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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

高山本線高山駅新築中

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高山駅の旧駅舎がなくなってしまってからいくらかたった。
旧駅舎は開業時から残るものであったが、何かに嫌われたのか消えてしまった。
もっともあれだけの観光駅にもかかわらずバリアフリーなどがかけていたのは事実である。
そんなわけで駅舎は解体され、現在その地点に新駅舎が建設中である。
写真右手のプレハブに駅のものものが集約されている。
しかし改札の規模はほとんど変わっていないので、なんだか青空な改札になってしまった。
駅のホーム上にはもっぱら橋上駅の準備が進行中で、かつての高岡駅を思わせるような状態だ。
2016年の秋に駅が完成し、その翌年には今まで完全な駅裏だった東口の整備も終わることになるという。
完成すれば、バスを中心に流れが変わることになるだろう。

撮影日 2015年12月31日
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  1. 2015/12/31(木) 23:56:04|
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倶利伽羅駅のカレンダー2015

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この時期になるとどこかしこからカレンダーが届けられる。
この世にはカレンダーを貼れる場所の30倍くらいのカレンダーが存在しているのではないかと思うくらいだ。
大半は飾られることなくゴミになるかと思うと悲しくてやっておれない。
閑話休題、そろそろ貼られたのではないかと思ってIR倶利伽羅駅を訪れてみた。
2016年の新しいカレンダーがスタンバイしており、これもJRのものである。
やはりJRのカレンダーを飾り続けるようである。
JROBだとカレンダーをもらえることがあるというので管理者の絡みだろうか。
IRもオリジナルカレンダーなど作ってみればいいと思うのだが。

撮影日 2015年12月28日
  1. 2015/12/30(水) 20:47:54|
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のと鉄道定期お知らせ張り紙の怪

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のと鉄道の各駅に設置された定期券についての張り紙である。
定期券の購入は14日前から可能であることと、委託駅の利用存続についてのお知らせが書かれている。
下部にはフリー素材かオリジナルか不明だが、かわいらしい女の子のイラストが描かれている。
係員なのか学生なのか良くわからないが、多分学生だろう。
ところでこの少女の後ろにご注目いただきたい。
お分かりだろうか?
後ろにもう一人居るのである。
少女の後ろに居る、顔の見えない少女とは……。
多分貼り付けるときに同じ画像を二枚貼り付けたのだろうが、画像の下部はどこへ行ったのだろう。

撮影日 2015年12月27日
  1. 2015/12/29(火) 22:29:43|
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国道249号線千柄橋

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国道249号線は能登半島を走る国道である。
この道の能登中島駅と西岸駅の中間地点にプチ廃道がある。
このあたりは山道を越えずば隣の町にいけず、峠も存在していた。
線路と国道は別のルートを通っている。
廃道は金沢側から珠洲方面にかけて分岐し、現行の道よりも標高は下を通る。
現行の道が曲線であるのに対し、旧道はほぼ直線である。
橋を越したところで古い道は新しい道に飲み込まれてしまう。


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旧道にかかる橋は「千柄橋」と名称があり、架橋は昭和38年である。
その割りに欄干が損壊しており、なかなかひどいものだ。
しかし自動車が通る分にはあまり問題なさそうに見える。
転換時期は不明だが道路の損傷具合からして遺棄されてかなり長い時間がたっているようだ。
道路の転換理由は新道をカーブの少ない未知にするためだろうが、カーブがゆるくなった代わりに不要なカーブが増えているうえ、そこまで線形が変わっていないので、工事の意味が良くわからない。
新しい道では川をボックスカルバートで渡っているため橋などはない。
旧道は新道に吸い込まれて行き止まりなのだが、分岐点には車止めなどが設置されていない。
橋の横にポンプ装置があるからだろうか。

撮影日 2015年12月27日
  1. 2015/12/28(月) 23:47:51|
  2. 道・橋・隧道
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謎の西岸駅能登のめぐみ

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アニメで一躍有名になったのと鉄道西岸駅。
結局アニメは見てないのでなんともいえないが結構有名らしく、今でもオタクが駅に現れる。
駅ノートを読むとかなりの頻度で来ているようだ。
ところで西岸駅は長く無人駅で、駅事務室内もからぽっけになっている。
この事務室の中になぜか大量のダンボールが運び込まれている。
まるで廃店舗を買い取った後の怪しい商法の拠点のようだが、そういうわけではなさそうだ。
ダンボールには「能登のめぐみ」と書いてあり、飲料水のように見える。
海洋深層水のにがり使用などと書いてあるしその類の品物ではないか。
深層水と言うと富山で一時期妙に流行ったが今度は能登にブームが来ているのか。
ダンボールにのと鉄道と書いてあるのでオフィシャルな製品のようだ。
ところが検索してみてもなにもでてこない。
未発表の製品なのか、それとも災害備蓄用のオリジナル製品なのか。
いつまでも置いておくとは思えないので、そのうち見かけるだろう。

撮影日 2015年12月27日
  1. 2015/12/27(日) 23:53:39|
  2. のと鉄
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バス停の北鉄ステッカー

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北鉄バスのバス停にはステッカーが貼られているときある。
写真はすこし薄っぺらい感じの上屋があるバス停であるが、その柱に写真のようなステッカーが貼ってある。
「北陸鉄道」「北鉄金沢バス」「加賀白山バス」である。
コーポレートカラーのオレンジ色で、それっぽい感じだ。
下にあるステッカーが上書きされて見えなくなっているが、なんだったのだろう。
「ほくてつバス」あたりか。
ステッカーは文字が少し浮き出ているすこし凝ったタイプである。
柱に脈絡もなく貼ってある理由はわからない。

撮影日 2015年12月26日
  1. 2015/12/26(土) 23:19:15|
  2. バスとか
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北鉄バスの消えた登録番号

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北鉄バスに限らないが、ドア内側横に登録番号の書かれた札差がついている。
登録番号は車内番号だったりナンバープレートだったりする。
この板に名前の書いた札を入れて乗務員が誰かを示すものだ。
大昔は車掌も居たので二ついれるところがあったところもあるとか。
長くバスを使用していると、何かの理由でその登録番号が変わってしまうことがある。
写真のバスはナンバーが200番台に変わってしまった。
何かの理由でナンバーを再取得したようだ。
このため消されてしまっている。
同じ色の塗料で、塗り重ねて前の文字を完璧に読めなくしている。
何を塗っているのだろう。

撮影日 2015年12月22日
  1. 2015/12/24(木) 23:51:53|
  2. バスとか
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ワム282612

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とある敷地に佇む国鉄有蓋貨車ワム80000形。
体質改善型の280000番台である。
農業用の倉庫として使用されている。
表記類は薄れているものの、塗装のはがれは少ない。
屋根上の白い塗装もそのままだ。
妻面にはポリエステルコートのステッカーが残っている。
車検の部分には昭和52年から56年まで川崎重工の文字がある。
この車両は昭和52年川崎重工製造であるため、当初のものであろう。
横には昭和58年から59年の検査印があるため、いわゆるあまり活躍せずに消えていった固体のようだ。

撮影日 2015年12月20日
  1. 2015/12/23(水) 20:06:52|
  2. 廃車・廃コン
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手取川橋りょうの防風板

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北陸本線手取川橋りょう。
梯川とともに暴風による強風規制の原因となり、よく運休の原因となっていた。
正直美川折り返し特発を真面目にやれば言うほど不満は出なかったのではないかと思うが、それを嫌って数時間普通列車は運休などとやったおかげで、いつも叩かれていた。
この状況を打開すべくJR西日本金沢支社は暴風板を設置することとした。
暴風板は名前の通り風除けそのもので、多少緩和される。


151220tedori2 (1)

防風板は鉄橋だけでなく、その周辺一帯に設置された。
だいたい旧手取川橋りょうとの接続点近くまでである。
写真は直江津方面であるが、米原方面のカーブも同様だ。
これにより白山をバックに手取川とともに撮影などといったことはできなくなった。
防風板があるのは風の強い海側のみで、山側にはない。

撮影日 2015年12月20日
  1. 2015/12/22(火) 22:17:12|
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極小踏切閉鎖開始日

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北陸本線沿線にある小さい踏み切りの閉鎖が始まった。
北陸本線沿線の自動車が一台分しかないとか、農道直結といった小さな踏切は、除雪などのため冬季に封鎖される。
接続する道が除雪されないので雪で車が動けなくなると困るからだろう。
封鎖といっても車が通れなくなるだけで、人間は普通に歩いているのを見かける。
封作用のものにもよるが、配置場所が決められているものもある。
写真の上河原踏み切りは使用する板がこれと決まっているので、板の後ろには踏み切り名と向きが記されている。
なかなかボコボコになっていて、扱われ方がわかる。
封鎖は12月20日より始まり、翌年3月20日までおこなわれる。

撮影日 2015年12月20日
  1. 2015/12/21(月) 23:42:40|
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7624松任に

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かつてJR西日本のマークをつけて活躍していた保線車両7624。
津幡の保線に所属していたため、IR移管時にJRマークを消されることとなった。
その後活躍していたが、松任へと姿を現している。
保線車両はたいてい津幡のほうで作業をするが、松任でないと出来ない補修でもあるのだろうか。
他にもJRマークの消されてしまった車両が西金沢などの側線にいるのを見かけることもある。

撮影日 2015年12月15日
  1. 2015/12/19(土) 23:56:15|
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クハ415-801最後の役目

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七尾線C01編成であったクハ415-801以下であるが、521系増備と第三セクター発足により413系に玉突きされ廃車にされてしまった。
それからというもの同僚のC04編成ともども明日をも知れぬ松任ぐらしを続けている。
そんなクハ415-801だが、他の車両と比較するとこの車両は動きがある。
前面の連結器にアダプターを接続し、DE10との連結を可能にしているのだ。
415系は密着式連結器でDE10入換えディーゼル機関車の自動連結器とは連結ができない。
そこでアダプターを間にかましているわけだ。
こののみ車両が動いていることや、後部に475系がついていることもあり、控え車として使用されていると思われる。
かつて碓氷峠用の連結器が残ったクハ489を控え車として使っていたことがあるが、そんな感じなのだろうか。
廃車までにもうひと働きといったところである。

撮影日 2015年12月15日
  1. 2015/12/18(金) 23:33:35|
  2. 475/413/415
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北鉄バス東部車庫車廃車へ

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今年の北鉄バス新車導入から半月。
各車庫のバスもだんだん整理が進んできた。
具体的には場所が動き、使わないバスと予備車の位置が変わってきている。
東部営業所に所属していた26-472および26-473はなぜかやたらマニアに人気の車であったが、ともに運用を離脱した。
東部車庫系統はあまり行かないので26-473など結局一度も撮影することなく消えてしまった。
26-472は日野ブルーリボンの角目で、26-473は同車種だがフロントマスクが装着されていた。
導入は1996年で、北鉄の当時の標準である都市型中4つ折り戸で冬場はクソ寒い仕様だから正直つらかった。
数少なくなった幕車であったのもあり人気で、最終日近くにはお別れの案内すらされていた。
してこの車たちだが狭い東部車庫を離れて車庫奥地へと移動している。
すでに広告は外されており、別のバスに転用されたかしていると思われる。
特徴的だったリアの狭い幕は撤去済みなので、どこかで売るつもりだろか。
一次留置されたこれらの車両はさっさとどこかに行ってしまうであろう。

移動したバスは次の4台である。
26-472 金沢200か51
26-473 金沢200か54
37-518 金沢200か199
37-519 金沢200か193

37-518および37-519は1997年導入の三菱ふそうエアロスターである。
エアロスターが国産初のノンステップバスを実現したときのシロモノだ。
この顔を見るといまだに新しいエアロスターと思うが20世紀の品物で、北鉄でも立派な古参の部類である。
等圧線みたいなマークをつけた奴で、ノンステップバスのアッピルに一役買っていたらしいが、最近は見る数も減った。
いわゆる幕車で、両車とも同じ塗装である。
こちらは誰かに話題にされることもなく、惜しまれることもなくひっそりと役目を終えたようだ。
ともに20世紀末の北鉄を代表する顔であったが、今後部品か、あるいはバスそのものとしてどこかで活躍するだろう。

撮影日 2015年12月17日
  1. 2015/12/17(木) 22:36:33|
  2. バスとか
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松任の475系解体

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なぜかいまだに松任にいる475系だが、ゆっくりと解体準備が進んでいる。
489系のときなどさっさと解体したものだが、何か理由があるのだろう。
このうち一部の475系は丁寧に部品を外されたあと、再び留置された。
窓枠やドア、座席などが撤去され、いわゆるドンガラな状態である。
屋根上の機器もほとんど撤去されているが、LED行き先表示やライト類はまだ残っているようだ。
床下機器も手付かずなので、きれいに分解するつもりらしい。
マニアに売れそうな部品は手付かずだが、そのうちやるつもりだろうか。
モハ474-53、クモハ475-53、モハ474-52、クモハ475-52は側道から確認できる地点でバラッバラであった。
並びやその選定理由は不明である。
そのうち解体されるだろうが、いつの時期になるのだろうか。

撮影日 2015年12月15日
  1. 2015/12/15(火) 23:55:52|
  2. 475/413/415
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鉄道省牛島架道橋

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断っておくと今回は資料をまったく集めていないので、詳しい来歴を書くことができない。
牛島架道橋は富山駅東すぐにある橋である。
中央郵便局前信号と赤江信号の間は鉄道線路の下を道路が走っている。
このため地鉄2本、あい鉄1本と廃線跡1本の4本の橋が架かっている。
このうちもっとも大きいのが牛島架道橋である。
水色のリベットもいかめしい橋であるが、実は旧北陸本線円繊維にも少なくなった戦前製の橋である。
銘板はもはや読み取りがたいがかすかに昭和の文字と鉄道省の文字が読み取れる。
おそらく昭和13年ごろ製作された橋であろう。


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昭和13年ごろといえば日満博覧会から2年後で、富山市が工業都市として発展していた時期である。
駅西側は神通川が控えているため、駅構内を拡張するには東側に用地を確保する必要があったのだろう。
完璧に設計されたこの道は両側に歩道を備え、なおかつ現在の自動車にして計3車線を確保している。
現代の自動車事情には不満な幅ではあるが、当時から完成したビジョンがあったものと思われる。
かわりに歩道が広いのは自動車部分を優先してしまう今とは違うところである。
橋の銘板こそ昭和13年ごろのものだが、終戦直後の写真を見ると、この道部分は黒くなっている。
水がたまっているのか、何かの事情で工事が遅れていたのか、そこらはよくわからない。
周囲の道が昭和の終わりになっても踏み切りだったのに対し、この道は戦前に整えられている。


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薄いブルーに塗装されているが、外から見るとかなり白っぽく見える。
ライトの関係であろうか。
北陸本線は白っぽい橋の塗装が多く、富山港線は青が多かったように感じる。
桁橋だが、歩道部分には補助の柱がついている。
根元は細く、凝った感じの土台がついている。
列車が走るとなかなか響く。
この上を焼夷弾に燃える貨物列車も電化一番列車も最後の客車列車も走ったと思えばなかなかいい雰囲気である。


151212ushi4.jpg

内部より桁を見たところ。
よく見ると線路の分だけ桁を通している。
ガーター橋を結合した感じであろうか。
出来た当時は客車区が富山駅にあっただけでなく、富山機関区(のちの富山第一機関区)、富山貨物駅が出来る前の貨物扱いもあったので、軍需産業で栄えた町に拡張は不可欠だったのだろう。
この道にかかる橋はすべて違う構造であるため、見るだけでも面白い。
数年後に迫る高架化で、この橋もやがて取り壊されるのであろうか。

撮影日 2015年12月12日(すべて)
  1. 2015/12/14(月) 23:23:55|
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富山ライトレールの鉄骨架線柱

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旧富山港線の流れを継ぐ富山ライトレールは多くの機器を富山港線から譲り受けている。
架線柱も多くが流用された。
私鉄時代から電化されていた富山港線の設備は古い。
かつてはところどころに鉄骨製の架線柱が残存していた。
しかし徐々に交換が進み、今では北陸本線よりも見かける数は少ない。
富山港線を転用した奥田中学校前~岩瀬浜の間に、鉄骨製架線柱はわずかに4本しか残存しない。
うち1本は岩瀬浜駅にある転換時に新設されたものなので、JR時代から残存するものは3本のみである。
2本は下奥井にまとめて設置されており、もう一本は写真の蓮島~犬島新町のものである。
どちらも架線支持部は交換済みで、柱としてのみ生き残っている感じである。
おそらくシルバーだったとそうは剥がれ落ち、茶色のさび止めが出てきている。
古のコンクリートの土台が最近の架線柱と一味違う感じである。
なお切断撤去された土台は沿線に複数存在する。

撮影日 2015年12月12日
  1. 2015/12/13(日) 23:51:12|
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富山港線富山口-富山旧線

富山港線はもともと富岩鉄道であったのを地鉄に統合され、それがさらに国鉄に買収された路線である。
富山口-岩瀬浜で開業したが、貨物輸送と乗り換えに不便なので、昭和初期に富山駅まで延伸した。
当時は何もなかった富山駅の北口に線路を接続したのである。
戦後昭和62年に県道30号線を無踏み切り化するにあたり、富山港線は線路配置の変更を求められる。
このため大正から続いた富山口駅を移転することになり、従来よりも南へと線路を移動した。
従来の路線は廃線となり、貨物線に転用されることなく撤去された。
そして平成に入り、富山港線廃止とともに富山口駅は正式に廃止されている。

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ライトレール化にあたり、(現)奥田中学校前-富山駅は文字通り廃止されてしまった。
その中でも富山口駅と富山駅の間はいわば二度廃線された区間である。
正確には富山口駅よりもやや北側である岩瀬浜駅寄りからである。
写真は岩瀬浜よりから富山駅方向を眺めたところ。
少し急なカーブで北陸本線と並ぶが、旧線は新線よりきついカーブを描いていた。
今は富山流通センターの敷地となっている。
新線、旧線それぞれのレールの跡を駐車ラインがなぞっている。
富山口駅の跡地は流通センターと道路に転用されてしまった。
古い記録を漁ると、戦前に富山口駅での貨物扱いがあるのと、戦後しばらくこの辺りに線路らしきものがあることからして、かつてこのあたりは貨物側線であったのではないかと推測出来る。
線路の分岐が岩瀬浜側だが開業の経緯を考えるとそこまで不自然ではない。
このためカーブ地点の用地をすんなり確保できたのではないか。


151212toyama2.jpg

富山口駅跡地より岩瀬浜方向を見る。
このあたりに駅舎があったのだが、何も残っていない。
かつての駅舎は線路の南側に存在していた。
末期はもちろん一面一線である。
写真右手の家の庭か空き地かよくわからない場所に、国鉄境界杭が一本現存しており、国鉄の所有地であったことを感じさせる。
というか私有地なのになぜ杭を残してあるのだろう。
本当に私有地なのだろうか。


151212toyama3.jpg

上の写真より富山駅方向を向いたところ。
駅関係のものものはこの道路とともに消えてしまった。
この県道30号線が線路をアンダーパスする上で問題になったのが富山港線であった。
富山港線は前述の通りもともと私鉄であったため、国鉄よりも離れた場所にあった。
そのため道路を掘る範囲が広くなる。
そういうわけで移転することになってしまった。
県道30号線向こうの線路跡地は駐車場になっている。
その向こうはいたち川である。


151212toyama4.jpg

いたち川の富山駅側に旧線最大の遺構が存在する。
いたち川はもともと暴れ川で有名な神通川の仲間であったが、川の人工移動によりただの川になった。
大正までほとんど川跡そのままだったので、陸地にするのを待って富岩鉄道は富山駅へと延伸した。
コンクリートに石積みの盛り土押さえと地鉄の1067mm区間と建設方法が似ている。
昭和初期の建築であろう。
富山駅側の橋台と、その横にある道路をまたいでいた橋台の下部だけが残っている。
ほかは撤去されたようだ。
橋台にはガーターの支持部も残る。


151212toyama5.jpg

橋を渡り終えた旧線は鉄道敷地に飲み込まれる。
写真奥が岩瀬浜方向である。
今は大鉄と西日本電気テックの所有になっているようだが、かつては国鉄の所有する建物だった。
もともと何もない田んぼの中を走っていた富山港線だが、だんだん北陸本線の側線が膨れ、となりに建物が出来たようだ。
そして旧線の跡地は切り開かれ、駐車場とスロープになってしまった。
この建物の裏側にも側線が存在したが、いまはそれも駐車場だ。
これより富山駅側にはアパホテルが立ち、やはり線路跡は消滅している。


151212toyama6.jpg

戦時中にはほとんど出来ていた牛島第二架道橋。
旧富山港線も例外でなく、この道をパスしていた。
たしか橋台が残っていた気がしたのだが、存在していなかった。
左手のシルバーの建物の奥に旧線があった。
その奥にはかつて側線のために設置され、のちに富山港線に転用されたコンクリート橋が撤去されずに残る。
鉄製の欄干が時代を感じさせる。
写真の左端は富山中央警察の移転予定地だ。
これより富山駅はやはりアパガーデンに飲み込まれ、痕跡を探ることはできない。

撮影日 2015年12月12日(すべて)
  1. 2015/12/12(土) 23:52:29|
  2. 廃線など
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宝達駅の暗渠と支え棒

151206hodatsu.jpg

歩道とかの木は何かと厄介だ。
緑を与えてくれているのはいいのだが、そのうち大きくなってくる。
大きくなると歩道を破壊し、ひいては道路に干渉しあるいは地中埋設物に影響を与える。
こうなるともはや切るしかないとなってその生命を絶たれてしまう。
鉄道にも同じことが言える。
こと駅のホームにある木というのは盛り土でつくられた古い時代のホームを破壊してしまう。
七尾線は木のあるホームが多かったが、けっこう切られたところは多い。
能登中島駅などがそうである。
というわけで普通は木が大きくなると木のほうが切られてしまう。
ところが宝達駅の場合は少し異なる。
宝達駅のホーム直下には暗渠が通っている。
どうやらかつてはホームのみ暗渠だったらしいのだが、気がついたらホーム近く以外は全部暗渠になっていた、というタイプである。
本屋側の暗渠は立派なレンガアーチで、駅の歴史を感じさせてくれる。
このホームの横には木があり、その成長が暗渠を支える石積みを破壊している。
明治かその時代のものなので、ほうっておけば壊れてしまうだろう。
ならば木を切りそうなものなのだが、ここではつっかえ棒をして破壊から暗渠を守っている。
つっかえ棒は数が多く、石造りの暗渠そしてコンクリートの崩落を支えている。
なかなかコストもかかっていそうなものである。
なぜ木を切らないのかはわからないが、ここまで手間をかけてでも守りたいのであろう。

撮影日 2015年12月06日
  1. 2015/12/09(水) 23:55:47|
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二宮あおば台にある0系遊具

151206zero.jpg

まれに車や鉄道車両を模した遊具が公園に設置されている。
交通公園などと言う言葉も減り、実車がおいてあることはあまりない。
しかしコンクリートなどは丈夫なので、こいつらで乗り物を再現していることが多い。
ネタはやはりSLが多いのだが、マジモンのSLではなく、大体デフォルメだ。
この公園に設置されているのは0系新幹線をモチーフにしたものである。
付近を走る列車は七尾線であるが、それとは関係なさそうだ。
光っているオデコからして初期型であろう。
触ってみたところ、FRPかなにかその類で出来ているようだ。
車輪が前方にしかないのだが、おおむね特徴は捉えている。
ドアーや窓にはゴムがはめ込んであったようだが劣化していてもうない。
中は鉄組みがあり、3歳くらいの子供が運転席から顔を覗かせるようになっている。
しかしさびておりかなり劣化しているようだ。
古いのだろう、全体的に末期の0系を髣髴させるヤレ具合である。
本物同様長持ちしなさそうな感じがある。
最近の子供はもはや0系など知らないだろうが、子供たちはどう思ってこの遊具で遊んでいるのだろうか。

撮影日 2015年12月06日
  1. 2015/12/08(火) 21:13:53|
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金丸駅の側線

151206kanemaru.jpg

七尾線金丸駅はわりかし広い敷地を有している。
かつては貨物輸送が多かったのだろう。
とはいえ、曰く昭和30年代には取り扱いを終了してしまっている。
金丸駅のホームの裏には、小さい側線が残存している。
かつて詰め所が近くにあったので、保線関係のためのものだろう。
レールは駅ホームの中間地点まで続いている。
端部の処理が、あまり見ない形だ。
普通は砂利を盛るか曲げレールを使うが、何もされていない。
周囲の処理はコンクリートで枠を作っており、これも北陸ではあまり見ない形だ。
模型的に見るとなかなか面白そうだ。

撮影日 2015年12月06日
  1. 2015/12/07(月) 23:56:56|
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北鉄新ブルーリボンの座席

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北鉄に導入された新型ブルーリボン。
日野ブルーリボンⅡからのチェンジなので、実はブルーリボンと言う名称が復活した、という扱いである。
座席の感覚はまぁまぁである。
その座席であるが、シートの地は写真のような模様だ。
近年の車両は皆ブルー系統な感じだが、つぶつぶがよく見えるようになった。
運転席も同じシートである。
優先席にはシートなどはかぶせられていない。

撮影日 2015年12月02日
  1. 2015/12/02(水) 23:53:01|
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