礎が数個転がっている。
基礎部の向きから、しめ縄のある坑道ではなく向かって右側の坑道当たりに反対側があったのだろうか。


170319iwa2.jpg

基礎より川側には複数の石が残されている。
面白いのは石造りの瓦や壊れた石管が残っていることだ。
拾って持ち帰れば犯罪だがなかなかもったいない。
普通、石を下ろしてから加工すると思うが、加工してから下ろしたのか、それともついでに捨てたのか。
石管などはこの施設が出来たころには作らないと思うが、金沢城復元の際の製作だろうか。
勿論普通の切り出したらしい石もたくさん転がっている。
写真の右端奥には石と一緒に鉄の部品が転がっている。
滑車と支持器と思われるが、茶色にさびていて時の流れを感じさせた。

インターネットから町史より引用した画像を見つけた。
かなり小規模な索道に見えるが、大きな石は運ばなかったのだろうか。
詳細を示す便利な文献が見つからなかったが、引用の無いウィキペディア曰く昭和30年ごろの設置という。
当時、ここにあった線路はとっくに廃止され、石造りも下火だったと思われるが、どの程度活躍したのだろう。
施設が小さすぎて航空写真では確認できなかった。
立派なパンフレットとは裏腹に、特に触れられることもない小さな遺跡である。

撮影日 2017年03月19日(すべて)
  1. 2017/03/19(日) 23:44:52|
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道の駅メルヘンおやべのコインシャワー

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国道8号線沿いにある道の駅メルヘンおやべ。
大型車が倶利伽羅峠にアタックする前に休憩するのを見かける場所だ。
内部には比較的大きな土産物売り場がある。
出来たころは大きい気がしたが、いまではあまり珍しくない規模かもしれない。
珍しいのはシャワーが設置されているところだ。
利用は9時~7時45分までとかなり長い時間である。
清掃のためだろうが7時40分までには出て欲しいということだ。
価格は10分で200円となっている。
売店ではタオルやシャンプーも売っている。
車中泊や長距離ドライバーには便利な設備だ。
他の設備にも広がって欲しいところである。

撮影日 2017年03月18日
  1. 2017/03/18(土) 23:58:51|
  2. 道・橋・隧道
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北鉄野々市工大前駅の花壇

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北陸鉄道の今ある路線はどれもホームが新しい。
今活躍している車両が1990年から導入され、それに伴ってかさ上げをしたからである。
その頃すでにほとんどの駅が無人化され、何かこだわりを持った駅作りというのは無かった。
しかし、一部の駅には花壇が設置されている。
野々市工大前駅の西金沢よりの一番端に花壇が存在している。
この場所に列車は停止せず、また道もないので、人が立ち寄ることは皆無である。
なのに花壇を作ったということは、当時は人がこのあたりまで来るという想定でもあったのだろうか。
野々市駅のように管理されている花壇ではないのか、どうにも殺風景である。
肥料を盛られた感じもない。
草花は詳しくないが、リュウノヒゲらしきものが植わっている。
リュウノヒゲはほっといてもそこそこ生きるのでこの場所に向いているかもしれない。

撮影日 2017年03月17日
  1. 2017/03/17(金) 23:32:11|
  2. 北鉄
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松任駅北口送迎者駐車場

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JR北陸本線松任駅は、この近辺ではそこそこな規模の駅である。
駅の両側には、送迎者用の無料駐車場が完備されている。
北口の新ロータリーには新しい駐車場が整備されている。
2、30台ほどが停車でき、30分までとなっている。
珍しく停車時間チェックがしっかりしている駐車場である。
たまに見回りの人がやってきて、30分以上停車している車に張り紙を張っていく。
送迎でなければトイレだとしても通報していく駅もあるが、真面目に対応していく駐車場は少ない。
この張り紙で目的外の駐車が減ってくれれば有難い。
とはいえこの駐車場、昼間だと空いていないときすらあるのでなんともいえない。

撮影日 2017年03月16日
  1. 2017/03/16(木) 23:48:28|
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金沢駅あんと口のICカード対応

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金沢駅には改札口が二つある。
コンコースに面した正面と、土産物売り場につながるあんと側である。
あんとのほうは人ひとりぶんの狭さである。
こちらにもICカード対応の機械が設置されている。
改札が狭いので、機械はそれぞれ外に置かれている。
機械のカバーにはPR用のステッカーが取り付けられた。
北陸ではあまり見ないイコちゃんの絵柄である。
さりげなく越中宮崎から大聖寺までと宣伝しているが、富山県内は導入済みなのでいまさら感である。
とはいえこれらの区間が通しでつかえるのは便利なのかもしれない。
ICカード対応は自動改札の実施より遅く4月15日からとなる。

撮影日 2017年03月13日
  1. 2017/03/15(水) 23:45:28|
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金沢駅きたぐに停止位置表示

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金沢駅にやってくる最後の夜行列車だった日本海・きたぐに。
急行きたぐにの表示が、金沢駅には今も少し残っている。
上にあった乗車位置表示もはがされて売り払われたようだ。
おかげで文字が残っていることはあっても、プレートは無い。
地面に書いてあった乗車位置は、新幹線開業間近のリニューアルで消えてしまった。
しかしなぜか乗車位置表示が残っている。
5番ホームの床で、「7両編成1号車停止位置」とある。
車掌用かと思われるが、なぜこれだけ残っているのだろうか。

撮影日 2017年03月13日
  1. 2017/03/14(火) 23:58:02|
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金沢駅自動改札準備

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金沢駅で、自動改札機の準備工事がおこなわれている。
すでにかつての改札は撤去され、木製の改札口が作られている。
柵などはやや後ろに設置されているようだ。
仮改札はコンコース寄りに設置されている。
自動改札は今年の4月1日から導入の予定となっている。
自動改札と言っても、地鉄などにある簡易ICカードタイプではなく、切符を吸い込むタイプだ。
ついに自動改札といったところだが、一応新幹線では2年前にすでに導入されている。
係員が入鋏する姿を見られるのもあと少しだ。
間違えられるのだが、スイカ対応になるのは4月15日からでややずれがある。

撮影日 2017年03月13日
  1. 2017/03/13(月) 23:24:31|
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北陸本線伏見川橋梁の謎

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北陸本線伏見川橋梁は西金沢駅を出て金沢へ向かうとすぐに渡る橋である。
伏見高校の伏見で、ここより少し上流では高橋川と合流している。
下流に行けば犀川に合流する。
小さなガーター橋で、北陸本線にありがちな薄いブルーを纏っている。
2スパンで、橋台は複線用になっている。
かつては単線だったはずだが、改良した地点は見当たらない。
しかし数年前記事にしたすぐ近くの鶴開渠(リンク)は、明治の開渠が残るので、大幅に線路は変化していないはずだ。
気になるのはこの橋の銘板である。
それぞれの橋の銘板は昭和27年製造となっている。
しかしこの区間の複線化が完了したのは昭和35年である。
やたら早く出来ている感じがある。
その上、昭和27年の航空写真を見ると、準備工事の姿すらない。
また、上下線の橋の作りはほとんど同じに見えるのだが、実は製造工場が異なる。
山側の上り線はペンキで見えにくいが横河とあるので、横河橋梁製作所の製作である。
一方海側下り線は汽車製造株式会社の製造になっている。
のち川崎重工に吸収された名門鉄道製作会社の汽車製造銘板の橋はあまり見かけない。
銘板が確認できたのはいずれも西金沢駅側で、金沢駅側はまた別かもしれない。
なぜ複線化よりも早い段階で橋げたを用意し、そして違うメーカーのものを同じところで使ったのか。
いずこかからの転用なのか、それとも規格を同じにして大量に製作したのか気になるところである。
橋げたは西金沢駅構内と記されているので、構内扱いで先に工事をしたのだろうか。
一瞬で通り過ぎる橋にもなにやら歴史があるのは面白いところである。

撮影日 2017年03月11日
  1. 2017/03/11(土) 23:55:03|
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22-612の前面さび

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北陸鉄道奥能登バスの22-612。
ノンステップバスだが、寄る年並みには勝てないのか廃車予定の姿である。
今は南部車庫の片隅でおねんね中だ。
同世代のほかの車と比較して、前面のさびが激しい。
特にフロントの黒い部分がよくさびているようだ。
塗装をもさもさにして、内側からさびているように見える。
意外とフレームとの間は薄いようだ。
一方でバンパーはあまり傷んでおらず、強度の違いを感じる。

撮影日 2017年03月01日
  1. 2017/03/10(金) 23:47:48|
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福井県道182号線の温度計

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福井県道182号線についている温度計。
外気温をセ氏温度で示している。
幕式の案内装置も付いている。
この日は久々に雪が降ったためか、凍結注意が表示されていた。
温度の二桁目は3までしか表示できない。
なので夏などは最高が39℃となってしまう。
温度計は道や設置時期によりバリエーションがあってみると面白い。

撮影日 2017年03月08日
  1. 2017/03/08(水) 23:44:41|
  2. 道・橋・隧道
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268号機関車

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九州は鳥栖駅の裏手。
かつては車両がひしめいていたこの駅も、今ではすっかり普通の中間駅である。
駅裏はまだ町ができたばかりという雰囲気である。
そこに、機関車が保存されている。
名前は268号機関車で、昭和29年まで鳥栖機関区の入換えに使用されていた。
230形機関車は初の国産機関車として知られ、現存は2両とされている。
268号は北越鉄道の車両として製造された。
明治38年の当時、直江津~新潟は官営鉄道ではなく民営であった。
明治40年に官営鉄道となっている。
新潟県で活躍していた機関車がどうやって九州の果てにまで行ったかは不明だという。
大正になり日本中にレールが敷かれると、機関車は結構いろいろなところに転属したようだ。
北越鉄道ではG型18形と呼ばれていたらしい。
保存は国鉄時代のものとなっている。
黒い塗装の下に若干さびが見え始めている。
本来は金色の部分に黄色い塗装がされているのでちょっと安っぽい。
屋根つきの場所で保存されており、柵がジャマだが防犯という面を考えれば仕方ない。
説明パネルは平成28年となっており新しく、大切にしていることを感じられる。

撮影日 2017年03月07日
  1. 2017/03/07(火) 23:44:41|
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国道8号線庄跨道橋と複線化

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加賀地区の国道8号線は一部が片側一車線である。
両側バイパスの案も出ていたようだが、現在の工事を見ると二車線化するようだ。
現在の8号線の横に道路を付け足す手法である。
ところでこの区間には庄跨道橋がある。
これはかつて存在した北陸鉄道動橋線を跨ぐための橋である。
動橋線は開通後早い段階で消滅し、廃線跡の一部は道になった。
8号線は小さな道を跨ぐためだけに高架を上るのである。
今後、二車線化が進むとき、この道はどうなるのだろうか。
取り壊すのなら、わかりやすい動橋線の遺構がひとつ消えることになる。

撮影日 2017年03月04日
  1. 2017/03/06(月) 23:56:10|
  2. 道・橋・隧道
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湯尾駅の下りホーム小屋

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湯尾駅は北陸本線の無人駅である。
対面式ホームの駅だがホームに番号はない。
下りホームには設備施設が設置されている。
コンクリート製の小屋で、昭和の複線化のときの保安設備拡大に伴って出来たようだ。
裏側から見ることはあまりない施設だが、なかなかどっしりした土台である。
左の待合室と比較すると、リブが入っていてしっかり設置できそうだ。
土手から崩れ落ちることを防ぐためか、小屋にはつっかえ棒がされている。
屋根には傾斜が付いていて、ホーム後ろに雪を落とす。
小屋はコンクリートブロックで出来ているが、そこだけ白く塗りなおしているようだ。

撮影日 2017年03月04日
  1. 2017/03/05(日) 19:57:38|
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湯の国橋建設中

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国道8号線にある湯の国橋。
動橋川を渡る古い橋である。
段々2車線化が進むヒトケタ国道線だが、県境はどこも1車線が多い。
加賀市の8号線も一部はいまだに片側1車線である。
そんな加賀市内の8号線もついに工事が進みつつある。
現在、湯の国橋の横に新しい橋を建設中である。
今の橋は現在の8号線開業より先行し昭和35年に出来た橋で老朽化が進んでいる。
解体はせずに補強する方針らしい。
周囲も徐々に整地が進んでいるようだ。

撮影日 2017年03月04日
  1. 2017/03/04(土) 22:15:05|
  2. 道・橋・隧道
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倶利伽羅駅の駅ノート

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かつて駅ノートがある駅というのは限られていたが、最近は結構どこでも見かけるようになった。
IRいしかわ鉄道の最東端倶利伽羅駅。
この駅には駅ノートが設置されている。
日付を辿ると2016年の8月に設置されたらしい。
かなり最近の設置であるが、すでに2冊目に突入している。
正式名称は「IRボクらのくりから駅思い出ノート」らしい。

撮影日 2017年03月01日
  1. 2017/03/03(金) 23:51:49|
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南部車庫奥の車両置き場

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南部車庫奥地の廃車待ちバス置き場。
年末の入換え時期から徐々に廃車が出てくるが、最近また数が増えた。
以前も記事にした(リンク)が、その後状況が変わっている。
右端の22-612は北鉄奥能登バスのノンステップ車である。
連番で大量に導入された来るまで、612以降は能登に居る。
ナンバーが外されており、北鉄ではもうお役御免ということなのか。
日野ノンステが廃車になるのも時代の流れということか。
隣は34-635で三菱ふそうのエアロバスである。
加賀温泉バスの所属である。
この世代の車もまだまだ見かけるが徐々に数を減らしている。
その隣も同じくふそうのエアロバス35-646で、去年の暮からずっと放置されている。
ただ、ナンバーが取り外されたので廃車ということなのか。
並ぶ50-570とジャーニーも前から置かれており、ナンバーもそのままだ。
隣の34-633も以前と同じだが、こちらは他のエアロバスと同じく、ナンバーが取り外されている。
前は隣に路線バスの36-490がいたが、居なくなっていた。
この日は予備車となった30-561が南部車庫内で教習車として動いていた。

撮影日 2017年03月01日
  1. 2017/03/02(木) 22:32:29|
  2. バスとか
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倶利伽羅駅の消えたスタンプ

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IRいしかわ鉄道の端っこの駅倶利伽羅駅。
無人駅ながら手入れの行き届いた駅だ。
この間、この駅にあるスタンプが破損していることを記事にした。(リンク
それからしばらくして、スタンプがなくなってしまった。
盗難防止の鎖も一緒になくなり、インクだけが残されている状況である。
破損しているため撤去されたのか、別の理由なのか。
今後は設置されるか気になるところだが、設置して2年もしないうちに壊されたのだから、容易には準備されないかもしれない。

撮影日 2017年03月01日
  1. 2017/03/01(水) 23:38:10|
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