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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

G08編成のスカート

20140630g08.jpg

今、北陸本線を走る521系のスカートには、編成番号が書かれている。
導入当初はなかったのだが、識別のためかしばらくして入れるようになった。
富山石川を中心に走行するG編成の場合、文字は赤色である。
ところがクハ520-13のスカートにはその文字がない。
クハ520-13、クモハ521-13のユニットはG08編成に所属する。
本来ならスカートに文字があるはずだが……。
ちなみについていないのはクハのみで、富山方のクモハには通常通り番号が書かれている。
故障や事故で予備のパーツを使っているのだろうか。

撮影日 2014年06月30日
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  1. 2014/06/30(月) 23:57:20|
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白8号

20140624.jpg

とある飲食店にて停車するパトカー。
公用車で買い物に来たわけでなく交通事故の実況検分中である。
白山警察に所属するパトロールかーである。
コールナンバーは白8号。
ナンバーは石川800さ7733。
白山警察署開設以前は松任警察の所属で、松5号と言うコールサインが与えられていた。
車両はごくごくオーソドックスなゼロクラウン。
リアにはいつもニンジンとヘルメットを装備。
以前はサイドにステッカーをつけていたが現在は取り外されたようだ。

撮影日 2014年06月24日
  1. 2014/06/29(日) 23:32:35|
  2. 緊急車両
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地鉄滑川駅付近の不思議な空き地

namename.jpg

先日書いた(リンク)地鉄の立山軽便鉄道線跡地である。
地図にすると上のような感じになる。
のだが、ひとつ不思議な区間があるのである。
線路は昭和6年にすべて付け替えられたように見える。
しかしながら昭和23年の航空写真には、もうひとつ路盤の跡の様な物が見える。
路盤跡は現在の線路から旧線へと続いているような形である。
地図で示すと赤色の線だ。


20140622c.jpg

地鉄線路との分岐点。
富山方面を見たところ。
この場所は戦後ずっと空き地のままとなっている。
地鉄の境界杭は見当たらないので別の土地なのかもしれないが。
分岐点の詳しい位置は不明だが、写真の中心部から徐々に旧線へと向かう。


20140622b.jpg

途中川を渡る。
川岸はすべてコンクリートできれいに覆われている。
戦後のものと思われ、橋台などは見当たらない。
それは撮影を行っている旧線跡のほうも同じ。
写真奥が地鉄の線路。


20140622a.jpg

このあたりで旧線と合流したと思われる。
写真正面が滑川駅方面。
写真の道が旧線跡だ。
旧線は今よりも山側から地鉄の駅にアプローチをしていた。

滑川から先三日市まで電鉄が開業する以前の写真を見ると、滑川駅の線路はわずかに山側に向いているように見える。
とすればこの地点までは旧線跡を走り、その後合流地点からは現在の線路を走ったということか。
ただ現在の線路もやや山側向きなので断定はできない。
もしそうであったとしても10年としないうちにレールを現在の位置に動かしたのかがわからない。
地鉄の滑川駅の工事に関係があったのだろうか。
あるいは工事用の線路だったのか。
線路のあったという確証はなく、ただの道の可能性もあるが、不思議なところである。

撮影日 2014年06月22日(すべて)
  1. 2014/06/28(土) 23:50:41|
  2. 地鉄
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新521系客ドアの上

20140627doaue521.jpg

先の改正で新521系が金沢地区などに大量導入されている。
当然ながらラッシュ時にも入った。
新521系は前のと違い、ドア上にセンサか何かがついている。
ライトなのかもしれないがついているところは見たことない。
ラッシュ時、ドアの前に押し込まれたときはこのドアの上にある桟をつかむ、というのが一般的スタイルだと思っている。
後ろにあるつり手に手を伸ばすのは腕の稼動範囲外であるし、たいていすでに誰か握っている。
ところがこのドアの上にある部分は外れるのである。
写真、非常にわかりづらいが実は少し外れている。
パーツの奥に黒い隙間が見えるだろうか。
おそらく保守点検用に開くようにしてあるのだろうが、設計上どうにかならなかったのだろうか。
朝利用中にすでに2回はずしたことがあるほか、他人が外しているのを目撃している。
いきなり開いてびっくりするのでやめて欲しいし、つかむところがなくなる。
前の521系のときはそういうことがなかったように感じているが、開けやすさについて比較したことはないのでなんともいえない。
次に何か作るときはもう少し考慮して欲しい。
というどうでもいい記事。

撮影日 2014年06月27日
  1. 2014/06/27(金) 23:41:20|
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G15編成訓練列車

20140626syasho.jpg

首都圏と違い北陸には訓練列車の専用編成がない。
というわけで訓練列車には一般の車両をそのまま使う。
ここ数日521系G15編成は一般運用を離れ、訓練列車に使用されている。
幕は「試運転」とされている。
ブラインドはすべて下ろされ、側面窓および前・後面に「訓練」の札を貼り付けている。
車掌が数名おり、車掌の成熟を目的としたものであると思われる。

撮影日 2014年06月26日
  1. 2014/06/26(木) 23:42:20|
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西滑川駅の古レール

20140622nishiname.jpg

西滑川駅のホームベンチにある上屋。
上屋というほどでもないが。
ベンチはプラ製の古いものである。
上屋は古レールを主材に鉄骨を配しトタンでまとめている。
コレに使われているレールが古いのである。


20140622nishiname3.jpg

上市方の屋根上部に使われているレール。
ETとあることからカーネギーのエドガートムスン工場出身と思われる。
びょうで打たれて見えにくいが、30とあるので、30ポンドか。
まとめて読むと「ET 30 A 二」と読める。
Aはレールの焼入れとかの状態であろうか。
二というのたは多分漢数字ではなく製造の月(2月)を示しているような気がするが、普通は縦のはずなのでよくわからない。(2月=││)
上市方の斜めになっているレールもおそらく同じ類であろう。
たいていレールのETの前には製造年が来るはずなのだが、ない。


20140622nisiname5.jpg

滑川方の、縦方向にある部材のひとつ。
縦の写真を読みやすいよう斜めにしてある。
年数の刻印だけ「1915 │」とはっきり読み取ることができる。
1915年1月つまり大正4年ということから、1913年(大正2年)にこの地で開業した立山軽便鉄道のものであろう。
762ミリから1067ミリに改軌したときとか、この地にあった車両基地を引き払ったときのものか。
ほか、WU(WJ?)だとかJUだとか断片的に文字が読み取れるがレールの正体ははっきりしない。


20140622nishiname6.jpg

この駅のこの構造物においてもっとも不思議なレールがこのレールである。
「GHH 1911」と書かれている。
この写真では1911すら見えにくいが、写真の撮りにくい根元にも同じ刻印が比較的見えやすい状態である。
ドイツグーテホフヌングスヒュッテ社のレールということになる。
問題はこの1911ということである。
1911年といえば明治44年。
今から100年以上前のこのとき、立山軽便鉄道はまだ会社設立段階であった。
1911年に作られたレールを開業間際に輸入したため開業年より古い時代のレールがあるのだろうか。
あるいは省線(国鉄)からでも譲ってもらったのか。
真実を知ることは永遠にないだろう。
ともかく、明治時代のレールが地鉄の構造物に使われている例の一つである。

撮影日 2014年06月22日(すべて)
  1. 2014/06/25(水) 22:24:04|
  2. 地鉄
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G20編成転落防止幌

20140624g20.jpg

金沢駅にて待機するG20編成。
この編成もまた転落防止幌が装着された。
このごろ転落防止幌の話題ばかり書いているような気がするが、それだけ急ピッチで設置が進んでいるということになる。
今のペースだと、9月ごろには現在の二倍を越す転落防止幌装着編成が出回るだろう。
案外今のさらっとした前面の車両のほうが珍しくなるかもしれない。

撮影日 2014年06月24日
  1. 2014/06/24(火) 23:48:25|
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G23編成転落防止幌

20140623g23.jpg

金沢駅4番ホームで折り返しを待つG23編成。
このG23編成にも転落防止幌が取り付けられている。
装着はG編成への転落防止幌装着から割りと早い段階であった。
写真はクハ520-28のほう。
転落防止幌がついた以外は特に目立ったことはない。

撮影日 2014年06月23日
  1. 2014/06/23(月) 23:52:13|
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立山軽便鉄道西滑川-滑川間旧線跡

大正2年、五百石から滑川までを結ぶ軽便鉄道線として、立山軽便鉄道が開業した。
当時すでに省線北陸線と中越鉄道(氷見線・城端線)が開業済みであったが、呉東の地方鉄道としては初の開業であった。
同時に県内初の軽便鉄道でもあった。
日本の標準軌間である1067mmよりも幅狭で簡便な鉄道が、軽便鉄道法に基づいて全国で作られた。
立山軽便鉄道はそのひとつでもあった。
しかし軽便鉄道ゆえに輸送力は伴わず、モータリゼーションもあり営業は次第に芳しくなくなる。
昭和6年、立山軽便鉄道(厳密にはそのころ立山鉄道)は富山電気鉄道に合併され、同年のうちに軌間を1067mmとした電化路線に生まれ変わった。
現在の富山地方鉄道本線である。

この改期に伴って、西滑川-滑川間はルートを変更した。
かつてのルートはもう少し山よりであった。
現在のルートはご存知のとおりJRに沿っている。
昭和6年に失われたこのルートの跡を辿ってみる。


20140622name1.jpg

西滑川駅から滑川方面を見る。
開業当初はこの場所に駅本屋、貨物ホームのほか立山軽便鉄道の本社もあった。
それらすべてが現存しない。
堺町とも呼んでいた様だが今その名称は地図にないようだ。
さておき、現在の西滑川駅ホームは急カーブを描いている。
駅を出て踏切当たりでやや緩やかになるが、再び急なカーブを描いてJRに併走していく。
古地図では軽便鉄道はさらに急なカーブを描いていたと言うことになっている。


20140622name2.jpg

道路側から駅を見ると、道に向かって激しいカーブを描く土地を見ることが出来る。
これが立山軽便鉄道時代の線路跡と見ることが出来る。
今の20m、18m級車両なら間違いなく曲がりきれないカーブである。
軽便鉄道ならではの線形であろう。
高速化にはこんなカーブを廃することが不可欠だったのだろう。
廃止から17年後の昭和23年の航空写真を見ると、このあたりが路盤跡となっているのがよくわかる。
ちなみに西滑川駅は一時期水橋口駅と名乗っていた。


20140622name3.jpg

ここから先はまっつぐ道路になっている。
路盤はこの先滑川駅までほぼすべて道路に転用されている。
戦前すでに道路に転用されていた場所もあるようだが、このあたりは荒地を経て砂利道から昭和40年代に整備された道だ。
県道144号線を名乗る。
幅広の片道1車線道路で、橋などはすべて付け替えられており鉄道時代の名残は感じさせない。
そんな状態の道が延々徒歩で15分ほど続く。
ちなみに踏み切りの向こう側は軽便鉄道本社時代から存在する由緒正しい道である。
当時その道の終点が西滑川駅だったのだ。


20140622name15.jpg

中滑川駅前から伸びる道とクロスする田中新町信号を超えたところ。
右手に酒屋のある地点がかつての中滑川駅であると思われる。
航空写真では酒屋の前が最初からあいているようにも見えるので、酒屋の前、が正確かもしれない。
ただし確たる証拠はない。
中滑川駅が市史に出てくるのは先々代の駅舎が誕生した後のことで、当時のことについてはさっぱりである。
ゆえに航空写真などでしか推測することができない。
大正5年の地図では法専寺よりやや五百石よりに駅が存在することが示されている。
昔はこの道が中滑川周辺のメインストリートであったのだろう。
現在は幅が狭くとても重要な道には思えないが、県道51号線と比較的若い番号が与えられている。

中滑川駅もまた晒屋駅と名乗っていた時代がある。
軽便SLが客車を引いていた時代、水橋口と晒屋、晒屋と滑川それぞれ所要時間は4分であった。
現代、徒歩だと大体それぞれ15分、西滑川-中滑川間は1分、中滑川-滑川は2分である。


20140622name6.jpg

中滑川駅跡地から数分歩いた地点。
名称は不明だが川を渡る。
上流は生田公園をぐにゃぐにゃ経由するものである。
斜め前は病院。
一見してどうと言うことのない橋であるが、この地点が旧線跡最大にして唯一の以降と思しきものが存在する地点である。


20140622name7.jpg

たいていの橋はルートが変更されていたり、新しくコンクリートで固められるなどして、当時の姿をとどめない。
というのも、一応もぐれそうなところは片っ端からもぐってみたのである。
だがこの橋一箇所に限っては、橋の下に石造りの橋台が存在する。
橋台といってもコンクリートにうずもれ、もはやその役目を果たしているとは言いがたい。
以前上市川橋梁の軽便鉄道時代と思われる橋台を記事にしたが(リンク)、形状は酷似している。
軽便鉄道時代のものと断定できるのではないだろうか。
付近は廃止時比較的市街地だったため、早いうちに道路転用が行われたのだろうか。


20140622name8.jpg

郵便局を過ぎたところで、道は右へと曲がっていく。
軽便鉄道の線路跡は左へと行く。
もともと道は軽便鉄道跡をきれいにトレースしていたようだが、今は右のほうがメインとなっている。
このあたりにも気になる線路跡が存在するが、それについては後日書くとするとして先を急ぐ。


20140622name10.jpg

付近の橋の様子。
このあたりの橋のいくつかはほかのと違い、かなり古いコンクリートである。
砂利が大粒で、水面近くがかなり削れている。
だが航空写真を見ると付近は昭和30年代まで橋がなかったようなので、戦後のものと思われる。
なかなかに紛らわしい。


20140622name11.jpg

少し行くと道は完全に分断される。
というのも地鉄とJRをくぐる道があるからである。
もちろんこの先にも道はしっかりある。
近くの看板にはこの道がまっすぐだった時代の地図があるが、さすがに軽便鉄道のことは記載されていない。
付近には木造の倉庫なども多い。


20140622name12.jpg

線路跡といわれても納得しにくいような幅の道になる。
が、2フィート6インチであればこの幅でも十分である。
左手の製材所にはなぜかPC枕木と思しき部材がいくつか存在する。
無論軽便鉄道には関係ないだろうが。
ほかに枕木の破片も存在しているが、おそらくこれも地鉄かJRの絡みであると思われる。


20140622name13.jpg

道は緩やかにJR線路へと近づき、駅のはずれで現在の線路と邂逅する。
大正時代の地図によればこのあたりで吸い込まれるように滑川駅に接続したようだ。
昭和20年代の航空写真では駅のはずれに四角い田んぼがあるので、この道をもう少しまっすぐ行ったところで合流していたのか。
開業時から国鉄と軽便鉄道は跨線橋でつながっていたようなので、1067mm付け替え時にはどのような線形であった下記になるところである。
当時は島式ホームだったようだ。

さすがに廃線から80年以上経っていると遺構なんて物はほとんど見つからない。
廃線跡探しの難しさを感じさせられた。
当時の線路移行などについては不明な点も多いので、まだまだ探しがいはありそうである。

撮影日 2014年06月22日(すべて)
  1. 2014/06/22(日) 22:48:24|
  2. 廃線など
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G01編成に転落防止幌

20140619g01.jpg

近頃設置が進んでいる転落防止幌。
J編成が全車装備で配置されたことに続いてか、G編成でもその動きが激しい。
今回新たにG01編成にも転落防止幌が設置された。
すでに設置されていたのと同じ流線型のJ編成についているものと同じものである。
今後も多くの編成に設置されるであろう。

撮影日 2014年06月19日
  1. 2014/06/19(木) 23:58:49|
  2. 521
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お盆きっぷの案内はじまる

20140618obon.jpg

お盆指定席券の事前申し込み案内が始まった。
写真は吊広告。
通常切符は一ヶ月前からの申し込みとなるが、8月8日から8月17日までの間の指定席券については、6月28日から7月2日からでも受付が出来る。
混雑するお盆時期の切符を事前に取らせようという試みである。
はくたか、しらさぎ、サンダーバードがそろった広告は今年が最後となるであろう。
申し込みは緑の窓口で受け付けている。

撮影日 2014年06月18日
  1. 2014/06/18(水) 23:51:19|
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G18編成

20140614g18.jpg

呉羽-小杉間を快走する521系。
G18編成は量産車でも乗務員ドアの取っ手の凹みがなくなったタイプだ。
撮影したあたりは新幹線工事の関係で架線柱が新しい。
新しい車両とあいまって近代的な雰囲気である。

撮影日 2014年06月14日
  1. 2014/06/17(火) 22:27:46|
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中滑川駅改築後の姿と旧駅舎跡

20140615nakaname1.jpg

中滑川駅が消えてしまった。
結構前のことになるが、店舗や農協と一緒くただった中滑川駅は改築工事を経て更地となり、新しい駅舎となった。
当然ながら旧駅舎はその役目を終えて解体された。
写真がその跡地。
正面にスーパーがあったのだが見る影もない。
今の駅舎は解体された易者の前にあっ易者の会った場所に近い。


20140615nakaname2.jpg

旧駅舎は地下道を用いてホームに行くもので、当時としては比較的高級な駅だった。
中滑川駅がターミナル機能を果たす予定だったその期待が伺える。
しかし現在の駅は構内踏切を使用してホームへ行くというものになっている。
安全という点後退した感がある。
これに伴い上下列車とも交換がない場合は構内踏切を通過しないよう線形を変更した。
したがって上り下りがはっきり分かれていた時代の表記は消された。


20140516akaname3.jpg

旧階段はガードされた。
これはその中にカメラを突っ込んで撮影したもの。
会談の踊り場当たりにアクリル板のようなものが見えるがおそらく水面である。
この地下道は踊り場より下はすでに水没しているものである。
聞こえはいいがボウフラなどが沸きそのうちとんでもないことになるだろう。
金魚でも放せば生きていけそうな深度である。


20140615nakaname4.jpg

ホームから駅舎跡を望む。
右手にあるのが改札口跡である。
地下道の入り口を兼ねていた。
もちろん解体されて現存しないが、ぽっかり明いた穴部分には同じように水がたまっている。
どうしてくれるのだろうか。
旧駅舎の下には用水が流れており、JRや地鉄もパスしている歴史の古いものである。
駅舎が解体されて数十年ぶりに姿を見せた。
なぜか古ぼけた瓶や陶器のかけらなどが多数落ちている。


20140615nakaname5.jpg

接続していた農協はまだ生きている。
農協もかなりの部分に劣化が見られ、どうにかしたほうがいいような気がする。
かつてはこの農協にある出入り口2箇所からも駅へ行くことができたが今は封鎖されていてつかえない。
駅舎側の構造物は根こそぎは解されたが、こちら側ではすでに建物すらない喫茶店などの看板が現存する。
いつまで残るかは不明だ。

併せて幻の3番ホームやレールも撤去され、海岸線計画をしのぶものは中途半端な空き地と、駅事務所にあるポイント操作盤だけになってしまった。

撮影日 2014年06月15日(すべて)
  1. 2014/06/16(月) 23:52:17|
  2. 地鉄
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割れる西滑川駅ホーム

20140615ware.jpg

西滑川駅は県内地方鉄道の中でも重要な意味を持つ駅の一つであるが今じゃただの無人駅である。
なんにもあったもんじゃあない。
構造物のほとんどが開業時と異なるため、おそらく電鉄に買い上げられた後のものだろう。
ホームも同様であると思われる。
このホームの上市方であるが、年々割れてきている。
どうやら線路側はしっかりとした石造りなのだが、反対側は土盛である。
そのため土盛側が減ったか石側が傾いたかでホームに亀裂が入ってきている。
このままではいずれ柵側に崩れるのではないか。
隙間から草が生えているのはかなり危険である。

撮影日 2014年06月15日
  1. 2014/06/15(日) 23:54:06|
  2. 地鉄
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呉羽駅の工事

kureha20140614.jpg

呉羽駅の下りホームである2,3番ホームでは工事が行われている。
名目は改良工事ということである。
ホームの富山よりで工事中だ。
もともとこの場所には屋根がなかったのだが、そこに重機などを投入しなかなか規模の大きい工事をしている。
終了時期などは不明だ。

撮影日 2014年06月14日
  1. 2014/06/14(土) 21:44:41|
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金沢駅中2階のトイレオープン

20140613kanazawast.jpg

以前金沢駅中2階の待合室と売店について書いた。(リンク
その場所であるが長い封鎖を経てトイレへと生まれ変わった。
以前のトイレは6、7番ホーム階段の横にあったが封鎖された。
新しくなったトイレは以前より明るめのイメージである。
同時に百番街への通路にシャッターが設置された。
何の工事かは不明である。
シャッターの前は昼ごろだと臨時切符売り場となっている。

撮影日 2014年06月13日
  1. 2014/06/13(金) 23:35:37|
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東富山寿町の北陸本線旧線跡

北陸本線は開業以来高速化のためたびたび線形改良を行っている。
もっとも活発だったのは複線電化のときで、多くのカーブで行われた。
そのひとつ、東富山駅と水橋駅の間にある東富山寿町のカーブが今回の話である。


20140608a1.jpg

東富山駅の直江津より突端。
右手が保線車両の側線で、奥が本線である。
レールは東富山駅を出るとすぐに右へとカーブする。
このカーブの曲線を緩和するため、レールが付け替えられたのだ。
第二東岩瀬街道踏切は現在道路改良工事が行われている。
それゆえ分岐地点の面影はあまりない。
かつては写真奥手前それぞれに専用線が分岐しており、線形選定は面倒であったのではないだろうか。


20140608a2.jpg

富山方を見る。
写真中央にある地下道や空き地が旧線跡である。
旧線は直線であるが、現行線は踏み切りを過ぎるとすぐにカーブを始める。
旧線跡は左方向に進んでいく。
手前に向かうカーブがあるがこれは別の線路跡である。


20140806a3.jpg

直江津方面を見る。
長い空き地が続いた後、線路跡地は比較的整地された場所になる。
右手にあるのは塗装会社の土地だが、そのほかいくつかに分割されている。
新しく柵なども作られ、結構アクティブに運用されているようだ。
一部ランダムな畑が存在したりするが、聞けばJRの所有ではなく地主がちゃんといるという。
左手には道を挟んで住宅街が続く。


20140806a4.jpg

線路跡に存在するコンクリート製の橋。
下の側溝をパスするためのものだろう。
今は物置か何かに使われているようだ。
側溝が新しいため年代は不明だが、コンクリート自体は新しく見える。
この線区は開業時の構造物はほとんどレンガ造りか石造りであるため開業当初のものとは考えにくい。
ただ方向や形状、幅はそれらしいため、後になって設置されたとも取れる。
作りは後述の川田下水渠に酷似している。


20140806a5.jpg

カーブ中腹で富山方を見る。
現行線はかつて田んぼであった。
それを潰して作ったのだが、旧線と現行線の間の田んぼは一部が今も使われている。
この写真より後ろの田んぼは荒地となっているが。
注目すべきは境界杭である。
国鉄境界杭はなんと田んぼの中に刺さっている。
それに併せているのか苗もそこだけ植えられていない。
農機具の関係かもしれないが。杭があるというのはなかなかに不自然である。
土地の権利はどうなっているのだろう。


20140806a6.jpg

唯一出自のはっきりする構造物がカーブの直江津よりにひっそり存在する。
写真中央にあるコンクリート製の橋がそれである。
正式名称は「池田下水きよ」。
昭和36年5月4日着工で7月の完成、施工はこのあたりではおなじみの川田工業となっている。
現行線の構造物は1966年つまり昭和41年に完成しているので、この橋はたったの5年しか使われなかったことになる。
さらに悲しいことに、写真からわかるようこの橋の下にはもはや下水も川も何もない。
ほぼ完全に土に埋まり橋としての役目すら果たしていない。
数年しか使われなかった上に役目すら果たせないとはなんとも気の毒である。


20140806a7.jpg

直江津よりの端は運送会社の駐車場となった。
かつては製材所などが向かいにあったが今は住宅地と化している。
この駐車場の下には暗渠が通っており、旧線の時代から存在した。
現在は道路拡幅もあって当時のものが残っているかどうかを確かめることはできない。
駐車場の端に若干昔のものと思しき石積みが存在するものの、鉄道と関連したものとは断定できない。


20140806a8.jpg

駐車場の横部分から直江津方面に向いて。
ゴミステーションが立っている。
写真右の道田踏切向こうで線路は合流する。
旧線跡側面に用水が存在するが、コンクリート製の側溝には鉄道との関連を示すものはない。
周囲には古レールの柵がこまごまと存在し興味深い。

現行線は1966年の夏ごろにほとんどの構造物が完成し、年の終わりごろに複線開業している。
なお前年の1965年にはすでに電化開業が済んでいる。
この間の河川設置状況はどうであったのか興味深い。

本記事更新時にアクセス数が10万を突破した。
ありがとうございます。

撮影日 2014年08月06日(すべて)
  1. 2014/06/12(木) 23:42:22|
  2. 廃線など
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東金沢駅ワンマン準備看板?

20140611higasikana.jpg

最近北陸線ではミラーの設置が進んでいる。
これは三セク化後のワンマン運転を見越してのことだろう。
富山までのかなりの駅に設置が認められる。
同時に設置が進んでいるのが写真の看板。
両側ともシールなどで覆面され、内容は不明である。
設置時期が同一なため、ワンマン運転に関したものであると思われる。
おそらく乗車位置の看板だろう。
写真は東金沢駅のもので、下りホームのもの。
もちろん上りホームにも設置済みである。

撮影日 2014年06月11日
  1. 2014/06/11(水) 23:50:21|
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クモハ415-807にある幕跡

20140606c07.jpg

七尾線に充当される415系800番台の第7編成であるB07編成。
その七尾よりにあるクモハ415-807には方向幕の跡が残る。
写真がそれで、非公式側の写真である。
800番台は113系からの改造編入である。
そのためもとの装備が残る車両もある。
415系800番台には原則側面方向幕は存在しないため、種車のもそのまま塗りつぶしたのだろう。
800番台はそれゆえさまざまなバリエーションが存在する。

撮影日 2014年06月06日
  1. 2014/06/10(火) 23:43:33|
  2. 475/413/415
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高岡駅5,6番ホームの雨漏り

20140606takaoka.jpg

高岡駅の5,6番ホームは主として北陸本線の下り列車に使われている。
このホーム金沢よりには近年新しく作られた密閉式の待合室がある。
あるのだが、その手前にあるベンチはご覧の通り雨の日にはつかえない。
立派な屋根はあるのだが、そこから雨漏りしているようだ。
確かに少し弱そうな部分が見える。
このホームの屋根は最近改修を行ったはずだが、その場所にかかっていなかったのか。
後一年もしないうちに平行在来線になるからかどうにも適当な感がぬぐえない。

撮影日 2014年06月06日
  1. 2014/06/09(月) 23:44:58|
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18D-12006

20140608d1812006.jpg

とある空き地にたたずむJR有蓋コンテナ18D。
12006は20000以上製造されたことを考えれば番号では真ん中あたりである。
ほんの10年ほど前までコンテナ貨物では必ずといってよいほど見かけた本形式であるが、もはや見ることはない。
その割りにC20などより見かける機会が少ないようにも思う。
場所的に倉庫として使用されているのではないだろうか。
売却した支社名は不明である。
固体番号は同系色で塗りつぶされている。
しかし経年の劣化からかやや色が薄れており、前の番号が読み取れる。

撮影場所 富山県富山市
撮影日 2014年06月08日
  1. 2014/06/08(日) 23:50:44|
  2. 廃車・廃コン
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太郎田踏切工事中

20140603taroda.jpg

北陸本線野々市-西金沢の太郎田踏切。
工場や住宅ばかりのこのあたりだが昔は太郎田といったらしい。
この踏み切りは交通量の多い踏み切りなのだが、現在封鎖して工事中である。
工事自体は新幹線橋梁の設置時から断続的に行われていた。
今回一帯を封鎖し迂回路を作ったうえで改修工事を行っている。
三線分あった踏切を一度はがし、警報機なども改修した上で新しく道を作り直しているようだ。
8月くらいまで行うとのことである。
この間106号線から195号線へ行く道は封鎖され、106号を迂回路として指定している。

撮影日 2014年06月03日
  1. 2014/06/07(土) 23:59:52|
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西金沢駅前新ローターリー舗装終わる

20140603nishikane.jpg

昨年から続いている西金沢駅前の舗装工事。
踏切工事やシェルター工事に続き、ほとんどの舗装工事が終わった。
現在まだ立ち入り禁止である。
以前と違いほぼ完全にただのロータリーとなった。
駅利用者はどこに駐車すればよいのだろうか。
加えてシェルターがあるため大型車もここを利用することはないだろう。
シェルターは新西金沢絵の駅前までつながったが、このところ雨はないので効果を発揮する機会はまだない。

撮影日 2014年06月03日
  1. 2014/06/05(木) 22:23:44|
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どこかに行ったEF58-36

20140603ef58.jpg

最近こういう無責任かつやる気のないタイトルにハマっているのだけれども。
4月に雪囲いされた状態のEF58の記事を書いた。
それからしばらくした5月くらい、シートにくるまれたEF58-36はいずこへと消えてしまった。
いつまでたっても同じ場所に戻る気配もなく、レストア場所にいるわけでもないので、少なくとも金沢貨物の見える位置からはいなくなってしまったと言えよう。
もともと個人所有であったし、預かり物という話もあったので、新しい引き取り手があったのかもしれない。
113号機と42(44)号機はいまだに姿を変えず、同じ場所にいる。

撮影日 2014年06月03日
  1. 2014/06/04(水) 23:42:10|
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G14編成の転落防止幌

20140529g14.jpg

先日G22編成に装着された転落防止幌の話を書いた。(リンク
このときはG22編成のみが装着車両のみだと記述した。
しかし最近G14編成もまた転落防止幌を装着した姿で出場した。
G14編成は以前通常の姿を紹介した。(リンク
最近やってきたG22編成と違い、G14編成は以前から富山方面などに配属されている車両である。
J編成の導入と合わせ、これから転落防止幌装着車両が増加するのであろうか。
それとも依然試験段階なのだろうか。

撮影日 2014年05月29日
  1. 2014/06/02(月) 23:43:25|
  2. 521
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山王祭と環状線封鎖

20140601san1.jpg
 
毎年恒例の山王祭。
富山市内で開催され、市内中心部が封鎖され多くの屋台が出る。
実際のところ祭りが多すぎて、何が山王祭なのかわからないような幹事でもある。
大和横などでは模擬店が多数出展するため、道路封鎖が行われた。
同時に市内電車の環状線も封鎖されている。
写真は西町交差点を向いたところ。
正面が市内電車の西町電停で、手前が環状線の線路だが完全に封鎖されている。


20140601san2.jpg

こちらは大和横を抜けた一番町交差点。
ここまでの間は電停を含めて完全に封鎖されている。
間にはトラック上でのコンサートや模擬店などが展開された。
一番町交差点より丸の内方面は特に封鎖となる要素はなかった。
環状線の主要部分が封鎖されたため、この日は運休となり環状線車両は南富山で休むこととなった。

撮影日 2014年06月01日
  1. 2014/06/01(日) 23:58:37|
  2. 万葉線
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