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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

クハ455の角窓

20131031windkh455.jpg

オリジナルの475系の窓は隅にRがついている。
しかしこのクハ455-14にはRがついていない。
クハ455-13やクハ455-13はシールドビーム化などが行われており窓の変更もその一つ。
サハ455などもかつてはこうだった。
同時に窓のサッシも変更されている。
つまみが上についていて、上段を下げることになる。
下の方にはついていないため、動かすことはできない。
変更されているとはいえゴムが適当なのか、冬は吹き込みで寒いときがある。

撮影日 2013年10月31日
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  1. 2013/10/31(木) 23:41:25|
  2. 475/413/415
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北鉄7102の密自連

20131006.jpg

北陸鉄道7100系の野町側の車両7102。
その先頭部分に設置されている連結器である。
密着自動連結器、いわゆる密自連である。
ピンではなくレバーがついている。
空気管などのついてない至ってシンプルなタイプ。
北鉄石川線では通常2両編成でしか運転しないため、連結器の出番はない。
せいぜい工場構内での入れ替え位である。
浅電で最近あったように非常時であれば4両編成で走ることもあるだろうが。
グレーに塗られているが先端は汚い。
鶴来駅にて。

撮影日 2013年10月06日
  1. 2013/10/29(火) 23:05:57|
  2. 北鉄
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津幡駅上り待合室

20131028tsuba2.jpg

津幡駅の上りホーム待合室。
下りホームから撮影した姿である。
北陸本線の石川富山県境界隈ではほとんど最後といっていい存在である。
正式名称は上り乗降場待合所という。
財産管理票によれば昭和13年の建築で、これが本当であればこの界隈では最も古い。
屋根続きに見えるがかつては独立した上屋であった。
写真を見てもわかる通り屋根の作りが違う。


20131028tsuba1.jpg

中は質素なつくりである。
ゴミ箱なども設置されていない。
何度も塗り直しがされているようだが落書きなども見受けられる。
警光灯は剥き出し。
終日禁煙のほか監視カメラのステッカーが貼ってあるがカメラは見当たらない。
椅子は低さからしておそらく昭和13年からそのまま使用しているのであろう。
窓枠は木製だが入り口なども含めてアルミサッシに変更されている。
アルミサッシは新日軽製。
写真は金沢方面を見たものだが、富山方の壁だけなぜかオレンジ色である。


20131028tsuba4.jpg

外側から見ると待合室の壁は張り替えなどがされているようである。
しかし素材を見ると木でできていたことがわかる。
これは屋根との接合部分。
右手が木造の待合室であることがわかるだろう。
古い待合室を屋根で繋げてしまうのは石動駅なども同じであった。
雨樋なども新しいもののようだ。
一見しただけでは戦後の物か戦前のものかわからないような作りの待合室になっている。
津幡駅は橋上化が決定しており、待合室や古レール製の跨線橋の今後が気にかかる。

撮影日 2013年10月28日(すべて)
  1. 2013/10/28(月) 23:41:03|
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神岡鉄道最終日のろうそく

rosoku.jpg

くしゃくしゃにして容器の形にされたアルミホイル。
その中に真とロウが入っている。
根元は絞られ、下は自立できるように平たい。
これは神岡鉄道最終日の2006年11月30日に使用されたもの。
当時神岡線の最終列車は奥飛騨温泉口止まりであった。
それ故最終列車に乗車しているマニアは予想より少なかった記憶がある。
マニアたちはその後車で帰るかタクシーに乗るかを選択しなければならなかった。
その最終列車を迎えるため、駅のいたるところにこの蝋燭が設置されたのだ。
蝋燭を持つ立場ではなかったのだが、帰り際地元の人に欲しいと言ったらくれた。
以来、ずっと保管してきていたもの。
最終日に購入した切符の次の番号がオークションに売られていて苦笑した覚えがある最終日。
切符は価値がついてもまだこの蝋燭を持っている人間はあまりいないような気がする。
気が向いたら灯してみたい。
  1. 2013/10/27(日) 23:52:28|
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九折橋下の謎のガードレール

20131013tudura.jpg

この写真を撮影した場所は旧北陸本線の線路跡。
金沢方面を見たところである。
上を走るのは現在の国道8号バイパス九折橋。
そして写真奥に見えるのは旧北陸線の九折トンネル跡。
現在は国道の下敷きにされ入り口は封鎖されている。
さて、問題は写真左手のガードレールである。
現在の国道が開通して20年以上たつが廃線跡の脇にはなぜかガードレールが存在する。
この先は封鎖されたトンネルがあるだけで道はない。
地面は大きな段差があり車が走れるような場所ではない。
一体どうして、この廃線跡にガードレールが設置されたのだろうか。

撮影日 2013年10月13日
  1. 2013/10/26(土) 23:53:01|
  2. 道・橋・隧道
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呉羽駅改札と階段

20131025kurehast.jpg

呉羽駅の改札は北陸線の中ではあまり多くない構造である。
というのは出札口からホームまで段差があるのだ。
その差階段二段分。
加えて狭い。
大したことではないとはいえバリアフリーが進む時代には若干不適切である。
改札の扉には車いすへの傾斜注意を呼びかけるステッカーがあるがそもそも車いすが入れない。
駅にはかつての団体用入り口が存在するが、自販機置き場になっていて狭いうえ、封鎖されている。
夜中は開けてくれる駅係員もいない。
スロープにするなり口を広げてやればよいのではないだろうか。
そもそも、呉羽駅の利用者はそこまで多くないが。

撮影日 2013年10月25日
  1. 2013/10/25(金) 23:53:27|
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金沢駅階段端のシール

20131024kanazawastrain.jpg

金沢駅の構内にある階段の端には写真のような黄色と赤色のシールが付いている。
滑り止め風の素材で、内側が赤色で外側が黄色。
黒色の縁取りがされている。
なぜこのようなシールがあるのだろうか。
光るわけでもなく何の意味があるのか。
階段なので端がどこにあるかは目で見ればわかる筈である。
このシール、金沢駅以外の駅にも設置されているようだ。
階段での注意を促すものなのだろうか。

撮影日 2013年10月24日
  1. 2013/10/24(木) 23:56:40|
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EF58-36金沢貨物に

20131023ef5836113.jpg

この間お便り?を頂いた。
EF58-113のその後についてというのだ。
EF58-113はJR西日本広島工場に保管されていたが、どういうわけか金沢貨物の北陸ロジティクス敷地で整備が行われている。
このことについては以前記事にした。(リンク
その113号機だが簡潔に述べるとまだ金沢にいる。
それどころか仲間が増えている。
写真の左手にいるドブに落としたブリキのおもちゃみたいな色のがそれである。
左手にいるのはEF58-36。
広島の模型店に朽ち果てた状態で置かれていたのは保存車両マニアの中ではあまりに有名な話である。
模型店は現在営業しておらず車両の行き先に注目が集まっていた。
どちらかといえば一緒にいたクモハ73のほうが貴重な気がするのだが、EF58-36と同形状のひさしを持つ車両は現存せずこちらも貴重である。
クモハ73のほうは先に保存会が立ち上がり、動態保存で有名な片上鉄道保存会系列の方で保存準備が進んでいるようだ。
EF58-36のほうは音沙汰なしであったが金沢にやってきていることから、北陸ロジティックスを通して何らかの保存が行われるものと思われる。

現在EF58-113は赤い錆止めの塗装から白い塗装になりつつあり、今日も整備が行われていた。
塗装というよりパテか何かだろうか。
EF58-36のほうはやってきたばかりで薄汚れているままだ。
EF58-36はEF58-113よりやや長い状態でカットされていたが、搬入の関係かそれよりもさらに短くカットされている。
おそらく113号機と同じような長さだろう。
台車などの下周りは113号機との間に置かれていると思われる。
ヘッドライトだけがやたら新しく見えるので磨くかあるいはどこかから予備品を持ってきたのではないか。
今後塗装をはがして本格的な整備が行われるだろう。

話によれば現役時は36号機113号機ともに米原に配置されていた僚機で、廃車後も同じ広島県で保存がなされていた。
数十年ぶりに辺境の地金沢で再開した二機。
今後を見守りたい。

撮影日 2013年10月23日
  1. 2013/10/23(水) 16:39:57|
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金沢駅西広場再整備中

20131021kanazawast1.jpg

金沢駅西口。
先に工事が終わったが今度は旧タクシー乗り場などが工事現場となっている。
現在西口を出るとガードが存在して向こう側が全く見えない。
写真は西口のバス乗り場から西口の出入り口を見たところ。
西口の大きな覆いの下は封鎖されている。
新整備計画ではこのあたり一帯を花壇や池にする予定である。
すでにタイルの工事は済んでいるようだ。


20131021kanazawast3.jpg

西口出口より駅前のほうを見たところ。
左端が石川のモニュメントである。
下段は工事の真っ最中でまだ土が入っているだけのようだ。
すでに落葉樹は植えられている。
広場はこの駅前のほか道を挟んだ広岡一丁目広場にまで展開される。
完成予定は平成25年度末となっている。

撮影日 2013年10月21日(すべて)
  1. 2013/10/22(火) 23:51:03|
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県道286号線天田峠のレール落石防止柵

20131020ama1.jpg

県道286号線は安楽寺九折を結ぶ道で、旧国道8号線がそのまま県道になっている。
286号線のハイライトは天田峠をクリアするところである。
九折とはいうが地図を見ると六折しかしていない。
写真の区間はその中でも古く昭和42年に倶利伽羅トンネル開業により県道格下げとなった区間。
石積みの切通しが時代を感じさせる。
撮影した場所は天田峠富山県側なのだがここに注目すべきは落石防止柵にある。


20131020ama2.jpg

道路脇には落石防止柵が設置されている。
道路沿いの落石防止柵や鉄道線路沿いの古レール転用柵は大して珍しくないが、道路沿いの古レールというのは珍しい。
柵は県境より富山県側に数十メートルにわたって設置されている。
レールの大きさはまちまちで、測定はしていないものの50キロレールのほかにもあるようだ。
形も差があり、一部は壊れていることから設置から時間がたっていることをうかがわせる。
この場所は天田峠の最高地点に当たる。
明治のころから北陸線はこの下をトンネルで抜けているため、このあたりにレールがあったことはかつてない。
なぜ旧国道の落石防止柵にレールが用いられたのであろうか。

撮影日 2013年10月20日(すべて)
  1. 2013/10/20(日) 22:54:47|
  2. 道・橋・隧道
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G04編成

20131013521g04.jpg

北陸本線小杉-呉羽間を快走するG04編成。
金沢所属の521系としては比較的若い番号となる。
G編成、所謂521系二次車である。
手前がクハ520。
521系にも全車北陸本線全通100周年ステッカーが付いておりクハ520の場合山側についている。

撮影日 2013年10月13日
  1. 2013/10/19(土) 21:41:28|
  2. 521
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小杉駅ホーム工事準備

20131018kosugi.jpg

小杉駅2、3番ホーム。
通常上り列車が発着するこのホームの金沢方で工事準備が始まった。
写真の場所には普通列車は停車せず、特急のみが停車する。
駅本屋に張り紙はされていないが、工事の状態と準備の雰囲気からホームのかさ上げではないだろうか。
ホーム突端に資材置き場が設置されているほか、駐車場にトラックの出入りがある。
警備などは主として2番ホームにいるので2番ホームの改修であろう。
2番ホームは普段は退避列車や回送列車が停まる。
このホームの端は何度も繰り返しかさ上げをしているのでやや状態が悪い。
段差なども激しいので状態の改善がされるか気になるところである。

撮影日 2013年10月18日
  1. 2013/10/18(金) 23:53:01|
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25年10月の日本総合リサイクルバス

20131014bsnihon.jpg

沢山存在していたバスも、この頃はずいぶんと数が減ってしまった。
今回はこの3台しか見ることができなかったのだ。
手前にいるのは三菱MP218K。
大抵見かける丸目ではなく富士重の7Eタイプである。
塗装からして千葉県にある日東交通系列であろう。
まったくテープで隠蔽されているが隠れていない部分から推測するに、日東交通の受け持っていた自治体用のバスらしい。
おそらく鴨川市立長狭幼稚園の園児送迎用バスとして使用されていたものと思われる。
となりは地鉄バスの旧塗装通称青バス。
こちらも三菱MP218K。
最近廃車になったものといえば265号車が思い浮かぶがこの距離では確認のしようがなかった。
その隣は京福バスと思しきもの。
7Eボデーだが並びからして三菱系のような気がしなくもない。
こちらも隠れていて詳細不明である。
実は後ろに関越バスもいるのだがいつもいるので省略する。

撮影日 2013年10月14日
  1. 2013/10/16(水) 23:59:16|
  2. バスとか
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上り倶利伽羅トンネル倶利伽羅方の構造物

20131013kurikarat2.jpg

富山から金沢へ行く列車に乗ると、倶利伽羅トンネルを抜けることになる。
長い倶利伽羅トンネルを過ぎると一瞬轟音は去り、ザーッという音がしたと同時に再び何かの下を潜り抜けて倶利伽羅駅へと向かう。
このザーッという音の原因が写真の物体である。
天田峠を越える道からフェンス越しに撮影したことのある人は必ず目にする物体であろう。
しかしこの構造物、よく見ると妙である。
ラーメンがラーメンを取り囲むような形になっている。
そして中に入っている方にはガーターか何かを固定した跡があり、外側の物はフラットである。
これが橋だったとすれば、なぜこのような形になったのか。
そしてどうしてここに佇んでいるのか。


20131013kurikarat.jpg

ご存じのとおり、右手が北陸本線上り線、左が下り線である。
現在の倶利伽羅トンネルは新線開業の昭和30年に開業と相成っている。
写真を見るとわかる通り、この構造物とそれに付帯した切通しは上り線のみに設置されている。
またこの構造物が橋だとして、その延長線上は何もない、あるいは家であることもわかる。
この写真を撮影している撮影者のいる場所は前述のとおり天田峠の北陸線をパスする橋である。
天田峠はかつてこの場所から旧北陸本線倶利伽羅トンネルの横へと抜けていた。
地図で見ればわかるが旧北陸本線倶利伽羅トンネルは現在の国道8号線倶利伽羅トンネルである。
つまり新倶利伽羅トンネル開業から昭和42年に旧倶利伽羅トンネルを国道トンネルに改修するまではこの足元の橋は国道8号線のメインストリートであったわけだ。
これを踏まえて考えると、天田峠の橋は新線開業時の昭和30年には完成したと考えられる。
北陸線の上下線開通には7年の差があるが、その差を示すように天田峠の橋は上下線で造作が違う。

では、この構造物はなんなのか。
明らかなトマソンと化した物体は昭和30年より以前に橋か何かとして役目を果たしていたということなる。
少なくとも下り線開業の昭和37年前には役目を終えているだろう。
流石に年代が古く地図も航空写真もまともなものは手に入らなかったがいくつかの推測ができる。
ひとつは旧天田峠の橋であったということである。
天田峠は前述のとおり昭和42年までは国道としての機能を有していたためカーブが緩和されている。
この橋もその一つで上空から見なくても石動側から降りてくると倶利伽羅方面へカーブしていることがよくわかる。
かつては山からまっすぐ道が降りてきてこの切り通しを超えて旧北陸線にぶつかり、そこから直角に倶利伽羅の町を目指していたという推理だ。
家が建つ前の古い時代だとすれば納得ができなくもない。
とはいえ、昭和30年かそこらに天田峠の橋があったことは事実なのでこれだけではいまいち説得力に欠ける。
もうひとつ考える要素になるのは倶利伽羅トンネルの歴史ということである。
北陸本線新倶利伽羅トンネルは約3年で開業しているが、もともとは戦前の計画で、戦争悪化のため工事が中断されている。
昭和27年に工事が再開され、30年に開業するまで都合14年もかかっているのだ。
ここから推測するに昭和14,5年の工事開始時に天田峠の道が分断されてしまうこととなった。
そのため工事現場をパスする形で架橋し、その後交通量の増加で橋の幅員を増やすため一度増設。
これによって新旧のラーメンが存在するようになった。
その後新線が開業するのと国道近代化工事に合わせ天田峠の現在の橋を新設。
古い橋は撤去され、山側はやがて住宅に、海側は下り線工事で取り壊され、構造物だけが残った。
と推理することはできる。
しかしながら憶測であるし、こんなこと知っている人はもういないのではないか。
戦後すぐの航空写真にも仮説を裏付けてくれるようなものはない。
新倶利伽羅トンネル開業のどれもこれも旧線と近かった石動側の写真ばかりでこちら側のは見当たらない。
ご存知の方がいればご教授願いたいものである。

撮影日 2013年10月13日(すべて)
  1. 2013/10/15(火) 23:02:58|
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日本総合リサイクルの地鉄14721+171

20131014chitetsu2.jpg

火災で焼けた地鉄14721。
先日ついに稲荷町を離れ、伏木へと連れてこられた。
ほぼ間違いなく解体のためであると思われる。
写真右が171。
171はヘッドライトや下周りなど使えそうな部品は根こそぎ取ってしまったようだ。
台車やパンタグラフもない。
おそらく生きている14722に回すのだろう。
燃えてしまった14721は左側。
機材で見えにくいが、外見は案外無事のように見える。
が、窓ガラスは煤で真っ黒、ところどころが割れている。
下周りが出火元であるため、当然部品取はされていなかった。
事故調が調べたときのまま廃車にされたと思われる。
右奥には419系がおり、現役時には並走区間で顔を並べた仲。
奥の地鉄バスも同じである。
手前にいる名古屋地下鉄5000系は日車製のもあるので、同じ日車製造14721の20年後輩ということになる。
いつ解体されるかは不明である。

撮影日 2013年10月14日
  1. 2013/10/14(月) 21:01:46|
  2. 廃車・廃コン
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踏切柵の珍しい使われ方

20131013humikiriita.jpg

とある旧国道沿いの写真。
ご覧のとおり写っているのは踏切でよく見かける柵である。
コンクリート柵で、黄色やオレンジの縞で反射板がついている奴だ。
ただ、ここは踏切ではない。
線路は直下4メートルほどにあり、また歴史上ここに踏切があった時代はない。
何故踏切用の設備がこの何もない空き地に設置されているのだろうか。
考えられることとして、この写真の右手が急カーブであるということである。
この急カーブをそのまま突っ走ると、緩い崖から転落して線路に車が突っ込む恐れがある。
それを防ぐために設置されているのではないかということだ。
長い間設置されているようで塗装は剥がれ、根元から傾いている。
肝心の真ん中の部分が抜けているため、もしかしたらほかにも仲間がいたのかもしれない。
足りないところは枕木で代用していたようだ。
踏切用柵の珍しい使用方法ではないだろうか。

撮影日 2013年10月13日
  1. 2013/10/13(日) 23:02:11|
  2. 道・橋・隧道
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金沢駅いきものコーナースズムシ消える

20131010ikimono.jpg

金沢駅改札前にあるいきものコーナー。
どれくらいの人が見ているかは知らないが、しょっちゅう見に行く人もきっといるはずだ。
先日、この場所にあったスズムシのケースが撤去された。
理由は考えなくても大体想像がつく。
それ故に悲しいものだ。
今のところまるで最初から何もなかったかのように金魚とメダカが泳いでいる。
これから厳しい冬を迎えるにあたって、棚の上の段が埋まる日は来るのだろうか。

撮影日 2013年10月10日
  1. 2013/10/12(土) 23:42:57|
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新幹線高架下にある新枕木?

20131010makuragi.jpg

北陸新幹線高架下に置かれたブツ。
適度な長さと大きさからして枕木であると思われる。
が、あまり見ない色である。
やたら明るい茶色で、塗られていない面からは木の地色が見える。
すでに配置場所が決まっているようで、締結されているもののチョークで文字が書かれている。
穴も開いており、枕木として使用するのだろう。
新幹線高架下にあるがおそらく並走する在来線用の物ではないか。
しかしいったい何のどこに使用するのだろうか。

撮影日 2013年10月10日
  1. 2013/10/10(木) 23:18:30|
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457系復活塗色の話題

20130930456.jpg

富山港線廃線の折、475系2編成を旧国鉄急行色へと塗り替え、イベント用列車として使用した。
廃止後も475系は北陸本線を中心とした一般旅客運用に他の車両と混じって使用されていた。
521系大量導入の際に1編成は廃車になったがもう1編成は元気に走っている。
今も走っているのがA19編成、もう消えたのがA16編成である。
さて、北陸本線全線開業100周年を機にイベント列車を運行する運びとなったが、どういうわけか再び国鉄急行塗色をもう1編成復活させた。
それが写真のA13編成である。
あずき色とクリーム色の塗装が再現されている。
ところがこのA13編成は475系ではなく457系である。
457系は生まれたときから3電源対応車両、つまり直流、交流50Hzと60Hzに対応した車両である。
車両の裾についているクリーム色の帯は3電源対応でないことを示す帯である。
つまるところ復活とうたいながら実はこの塗装はおそらくこの車両たちにとって初めての塗装であろう。
何故こういうことをしてしまったのか、475系が大量にいるにもかかわらず。
謎である。

撮影日 2013年09月30日
  1. 2013/10/09(水) 23:03:48|
  2. 475/413/415
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鶴来駅のティッシュペーパー自販機

20131006toire.jpg

鶴来駅向かって右手にはバス関係の事務所があり、その奥にトイレがある。
そのトイレに設置されている自販機が写真の物。
田舎によくあるティッシュペーパーの自販機である。
特筆すべきことは一つ30円であることだ。
購入しなかったから不明だが、通常この手の物は100円か50円である。
それが10円玉3枚で購入できるというのは若干お買い得である。
但し中身はどうか知らない。
かなり古い外観だがその割に劣化はあまりひどくなく、販売中であるようだ。
LESTER.CO.LTDとあるのでそういう名前のメーカーが作ったようだ。
レスターというと大阪にあるビジネス関係のメーカーが出てくるが、これと同じメーカーかどうかは不明である。
少なくとも今はティッシュペーパーは作っていなさそうだ。
だとしたら中には何が供給されているのか。
気になるところである。

撮影日 2013年10月06日
  1. 2013/10/08(火) 23:27:17|
  2. 北鉄
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富山地域鉄道部除雪車休車の話題

20131005zyosetsu.jpg

富山機関区の本線側には除雪車が並んでいる。
車種はDD15、DE15-1500番台、DD16-300番台など。
冬が近くそろそろ支度をするころであろう。
さて、この機関車群のうちいくつかが「一休」の札を掛けているのだ。
おそらく「一時休車」の略であると思われる。
確認できただけでもDD15-15とDD15-31がそうなっているようだ。
DD15-15は昭和38年、DD15-31は昭和39年日本車輛製造である。
富山地域鉄道部に所属するDD15は5両であるため、半数近くが休車扱いとなっているわけである。
この日見たところ、DD15-11とDD15-13はまだこの処置が取られていなかったためこの冬も使用するのであろう。
最近北陸線の除雪はモーターカーを使用し、ある程度雪が降るとすぐ運休するのが方針らしい。
三セクへの譲渡も含め除雪車を減らす方針なのであろう。
それ以前にDD15はDD13後期型とフェイス等基本設計が同じである。
休車になった各車両はともに車齢50近い。
耐用年数のことを考えればもう限界である。
今後北陸線の除雪がどうなるか、気になるところである。

撮影日 2013年10月05日
  1. 2013/10/07(月) 23:06:05|
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新天狗橋開業から一年

鶴来手取川に架かる天狗橋。
昨年一度記事に取り上げたが(リンク)、架橋一年を機に再び訪れた。

20131006ten1.jpg

美しいトラスの旧天狗橋。
旧天狗橋の大部分は撤去された。
なぜか右岸側のトラス1スパンだけが今も撤去されずに残っている。
当然ながら立ち入り禁止ではあるが。
そのうち撤去するつもりなのだろうか。
しかし工事機械も近辺には見当たらなかった。
もしかしたら保存するつもりなのかもしれないが、今のところその話は聞かない。
この橋にアプローチしていた道はすでに跡形もなく潰されていた。


20131006ten2.jpg

手前が撤去されたばかりの4代目天狗橋の橋台。
ここに接続していたガーターも、その隣にあったトラスもすでにない。
橋台もきれいに始末されたようだ。
しかし道路の突端まではまだ整備が回っていないようで、欄干の一部が残る。
道路もガードレールが増設されずにフェンスだけとなっている。
左手は4代目を架橋する発端となった事件の舞台である3代目天狗橋の左岸橋台。
因縁の二つの橋台はともにその役目を終え静かに草の中に佇む。


20131006ten4.jpg

4代目天狗橋にアプローチして七ヶ用水をパスしていたさんまいはし。
こちらは完全に撤去され、現在新しい橋がその上に架けられている。
まだ工事中のようで、人が入ることはできない。
それ故橋周辺は歩行者用のスペースが狭く危険である。
現行5代目天狗橋に接続するさんまいはしの真横に作られているため大きな歩道か道路として使用されるのであろう。


20131006ten9.jpg

話とほとんど関係ないが旧さんまいはし橋台。
3代目天狗橋から接続して七ヶ用水を越していた橋である。
3代目天狗橋がなくなってから廃止されたようである。
周辺区画が全く整備されて地図上ですら追うことが困難だが、歩いてみると簡単に見つかった。
写真は左岸の天狗橋寄りの物だが、両側共に割ときれいに残っている。
ただ、右岸は私有地、左岸はおそらく私有地の上に写真のような状態のため近寄ることは非常に困難である。
昭和初期の橋の造作を色濃く残しているものである。
天狗橋と同じくいつか消えるその時まで、ここに橋があったことをひっそりと伝え続けるだろう。

撮影日 2013年10月06日(すべて)
  1. 2013/10/06(日) 23:23:23|
  2. 道・橋・隧道
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25年10月の富山機関区

201301005toyama1.jpg

富山機関区。
機関車の移動が進む中ついに東日本からのEF510-500番台が到着。
徐々にその数は増えつつある。
写真に写るのはEF510-504号機。
つい最近まで北斗星などをけん引していた機関車だ。
星マークや頑張ろう日本ステッカーがそのままの状態となっている。


20131005toyama2.jpg

依然として124号機は留置状態、1号機も同じである。
また39号機もコキ107-140を引き連れいまだに生き残っていた。
札からして訓練に使用されているようだ。

なお、本日富山機関区で確認した機関車は以下の通り。

EF81-1
EF81-39
EF81-124
EF81-627
EF81-633
EF81-729
EF510-504

510はほとんどが出払っていた。
初期番台が奥におしこめられているあたり、今後何らかの動きがあるかもしれない。

撮影日 2013年10月05日(すべて)
  1. 2013/10/05(土) 23:43:49|
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金沢駅寝台特急日本海号号車札

20131001nihonkai.jpg

金沢駅の号車札は点灯式である。
半透明の板に号車番号と列車名が書かれており、直近の列車の物が点灯する。
20年ほどの現行金沢駅の歴史において、何度も愛称や車両が変わっているため、今は空白となった場所もある。
先日白色のはくたか号車番号札について書いたが、今回は日本海号についてである。
寝台特急日本海はご存じ平成24年に定期運転が終了した。
以後臨時列車として運行され、平日など利用しにくいこともあったが、そこそこの乗車率であった。
しかしながら今年に入ってから運転されていない。
昨年は検討中という話もあったが、現状その望みは薄いように感じられる。
それを裏付けるようなのがこの写真の状況である。
決して写真を反転させたのではない。
どうやらこの号車札を反対側にして設置してあるようである。
バツ印はついていないが、少なくともすぐに使うことはないようだ。
あるいはこのまま塗りつぶすか取り外してしまうことも考えられる。
どうなるか日本海。

撮影日 2013年10月01日
  1. 2013/10/04(金) 23:29:36|
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富山港線富山港貨物駅支線跡

富山港線大広田駅より埠頭の方へ分岐していた貨物支線。
歴史は古く岩瀬不凍液として昭和11年に開業した時はまだ富岩鉄道であった。
昭和18年に国鉄に買収された際、終点は富山港駅と名前が変わり、大広田駅が設置された。


20130929toyamakou1.jpg

富山ライトレール大広田駅を降り、岩瀬浜方を見ると一目でそれとわかる廃線跡が左手へと延びている。
これが富山港駅へと続く支線の跡である。
大広田を出た線路が右手にカーブするのに対し、支線は左手へカーブしていた。
写真はカーブから右手に大広田駅を見たもの。
写真中央に富山港線が見える。
かつての大広田駅は左手のカーブの途中にあったが、現在は更地である。
右手の道路は県道1号線。
この場所がかつて踏切であったはずだがなんの跡かたもない。
写真左には自動車工場があるが、それと歩道の間には国鉄境界杭が存在する。
ほとんどこれくらいしか鉄道線路の遺構はない。


20130929toyamakou2.jpg

上の写真よりすこし戻って県道1号線を撮影したところ。
大広田駅前の歩道から1号線までの線路は歩道としてトレースされているが、1号線より先は壁である。
壁の向こうは駐車場に転用されている。
駐車場も左手の建物と合わせて線路の形状にカーブしている。
駐車場は次の踏切があった場所まで続いている。


20130929toyamakou3.jpg

駐車場を過ぎるとしばらくは港まで直線である。
このストレートは遊歩道として整備されているようだ。
言われなければ線路と気が付かないくらいきれいに整備されている。
左手には昭和タイタニウムの昭和初期の物と思われる建物が見える。
何年か前までは文字通りのただの道であったが、最近整備されたようだ。
この写真のあたりも踏切であったはずだがなにも見当たらない。


20130929toyamakou4.jpg

遊歩道は支線のストレート区間とともに終了する。
これより先は右手、つまり岸壁へとカーブしていた。
現在カーブしていた場所は太平洋セメントが全面的に敷地を保有している。
敷地内は完全に整備され、線路の跡は見当たらない。
右手にあるサイロの根元あたりを線路は走っていた。
建物も線路の周りに設置されていたが、現在サイロ以外の建物は撤去され、また新しくなったため余計に線路跡をたどることは困難である。


20130929toyamakou5.jpg

カーブ終端まで歩き、大広田駅方を見たもの。
右手が線路跡であると思われる。
線路跡の大部分は現在私有地で、この部分を含め跡地を歩くということは難しい。
この写真より左手にカーブすると大広田駅だった。
逆に右手にカーブする線路もあり、こちらは日満アルミニウムへの引き込み線であった。
現在の富山昭和電工(昭和タイタニウム)である。
大広田駅からやってきた貨物は、昭和電工へ入るためには一度富山港駅の中に貨物を入れ、スイッチバックするように昭和電工引き込み線へと入っていった。
外国人船員のためかションベンするなの鳥居が立っている。


20130929toyamakou6.jpg

構造物としてはこの大広田支線最大の遺構であると思われる橋。
新日本海重工業横と陸地に流れるどぶ川をパスしている。
なぜか地図には見当たらない。
富山の海は綺麗になったとはいえ、このあたりは今の富岩運河とは比べ物にならないほど汚い。
この溝をパスする構造物は付近にいくつか存在するが、写真中央の橋が鉄道構造物として一番それらしい。
おそらく、ちょうどこの地点で昭和電工引き込み線との分岐点が存在したと思われる。
ヒントはこの橋の両側で造作が違うということである。
鉄道関係の残留物は見当たらなかったが、代わりにどうでもいいような機械部品のかけらが大量に落ちていた。
この写真の真後ろが琴平社である。

さて、ここで遺構巡りは終わりである。
馬鹿野郎ここからが重要ではないか!と思われるかもしれないが、富山港駅構内のほとんどすべては富山港岸壁になっている。
のどかだった時代と違い、現在の富山港は警備が厳重で、多くがフェンスと鉄条網で囲まれている。
かつての通路も大半が封鎖され、岸壁陸側の県道30号線付近はコンクリート壁で同じく囲われている。
テロ対策なのかそれとも見られてまずいものがあるのか、いずれにせよ歩くことは不可能である。


20130929toyamakou7.jpg

昭和60年に設置された富山港展望台より大広田方を見る。
写真全域が立ち入り禁止区域である。
写真手前に見えるのが昭和45年に作られた県営3号上屋。
この真横海側を線路は走っていた。
つまり写真奥手から手前中心に向けてである。
何度もコンクリートが張り替えられているらしく、線路の跡などは全く見当たらない。


20130929toyamakou8.jpg

同じく、富山港駅の突端があったであろう場所にカメラを振ったところ。
左手のかなりレトロな建物が富山県営2号上屋。
この近辺の倉庫では最も古く、昭和39年建設であるという。
一階が県所有、上二階が日通などの民間所有であるが、窓も塞がれ屋上は草ぼうぼうと憐れさを感じる。
この倉庫右手が線路であった。
わずかに県道30号線との間が鉄道らしくカーブしているのがわかるであろうか。
これは奥の1号上屋へアプローチするためであったと思われる。
1号上屋は昭和42年に設置された同じく懐かしい形の物であったが、平成20年に近代的な倉庫へと建て替えられている。
そのため線路があった、線路がアプローチしていた入口などの姿を追うことはできない。
1号倉庫にまで線路が伸びていたはずであるが、末期は2号倉庫の横で線路が止まってしまったようである。

多くの貨物駅がそうであったように、富山港駅も昭和59年の改正後間もない61年に廃止された。
49年と11か月の命であった。
遺構の多くが先述したとおり岸壁に取り込まれ、歴史ある線路の姿をたどることは難しい。
朽ち果て土に埋もれた橋や、もはやほとんど使用されなくなった倉庫がそれを物語るのみである。

撮影日 2013年09月29日(すべて)
  1. 2013/10/03(木) 20:53:27|
  2. 廃線など
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西金沢駅東広場工事始まる

20131002nishikanehigasi.jpg

ロータリーも完成しひと段落ついた西金沢駅東広場。
しかし9月終わりから再び工事が始まった。
東広場改修工事とされているが、埋設管の整備が目的なようだ。
現在駅前広場を柵で囲い、工事の準備が進められている。
駅前の中心が柵で囲われ、左右に出入り口を設置している。
1日より工事ということであったが、準備は9月からすでに行われていた。
2日より本格的にガードがされたようである。


20131002nishikanazawahigasi2.jpg

柵の中はまだほとんど作業が行われていない。
道路にはすでにマークが付けられている。
工事のため警備員が配置されている。
また駅前ロータリーが使用できないため、駅正面を出て右手にあるバス降車場が臨時停車場となった。
乗用車が4台止まれば一杯なため、なかなか狭く危険である。
周知が進んでいないためか、警備員が誘導にあたっていた。
場所を奪われたバスは乗車場で待機することとなり、時間によっては二台が並列で待機することもあるようだ。

撮影日 2013年10月02日(すべて)
  1. 2013/10/02(水) 23:42:15|
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金沢駅はくたか白色の号車番号札

20131001hakutakasirogousya.jpg

金沢駅で特急はくたかに乗車する場合、待機するのは緑色の号車番号札の下である。
68系列には緑色の号車番号札が割り当てられている。
一方で、白色の号車番号札も存在した。
ところが現在はテープでバツ印が付けられている。
つまり当面あるいは永劫に使用することはないということだ。
おそらく48系列に使用していたものであったと思われる。
もはや48系列がはくたかに充当されることはないので、このような処置が取られたのであろう。
いずれ、取り外されるか塗りつぶされるかするだろう。

撮影日 2013年10月01日
  1. 2013/10/01(火) 23:38:35|
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