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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

西舞鶴駅の特急まいづる乗り場案内

20130831nishimaidurunoribaanai.jpg

特急まいづるは京都駅と東舞鶴駅を結ぶ特急である。
新鋭287系のほか、北近畿タンゴ鉄道の車両も使用する。
西舞鶴駅はまいづるの停車する駅であるが、この駅には乗車位置を示す看板が設置されている。
この看板には親切に列車の写真も掲載されている。
写真は287系とKTR8000だが、よく見ると287系ではなく、北陸本線を中心に使用されている681系である。
681系はまいづるには使用されていない。
3両編成なところからして付属編成の写真をそのまま使っているのだろう。
よく見ると「イメージ図」と書いてあるので、287系でなくとも問題はないということか。
乗り場位置を示すためなのか本来扉のない場所に扉の図が書き足されている。
確かに貫通扉の面は681系と287系は少し似ているが。
看板作成時は287系の写真が入手できなかったということなのだろうか。

撮影日 2013年08月31日
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  1. 2013/08/31(土) 23:59:29|
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石川救急白山野々市3

20130823hakusannonoichi3.jpg

国道157号線を緊急走行する白山野々市広域消防3。
野々市市周辺ではよく見かける個体である。
車種はトヨタハイメディック。
ナンバーは石川800さ7963。
白山野々市広域消防本部に所属する。
屋根上にはヘリ識別用に「石川救急白山野々市3」の文字が書かれている。
ハイルーフ部には「HAKUSANNONOICHI Fire Department」という所属の文字もある。
リアにはまた別に「Emergency Medical Service」とも書かれている。
リアにはないが側面とフロントにLED警光灯を装備している。
屋根上にはホイップアンテナなどアンテナを数本装備。
サッシュミラーも装備している。

撮影日 2013年08月23日
  1. 2013/08/30(金) 22:30:55|
  2. 緊急車両
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敦賀駅ペットボトルキャップ回収

20130827tsurugastcap.jpg

敦賀駅の出入り口では、ペットボトルのキャップを回収している。
いつごろからやっているかは不明だが、かなりの数が集まっているようだ。
回収場所は講じようなガードの側面。
JR関係の工事現場では、駅など人が多くあつまる場所にキャップ回収ボックスを設けることがあるようだ。
詳しい説明用の紙などはないが、文面からしてポリオワクチン用に使用されるものと思われる。
数からして人一人二人は救えそうだが、実際の費用面に関してはどんなものなのだろうか。

撮影日 2013年08月27日
  1. 2013/08/29(木) 23:04:37|
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近江今津駅のりば案内

20130827oumiimatsu.jpg

湖西線近江今津駅は高架駅である。
一介の改札口をくぐると階段があり、その階段の中二階でホームへと別れる。
その中二階に設置されている掲示板が写真の物である。
デザインは一昔前に首都圏でよく見かけた黒地に黄色い文字の物。
仕組みは簡単で行先と矢印の描かれた部分が点灯し、次のどのホームへ列車が来るかだけを告げる。
近江今津駅の場合、4番線まであり島式ホームが二つある。
懐かしいデザインだが、製造は平成8年と新しい。
ネステックというメーカが製作している。
正式名称は電気表示機というそうだ。
100V60Hzと、その気になれば家庭用電源でも再現できそうだ。
近江今津駅は全体的に殺風景で、当時の国鉄駅舎の姿を色濃く残している感がある。

撮影日 2013年08月27日
  1. 2013/08/28(水) 18:38:30|
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敦賀駅周辺工事進行状況

20130827tsurugast1.jpg

敦賀駅の工事が進んでいる。
基礎工事から建物の形が徐々に見えるような状態へとなってきた。
写真は駅正面から撮影したもの。
左手が仮駅舎。
敦賀駅は交流施設と複合して建設される予定で、右手が交流施設になる予定である。


20130827tsurugast2.jpg

最近完成した跨線橋より駅舎工事を見る。
建物の素材となる鉄の棒が生えている。
まだコンクリまではやっていないようだ。
この写真の真下は交流施設となり、駅舎は右のほうである。
敦賀駅周辺の工事はほぼ終了し、残すはこの複合施設のみとなっている。
これが完成されれば駅前の狭い通路も改善されるであろう。

撮影日 2013年08月27日(すべて)
  1. 2013/08/27(火) 21:23:27|
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金沢駅の途中下車印

gesykanazawa.jpg

北陸地区の途中下車印はたいてい写真のようなものである。
丸型で、真ん中に日付が入る。
駅名は下に入る。
金沢駅の場合、正面改札で押してもらうとこんな風に金沢駅としか書かれない。
西日本は下車印に日付を入れるのが好きなようで、山陽地区の下車印も日付が入るタイプ。
北陸の場合、ほとんどがこの赤色で日付の入るハンコである。
ただ、駅によって色やサイズが違うものもある。
この下車印、大きくて18きっぷ使用者には不評という面もあるようだ。


gesyakanzawa2.jpg

金沢駅にはもう一つ下車印がある。
こちらは駅名だけの物。
ひし形で金沢とだけ文字が入る一般的な下車印に姿が近い存在。
このタイプはあまり使用していないようで、押してもらえることは多くない。
富山駅も一部これを使用している。
なぜ2種類あるのか。
使い分けでもしているのだろうか。
北陸では日付が入る下車印を持ちながら、日付のない下車印を押してくれる駅もある。
  1. 2013/08/26(月) 23:44:44|
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犀川大橋の市電用トラス

20130825saigawa.jpg

犀川大橋は金沢市内を流れる犀川に架かる橋である。
グリーンに近い色に塗られたワーゲントラスを持つ。
大正時代の製作で、かれこれ80年ほど使用されている。
現在はバスにトラックに乗用車と車が闊歩する計4車線の道路だが、かつては市電が走っていた。
開発の影響で市内電車のあとかたはほとんどないが、この犀川大橋にはわずかながらその痕跡がある。
それが写真のトラス。
一見どう見てもただのトラスだが、見ると少し低い。
これは市電の架線を掛けるための物。
現役のころはこの場所に架線をかけていた。
そのため一般的な橋梁より少しトラスが低くされている。
現在ここに係る電線はないため、意味もなく低くなっている。
市電が通っていた時代をしのばせる遺構である。

撮影日 2013年08月25日
  1. 2013/08/25(日) 23:49:17|
  2. 道・橋・隧道
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クハ455-13水漏り

20130823kuha45513.jpg

なんだか見覚えのある記事タイトルである。
これは7月に書いた記事(リンク)とほぼ同じタイトルである。
この時は過程として記事を書いたが、実際雨の日に乗車するとまさしく水が漏れていた。
右端がリンク先の記事にある当てがされていた場所である。
記事を書いたときは白いものをグリーンのテープで留めていたが、今はガムテープで固定していた跡しか見えない。
水滴が両側についていることがわかるだろう。
よく見ると茶色い水滴がある。
これはおそらく雨漏りによるものだろう。
また水滴がかなり多い。
クーラーの結露というとよほど冷やすかあるいはドレンとのチューブが詰まった場合に起きるのが一般的である。
このタイプのクーラーが異常に冷却ということはあまり起きないはずなのではないか。
とすれば整備不良ということではないか。
普通列車とはいえもう少し何とかしてほしいものである。

撮影日 2013年08月23日
  1. 2013/08/24(土) 22:26:57|
  2. 475/413/415
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ワム61729

20130803wm61729.jpg

国鉄有蓋貨車ワム60000の廃車体。
61729は全体的に見ると初期に近い番号である。
この個体は倉庫として使用されているものと思われる。
色は原色の黒ではない別の黒色に塗り替えられている。
おかげで表記も何も見えないが、代わりに良好な状態である。
錆などは見当たらない。
草に囲まれているが特徴的な塗装の剥がれもないようだ。
手すりは長いほうのタイプ。
銘板などは確認できなかった。

撮影場所 石川県鹿島郡
撮影日 2013年08月03日
  1. 2013/08/23(金) 23:53:53|
  2. 廃車・廃コン
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C10倉庫

20130821c10hai.jpg

とある駅横に佇む国鉄有蓋コンテナC10。
万を超す数が製造されたこの形式も、ほとんど見ることはない。
腐るほど現存するC20などと違い、1世代前の6000コンテナとともにもう完全に過去の存在となっている。
この個体は駅横に置かれており、おそらく倉庫として使用されているのだろう。
グリーンに塗られていたはずだが別の緑色で塗りつぶされており、かつての番号は不明である。
塗りムラからして、ここで倉庫として活躍するようになってから数度塗り替えているように見える。
下周りは腐食したのか赤い色の板で覆われて塗装がされてる。
C10コンテナで検索を掛けるとたいてい正面の写真なので、あえて後ろ側から撮影してみた。
特にこれといって特徴はないが、現代のコンテナと違いフックが目立つ。
屋根が増設されている。
雨漏り防止のためなのか、雪に耐えるためのか。

撮影場所 新潟県村上市
撮影日 2013年08月21日
  1. 2013/08/22(木) 22:04:37|
  2. 廃車・廃コン
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東日本EF510の話題

20130821ef510.jpg

この頃日本海側にJR東日本塗色のEF510がやってきている。
元々北斗星などの牽引に就いていた車両だが、先日JR貨物に売却され、貨物の機関車となった。
貨物用の基本番台は赤色だが、東日本のはブルートレインに合わせて青色で、500番台を名乗る。
貨物のEF510運用は日本海縦貫線がメインなため、太平洋側で活躍していたEF510は列島の反対側日本海側へとやってきている。
塗装が変更されるなどという話もあったが、今のところ元の塗装のままだ。
写真は東新潟機関区にいるEF510-506。
ほか、富山機関区には511号機が到着済みである。
ローズピンクの機関車に囲まれた500番台の姿はなかなか新鮮である。
今後どのような運用につくのだろうか。

撮影日 2013年08月21日
  1. 2013/08/21(水) 23:53:30|
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三井神岡鉱業専用線高原川橋梁跡

国鉄神岡線神岡口駅からは、三井神岡鉱業へと専用線が伸びていた。
神岡鉄道になった後も運用が続いていたが、2004年に運行を中止。
神岡鉄道における貨物輸送のウェイトは大きく、これがきっかけで2006年に神岡鉄道は廃止となってしまう。
専用線も神岡鉄道が廃止ししてしばらくしてから解体されていった。

20130812kamiokak3.jpg

専用線は神岡鉱山前駅から猪谷方面へと延びていた。
しばらく神岡線と並走した後右手に分かれ、高原川を渡って三井神岡鉱業へと入って行った。
そのあたりは立ち入り禁止となっているので省く。
サイクルトレインを使用すればわずかながら跡地が見える。
専用線は高原川を渡る際、3スパンで渡っていた。
1スパンで41号線を跨ぎ、残りの2スパンで高原川と工場横の道路を跨いでいた。
写真左上が専用線の橋台跡である。
ご丁寧にフェンスで覆いがされており、容易に近づけない。
例えフェンスを越えたとしても勢いよく下りれば怪我をすることになるだろう。
写真中央が現在の国道41号線である。
川を渡る鉄橋は写真中央右下の橋台に支えられていた。
この橋台、なぜか完全に削り取られており、初見ではなかなかわからない。
発破したのか削ったのかは不明だが、なぜここまでする必要があったのだろうか。


20130812kamiokak2.jpg

高原川右岸の橋台。
写真中央左の法面にくっついているのがそれである。
同じように削り取られている。
丸い橋台で、水面近くではコンクリートで補強がされていた。
環境安全の文字が目立つ。
三井神岡といえば公害企業。
その時の反省であろうか。


20130812kamiokak1.jpg

工場入り口の橋台。
かつてからあったように扉がついている。
石造りの壁が必要以上に古い線路だと感じさせてしまう。
これより左側の築堤はすぐに崩され、専用線の跡地は全く痕跡を残さない。
専用線は神岡気道の担っていた使命を神岡線にシフトさせたため、おそらく神岡線と同じく1966年頃の建設であると思われる。
神岡へ行くときには必ず立派なトラスとガーターを見ていただけに現状はさびしいものがある。

撮影日 2013年08月12日(すべて)
  1. 2013/08/20(火) 00:45:50|
  2. 廃線など
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C20-50000番台JR貨物九州支社塗色

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最近廃車廃コンカテゴリにおいて車番や番号を完全特定したものばかり載せてあるが、実は番号までわかる廃車や廃コンというのはあまりなく、全体の2割程度でしかない。
大半が倉庫という実用目的であるために、塗りなおされるかあるいは塗装が完全にはがれるまで放置されているためである。
というわけで番号が完全に読み取れるケースは珍しい。
この記事に載せるコンテナも番号は不明である。

この個体はとある工場に設置されている。
おそらく倉庫用途であると思われる。
かたちは普通の国鉄有蓋コンテナC20であるが、塗色からわかる通り50000番台である。
C20-50000番台は通風コンテナに改造されて使用された。
この塗装は50000番台でもJR貨物九州支社で使用されたものである。
かなり錆が進行しており、垂れ具合も激しいが特徴的なラインの塗装は現存している。
一応同色で形式番号についての抹消がなされていると思われるが、錆びていることからわかる通りそれ以前に形式を読み取ることができない。
北陸の片田舎に何故九州支社塗装のコンテナがあるのかは不明である。
北陸かその近辺で廃処置を取られ、そのまま売却されたのだろうか。

撮影場所 富山県射水市
撮影日 2013年08月08日
  1. 2013/08/19(月) 22:05:54|
  2. 廃車・廃コン
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加越トンネル富山口

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小矢部市名ヶ滝に寂しく佇むトンネルがある。
正式名称は加越トンネルといい、北陸新幹線用のトンネルとして建設された。
平成元年に着工。
ところがスーパー特急方式に反対する自治体や政治的思惑からルートが変更。
かくしてルートから外れたこのトンネルは貫通することなく遺棄された。
富山側はすでに掘りはじめていたのでこのように入り口が今も残る。
入り口はコンクリートで封鎖され、人が出入りできるような出入り口が設置されている。
工事費用は県民の血税で負担された。


20130817kaetsut2.jpg

付近を走行する県道74号線よりトンネルを眺めた写真。
写真中央にトンネルがあるが、夏の間は草に埋もれ、注意しないと全くわからない。
工事時はそれなりの用地が展開されたはずであるが、遺棄からすでに20年以上、往時をしのばせるものは何もない。
周囲は田んぼに囲まれ、至ってのどかである。
着工からだけでもすでに四半世紀経っている計算になるのだから当然か。


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トンネルからちょうど道路と田んぼを挟んだ向かい側。
計画ではここにトンネルなり切り通しなりが高岡駅へと向かって伸びて行ったはずだが、そこまで着工する前に工事は中止されてしまった。
ルート変更により並行在来線のJR経営存続を狙ったという説もあるが、結果的に県内の並行在来線はすべて経営分離され、県がおそらく恒久に垂れ流される赤字を負担し、利用者は運賃値上げを受けることとなった。
下手に細切れに分離されるより全区間分離したほうが長距離利用者的はよかったのかもしれないが。
石動を経由するルートでは距離が延びるため在来特急との時間短縮はわずか数分もない。
ウナギを頼んでドジョウが出ただのとのたまった代議士もいたが、現時点では建設業しか笑ったものはいないのが結果である。
いつか現ルートを選んでよかったということになるかもしれないが、ルートを変えるたびに金がかかったという事実は永遠に消えはしない。
ルート検討をお役所が一回行うだけでも相当に金がかかるのだから。
小矢部市ではトンネルの再利用について検討を行ったこともあった。
しかしながら東海道新幹線新丹那トンネルのような例はまれで、大抵は日本全国にある未成線トンネルと同じように、利用方法が見つからなく遺棄されたままというのが現実である。
特に加越トンネルは計画上かなり長い距離を掘る予定であったために貫通させるということもできない。
また74号線は小矢部と宝達志水を結ぶ471号線に近いルートをとるが、道が細くセンターラインのない場所もあるような道で、アクセスは望めない。
シイタケ栽培や宇宙観測所あるいは環境観測所などそれに準じたよくある転用くらいしかなさそうである。
加越トンネルの場合、新幹線用トンネルということで通常の在来線トンネルより大きい。
その広さを生かした利用はあるかもしれない。
いずれにせよ何とももったいない話で、何かに使ってやればと思う。

撮影日 2013年08月17日(すべて)
  1. 2013/08/18(日) 21:25:45|
  2. 廃線など
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夏休みバス・トラックふれあい展inグランドプラザ

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富山大和にある富山グランドプラザにて、「夏休みバス・トラックふれあい展inグランドプラザ」が開催された。
富山日野自動車株式会社が行ったもので、多くの家族連れが訪れた。
合計5台の展示が行われたが、なんといっても目玉は写真のレンジャーである。
写真の日野レンジャーはダカールラリー2011に出場したもので、レースでは完走を果たしている。
展示用にきれいに整備されているが、レース車独特の装備を間近で見ることができた。
コックピットに入り、記念撮影をとることも可能であった。
県内でこのような展示が行われることは極めて珍しい。
グランドプラザのパネルモニターではラリーの映像が流されていた。


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そのほか日野セレガハイブリッドプレミアム、日野プロフィア、日野デュトロが展示された。
セレガハイブリッドは常時冷房を完備し、見学者が涼むことができた。
機会があれば記事にしようと思う。
日野グランドプロフィアはカーゴハイルーフ仕様を展示。
パネルは展示関係用品などを収納する役目もあったようだ。
ほかに日野デュトロXが2台展示された。
写真がそれで、個性的にドレスアップできることが売りなようである。
いずれも日野のオリジナル塗装を纏っていた。


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ラジオで宣伝を行ったFMとやまは特設ブースでミニカーの無料配布を行った。
車種は日野プロフィアと日野セレガ。
いずれも先着100名であった。
多くの人が並び、整理券を配るという対応を取った。
トミカはブリスター入り標準番号のもので、イベント特製というわけではなかった。
プロフィアはトレーラ、セレガはノーマルなので、展示車とは異なるが仕方ないことだろう。

撮影日 2013年08月17日(すべて)
  1. 2013/08/17(土) 23:43:24|
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富山ライトレール鉄道むすめ一日乗車券

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7色ある車両に様々なラッピングを施してきた富山ライトレールだが、先日どういうわけか赤、青の2編成に鉄道むすめのラッピングを行った。
鉄道むすめというのはトミーテックの販売するフィギュア。
最近はフィギュアに限らずステッカーやカレンダーなどのグッズも制作しているほか、ノベライズ、コミカライズと様々な方面に展開している。
鉄道事業者とのタイアップもよくやっている。
ポートラムにおいてはアテンダントの制服デザインを決める際、鉄道むすめとタイアップを行っていた。
その後富山ライトレールで働いている(という設定の)キャラクターが登場した。
このラッピングにおいては発表当日にお披露目の式典を行ったほか、記念切符と記念一日乗車券の発売も行われた。
この記事で紹介するのは一日乗車券のほうである。

一日乗車券は記念切符と同じで2色存在する。
効果について違いはなく、写真のように図柄が違うだけである。
どうにも富山ライトレールのキャラクターの描かれた青色のほうが売れているようだ。
イラストは市販されていたフィギュアの絵と同じみぶなつき氏の描いたもので、特に新しいイラストというわけではない。
ラッピングと同じ絵柄を求める人は記念切符を買ったほうが良い。
ラッピングの絵はどういうわけかコミックを書いていたMATSUDA98氏が手がけている。
一日乗車券の値段は500円で、富山駅北の富山ライトレールグッズの販売場所などで購入できる。
使用できるのは富山ライトレール線内のみ。
パスカを使った場合と比べても3回以上乗れば元が取れる。
使用する日付は乗務員が書き入れるタイプ。
書き入れていないものも購入できる。
ただし切符はラッピング電車運行初日の7月27日から9月30日までしか使えない。
裏面にはアテンダントについての解説とアテンダントの常務列車についての解説がされている。
赤、青両方とも裏面は同じでコピーライトマークの後ろが違うだけ。

前述のコミックの裏面には3事業者のスタンプラリーがついていたが、現在第二回のスタンプラリーが実施されており、富山ライトレールもチェックポイントの一つである。
範囲がひどく広く事業者も多いため、第一回に比べ攻略者は減ると思われる。
ちなみに第一回は富山県にいても一週間で終わらせられるほどの難易度であった。
ラッピング列車内では他の事業者のグッズも販売されることになっている。
また岩瀬浜駅より徒歩2分の岩瀬カナル会館では鉄道むすめパネル展を9月30日まで行っている。
事業者の力の入りようを感じさせてくれる取り組みである。
今年の富山は地鉄の新車や市内線100周年記念、475系引退まで秒読み段階、ドラえもん列車などがあってか例年より鉄道マニアが多いように感じられる。

ちなみに地鉄市内線や地鉄バスの市街地域なども乗りたいと考えている観光客であれば、鉄道むすめ一日乗車券よりも、富山まちなか・岩瀬フリーきっぷ(800円)のほうがお得である。
プランに合わせて選ぶと効果的である。
  1. 2013/08/16(金) 21:49:34|
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庄西踏切信号

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万葉線は六渡寺駅を出ると庄川橋梁を渡る手前で道路とクロスする。
道は国道415号線で、近くの庄西町信号で線路側へと曲がってくる。
そのクロスする踏切が庄西町踏切であるが、この踏切には信号が設置されている。
信号は写真のように赤、黄、赤の変則的なもの。
普段は点滅信号であるが、踏切が鳴ると赤色が点灯する。
415号線は比較的通行量の多い道ではあるが、取り立てて多いというほどでもない。
なぜこのような特殊な信号機を設置しているのだろうか。
ちなみに庄西踏切はほかの踏切とは若干違う踏切構造を採用している。

撮影日 2013年08月15日
  1. 2013/08/15(木) 21:42:09|
  2. 万葉線
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C20-24685

20130808c2024685.jpg

とある工場敷地に佇む国鉄有蓋コンテナC20。
この個体は国鉄払下げではなくJR払い下げのようだ。
抹消ラインはない。
JR化後に国鉄マークを消し、JR貨物の赤い文字が書かれたようだ。
その際抹消はコンテナグリーンよりも薄い色で行ったように見える。
状態はかなり悪く、写真左手の土台はおそらく崩れ落ちてしまったと思われる。
錆もかなり進行している。
車体の色は強く残っているだけに錆とのコントラストが強く余計ひどく見えてしまう。

撮影場所 富山県射水市
撮影日 2013年08月08日
  1. 2013/08/14(水) 22:28:34|
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C11-3764

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とある空き地に佇む国鉄有蓋コンテナC11。
C11-3764というのは数字だけ見れば形式のうちのだいたい真ん中ぐらいである。
C11はJR化後も使用されていたが、倉庫として残存している姿を見かけることは少ない。
全体数と車齢によるものなのであろう。
この個体は国鉄時代の塗装のままで、抹消線は引かれていない。
塗装の状態は良いが、何分も錆が年式相応に広がり、個体そのものとしてはよい状態とは言えない。
下周りはツタに覆われており、銘板などのチェックは不可能。
手前にある水道栓が妙に新しい。
水道栓がこの場所にあるということは妻面以外の扉を使用しているのだろう。
3方開きコンテナだがどの扉の前にも草を踏んだ後はなく、あまり使われていないのかもしれない。

撮影場所 石川県小松市
撮影日 2013年08月09日
  1. 2013/08/13(火) 23:49:10|
  2. 廃車・廃コン
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国道41号線中之谷橋

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41号線を猪谷から神岡方面に向けて走ると、途中に中之谷橋という橋がある。
なんということはない、ただちょっとカーブしただけの橋である。
竣功は昭和35年。
やや古めの橋だが大型車が通過し続ける41号線で長い間活躍している。
山深いこの場所に架かる中之谷橋だが、この場所にはかつて他にも橋があった。


20130812nakab2.jpg

一つは現在の橋よりも山手にかかっていた国道41号線旧中之橋である。
国道41号線は屈指の難関で、有史以来何度も橋の架け替えや路線変更が行われている。
越中東街道の名の通り、かつては越中街道として岐阜と富山をつないでいた。
写真は富山方より神岡方を見たもの。
この谷の富山側には小さな建物があり、まるで祠のようになっている。
旧橋があったころはこちら側がメインストリートだったからであろう。
地面は土に帰りつつあるが若干硬い場所があり、大昔のアスファルトかそれに近いもので舗装されていたと思われる。
あるいは祠のために造られたものかもしれない。


20130812nakab3.jpg

橋が架かっていた場所には土台が存在している。
石の上に作られた少し頼りない土台だ。
コンクリートを使用しているので、大正以降の物であろう。
旧橋は少なくとも2スパンあったのか、あるいは中間に支えが必要なものであったらしい。
棒が伸びているような形の支えであったと推測される。
両端の橋台もそのまま残るが緑に囲まれていてほとんど形がわからない。
富山側からは近寄れるが、神岡側はほとんど何も見えない。
新橋と引き換えに昭和36年ごろ撤去されたものと思われる。


20130812nakab4.jpg

もう一つ、国道より川側に一つ橋が残る。
こちらは三井金属神岡軌道の線路跡。
昭和41年に廃止されている。
廃線跡にはケーブルが張られているようで、そちらはまだ生きているようだ。
何が起きたのかよくわからないが、写真中央の支柱は根元の基礎ごと壊れてしまったのは確かなようだ。
基礎のコンクリートが岩とともに剥離してしまったのだろうか。
廃線から50年近くたっているため、仕方のないことであろう。

撮影日 2013年08月12日(すべて)
  1. 2013/08/12(月) 22:19:57|
  2. 廃線など
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福岡駅前小公園工事

20130807fukuokakoen1.jpg

福岡駅前西側には小公園がある。
正式名称は福岡駅前小公園。
旧通産省工業再配置促進費補助事業の支援を受けて設置。
遊具はないものの噴水などが存在し、冬はイルミネーションが付けられるなどしていた。
それが先日より重機が入り取り壊しが始まっている。
名目は福岡駅前自転車駐輪場整備。
福岡駅前には駐輪場が既に存在するが移転させる模様である。
工事期間は7月30日から9月30日までを予定。
福岡まちづくり推進室の計画する福岡都市計画事業の計画によれば、現在の自転車小屋付近は道路にする予定なので、そのために公園を潰して移転させるものと思われる。
現在の自転車置き場は古く、旧福岡町の看板が残る。

撮影日 2013年08月07日
  1. 2013/08/11(日) 21:19:05|
  2. 未分類
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JA5047

20130809ja5047.jpg

小松市粟津公園に保存されているJA5047。
ふた昔前のドラマや小説によく出てきたエアロコマンダー680形である。
「はやたか」の愛称で中日新聞社で使用されていた。
製造は昭和33年。
昭和57年に当時の小松市に寄贈されている。
公園ができたのは昭和59年なのでそれまでどこにいたのか少し気になる。
展示物兼遊具として置かれており、昔の児童公園といった風である。
扉は解放されており、中に入ることもできる。
この時期は中にいるだけで汗が噴き出る温室状態だが、頑張ればコックピットにも座ることができる。
計器類がそのまま残り、一部破損や塗装はげがあるとはいえ、30年たっていることを考えるとかなり良い方であろう。
塗装なども上々である。
内張りにはカビが生えてきているようだった。
主脚がコンクリートの土台に囲まれた鉄棒と接続されており、その気になれば外して別の場所で展示することも可能なようだ。
多くの児童公園に展示されていた車両は解体されていったが流石保存鉄道を抱える公園だけある。
この状態の良さを維持していってほしいものである。

撮影日 2013年08月09日
  1. 2013/08/10(土) 23:52:30|
  2. 航空
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JバスのいすゞBX553

20130809bs1.jpg

ジェイバス夏まつりにて展示されたいすゞBX553。
ジェイバスリニューアル部門が昨年復元したもので、車内の一般公開が行われた。
リニューアル部門はレストアというよりアコモや販売店で修理できないレベルのバスを修理する部門であるが、技術継承などをテーマにボンネットバスの復元に取り組んだ。
車体は東北で廃車体として放置されていたもの。
部品などは極力オリジナルにさせながら写真の状態にまで復元した。
ライン生産がメインな現代において技術者の数が足りず、嘱託職員などの手を借りて完成させたという。
塗装はオリジナルで、1960年はこの車体の登録初年である昭和35年のことである。
ナンバーを取得しており走行可能。


20130809bs2.jpg

細部まできれいに復元されている。
保安装置はもちろんだが車内の装備も復元されている。
もともとは羽後交通の所有で、当時のナンバーは秋2あ219。
昭和35年に登録され、46年に登録抹消された。
車体番号は60-BX553-414115。
現在のナンバーは石川200は229。
イベントの際に使用するほか、普段はジェイバスの最新型モックアップと並べて展示されているようだ。
この当時Jバスはもとより工場も存在しなかったが、いすゞにゆかりがあるということなのであろう。
技能者技術者の差が明確になりラインなどではない真の技術継承は各社問題になっているようで、ジェイバスもまたそのような観点からこのような企画を行ったものと思われる。
例えばトヨタでは初代カローラを若手技術者に復元させている。
リニューアル部門ではこのような活動を他にも行いたいようだがタネ車がないそうだ。

撮影日 2013年08月09日(すべて)
  1. 2013/08/09(金) 22:02:39|
  2. バスとか
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北陸本線高岡-西高岡間旧線跡

1969年に北陸本線は全線電化を果たしている。
複線工事の際はただ線路を増やすだけでなく線路形状の変更や橋梁の架け替えが同時に行われた。
有間川-浦本間が新線に切り替わりトンネル筒石駅が生まれたことは知られている。
北陸本線高岡-西高岡間は5.3キロの距離があるが、この間に一年間だけ千保川信号場が存在した。
1964年に西高岡-千保川信号場が複線開業し、翌1965年に千保川信号場-高岡間が複線開業している。
同時に千保川信号場は役目を失い廃止された。
千保川信号場は別段千保川に近いというわけでもなかったが、一年しか使わないのだから大してこだわった名づけをしなかったのだろう。
その千保川信号場はなぜ1年間だけ存在したのか、地図を見ながら追ううちに一つの仮説が成り立った。
その存在理由というのがこれから書く旧線である。


20130808takaoka1.jpg

高岡駅から金沢方面に約1.5キロ向かった場所。
先日記事に書いた和田川橋梁(リンク)よりすこし金沢寄りに不自然に出っ張ったJR用地が存在する。
現在の北陸線はこの場所からカーブが始まる。
東から西へ向かっていたレールはこの地点から東南方向へとカーブするのだ。
このJR用地はレールが辿ってきた東から西へ向かうルートをそのまま受け継ぐようにして存在する。
ここが旧線区間との合流点である。
角地の道路側はゴミステーションとなっている。
写真左手奥は道路で、自動車一台がぎりぎり通れるような隙間しかない。
そのあたりはかなり古い住宅が並ぶ。
JR敷地の入り口はシルバーのフェンスと扉があるが、あまり使われているようには見えない。
工事の際にトラックなどを乗入れさせるための物なのか。
なぜかフェンスには高岡市と書かれたプレートがぶら下がっていた。


20130808takaoka2.jpg

細い道から金沢方面を見る。
現在の本線は左側をカーブしているが、旧線はまだまっすぐ進もうとしていることがわかる。
旧線跡は草生しており、特に何かあるというわけではない。
写真奥へと道が続くが、これが北陸線の旧線である。
道はまっすぐ伸びた後、左へとゆるくカーブしていく。
廃線跡のカーブは緩すぎて歩くと感じにくいものだが、地図を見ればよくわかる。
旧線の敷地横には緑に塗られたレールで柵が作られている。
レールの製作時期は1950年代後半から1960年代、50キロレールばかりなので旧線のころにつくられたわけではなさそうだ。


20130808takaoka3.jpg

道をまっすぐ歩いていくとこのような場所に突き当たる。
一見、正面から少し右手にずれてまっすぐ行く道が旧線のようだが、旧線は正面のオレンジ色の屋根の住宅の下である。
右手の住宅街はこの羽広2丁目住宅街の中でも最も古い地域に当たる。
聞いた話ではもともと工場だったようだ。
工場は高岡病院前の247号線から道路に直角に旧線横にまで敷地を持っていた。
1970年代半ば工場から宅地開発する際、工場敷地の端を道路として区画調整をしたようである。
そのため写真右端の道路は旧線と同じカーブを描いているが、正しくは線路に隣接した工場敷地のカーブなのだ。
かつては旧線を境に田んぼの作られ方が違っていた。
旧線の北側は247号線に直角にラインが引かれていた。
一方の南側は北西と南東を向いてラインが引かれていた。
旧線が廃止されても宅地開発が始まるまで田んぼだったことから、この旧線跡を境に北側と南側で住宅街の道の向きが若干違う。


20130808takaoka4.jpg

道をまっすぐ進む。
くどいようだがこの道自体は工場跡地の端で、旧線は左の住宅の下である。
右手の区画は2丁目××という住所なのに対し、左の旧線跡地は2丁目193-××という住所になっているようだ。
航空写真を見ると、右手の工場跡地が住宅開発をし始めのころ、旧線跡はまだただの道であったようだ。
旧線跡と田んぼをまとめて住宅開発した場所は193という番地が与えられているのだろう。
この間本線のレールは住宅一区画を挟んでずっと左に存在し続ける。
写真正面の住宅でこの道は突き当りとなる。
おそらく工場敷地の関係であろう。


20130808takaoka5.jpg

住宅街を抜けると田んぼに出る。
写真は高岡駅の方向を向いて撮影したもの。
右手に見えるのが現在の本線。
正面にある住宅が旧線跡に建っている住宅である。
住宅地図を見ると正面の住宅と左の住宅で番地番号が違うので判別ができる。
地図上この場所は道扱いのようだが、どう見ても道ではない。
轍があるので、時折トラックなどが出入りしているのかもしれない。
雑草がやや枯れているので、除草剤をまくようなことはしているのか。


20130808takaoka6.jpg

現在の本線と旧線の間。
コンクリート製のトマソンが放置されている。
このコンクリートの土台の上に何かあったようだが、何かはよくわからない。
場所からして新線のために作られたもののように見え、旧線とは関係ないのかもしれない。
このほかにも新線と旧線の間にはマンホールを持つコンクリートの比較的大きな設備もある。
いずれも草むらに埋もれており大して目立たない。
このあたりは砂利敷きのようだが、当時のバラストではないような雰囲気である。


20130808takaoka9.jpg

踏切跡。
2枚上の写真の右端あたりである。
この道は撮影場所後ろから旧線新線を跨いで向こうの田んぼまでずっと突き抜けていた道だったようだ。
北陸本線ではよく「かつては踏切だった場所」をみかける。
たいていがそれらしい道を両側に残し、かつこのような看板が残っているのですぐわかる。
高速化に伴って小さな道の踏切を立ち入り禁止にした結果である。
航空写真を見ると1970年代まではまだこのカーブ上にもいくつか踏切があったようだ。
しかしながら現在このカーブには一つも踏切がない。
というのも線路の北側はすべて壁で覆われている。
つい先日も工事が行われていた。
一方南側はほぼ完全にブロック塀でカバーされている。
渡ったところでその先が大変というわけである。
壁にはカーブでの騒音を防ぐという意味もあるのだろう。


20130808takaoka8.jpg

旧線と新線の合流地点を見る。
写真奥が金沢方面である。
これを見ると新線が旧線より早い段階でカーブを始めていることがよくわかる。
轍はやや左にカーブしているが、実際の旧線はまっすぐだった。
この敷地は高岡方のようにフェンスで覆われてはいないがJRの敷地のようである。
右手に畑があるが、その横に古い境界杭がいくつもたっていることが証明である。
ただ、この時期は草に覆われていてまったくわからない。
明らかに鉄道に関係ないものが置かれていたり、地元の人の空き地になっているようだ。
写真正面にかつて千保川信号所が存在した。

千保川信号所はこの新線旧線の付け替えのために存在したのではないかという結論に至った。
理由は高岡のガード周りなどほかにもあるだろうが、一因ではないか。
旧線は現在のカーブよりもカーブがきつかった。
前述の和田川橋梁を見る限り、新設される複線は上り線となる予定である。
とすれば複線はカーブのインに作らねばならない。
高速化のために田んぼしかなかったこのあたりを買い取ってカーブを緩和したのだろう。
カーブの前後に地下道と橋梁があるため、あれでも限界まで緩くしたのだろう。
1965年新線に切り替わり旧線は役目を終えた。
それから10年近く放置され、1970年代半ばから宅地開発が開始。
次第に旧線跡は住宅地に飲み込まれていく。

現在旧線跡をしのぶような目立った遺構は何もない。
住宅街で何人かに話を聞いたが、旧線跡のことを知る人は誰もいなかった。
宅地開発が始まったのは70年代であるし、たとえ不動産屋からその話をされていたところで30代の若さで家を購入していても今70歳代である。
知っている人がいるはずがなく、すでに二世という世帯もあるようだった。
地図にしても判別は難しく、小さな路線変更を扱う書物も見当たらず苦労した。
地図から予想した程度だったので何度も通い裏付けに苦労したが、なんとか永楽町で当時のことを知る人に話を聞き、ようやく記事として書くことになった。
複線電化から50年近くがたち、当時のことを知る人も減ったということを強く感じさせられた。

撮影日 2013年08月08日(すべて)
  1. 2013/08/08(木) 23:55:40|
  2. 廃線など
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福岡駅ホームかさ上げ工事

20130807fukuoka1.jpg

福岡駅では先月から上り・中線の2、3番ホームのかさ上げ工事が行われていた。
手始めに待合室が解体された後、かさ上げ工事が行われた。
かさ上げはホームの富山方向で行われ、4両対応のホームとなった。
写真は工事の富山側突端より撮影したもの。
すでに工事の大半は終了している。
中線の2番ホームには新しく停目ポールが設置されたようである。
写真右手は1番ホーム。
この駅は近辺では比較的珍しく、レンガ造りの客車ホームがそのままの高さで残る。


20130807fukuoka2.jpg

すでに福岡駅では2両対応の工事が行われている。
写真右手が前回行われた工事の分である。
中線で停車する旅客列車は現在ないはずだが、回送などのためか停止目標のポールが設置されている。
客車ホームの頃と比べるとかさ上げの量はさほど大きくない。
工事は8月10日までとなっているが、すでに大半は終了している。

撮影日 2013年08月07日(すべて)
  1. 2013/08/07(水) 23:00:23|
  2. 未分類
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30A-199

2013080630a199.jpg

金沢ターミナルに佇む30Aコンテナ。
普通の30Aコンテナは赤色である。
登場時の色は全部で3色であるが、その後試験的に青色塗装の物が生まれた。
全体からみると少ないが、このごろは初期旧塗装がほとんどいなくなったので現役の塗装の固体としては多い部類に入るかもしれない。
見た目は青に塗られた以外特に何かあるわけではない。
もともと赤塗装だったものの上から塗っているため、形式の部分は元の塗装がそのままである。
普通の運用に混じっているようで、たまに見かける。

撮影日 2013年08月06日
  1. 2013/08/06(火) 22:27:16|
  2. 貨物
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北陸本線和田川橋梁

20130804wada1.jpg

北陸本線和田川橋梁は高岡駅と西高岡駅の間にある橋梁である。
ちょうど高岡病院の前にある。
南側から来ると橋梁をくぐったすぐ向こうに永楽町信号があるため信号の看板がついている。
高さ3.1メートルの制限付き。
道路があるにもかかわらず和田川橋梁という名前の理由は和田川が暗渠になっているからである。
この写真を写した場所の後ろまで和田川は川として流れ、この場所から暗渠になる。
そして永楽町信号を過ぎたところで再び地上に出、千保川にそそぐ。
コンクリで覆われた小さな川で、ルート自体は後ろで合流している新川に近い。
暗渠がなければ高さ制限はもっと高かったかもしれない。


20130804wada2.jpg

この橋梁は下り線側が旧線、つまり単線時代の線路である。
土台は石造り。
旧線の物は川に沿うかのように道路に対して並行ではないが、新しいコンクリートの橋台は道路に並行である。
築堤も石造りの古いものであるが、大部分がコンクリートの物となり残るのはわずかである。
なぜか橋脚コンクリート壁共に銘板が取り外されたかのように現存しない。
この区間の複線化は1965年に達成されているため、その時に作られたのだろう。

撮影日 2013年08月04日(すべて)
  1. 2013/08/05(月) 22:21:00|
  2. 未分類
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地鉄寺田駅の手配ポスター

20130803teraist.jpg

地鉄寺田駅の真ん中には待合室がある。
そのレトロな雰囲気からマニアには人気が高い。
とはいえ現在は封鎖されており、中は物置になっている。
かつては売店などもあったが今はむなしくホコリを積もらせるばかりだ。
そんな待合室の中にはオウム事件の重要指名手配者のポスターが貼ってある。
末期は一枚のポスターに集約されたのをよく交番の前で見かけたがこれは似顔絵タイプである。
たしかウィンドウズ95が発売されたころ秋葉原にこんなのが貼ってあったような気がする。
布幕のすたれ具合といい、年代物のようだ。
現在は捕まってしまったので無用の物となったが、いつまで貼り続けるのだろうか。

撮影日 2013年08月03日
  1. 2013/08/04(日) 23:45:17|
  2. 地鉄
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富山駅改札通路を変更

20130803toyamast.jpg

富山駅仮駅舎南口よりホームまで行くには長い通路を通らなければならない。
封鎖された空間の仮設通路の外では新幹線の工事が進む。
その仮設通路は改札口を抜けると右手に折れ、突き当りで左に曲がってホームへとつながる。
その改札通路が3日で役目を終えることとなった。
写真は通路の曲がり角の場所。
右手奥がホームで、ちょうど人のいる場所が新しい通路との合流点である。


20130803toyamast2.jpg

最後の調整が行われる新通路。
新しい通路は改札口からまっすぐ抜けて突き当たって右に折れ、また突き当たったところで左に曲がって現在の通路と合流する。
つまり現在と歩く距離はほとんど変わらない。
この通路、できた当時は地鉄などとの乗り継ぎが悪く非常に不評で、改善されるかと思いきや大して変わりはないようだ。
通路の上では新幹線工事が進むため、その工事がらみなのであろう。
旧仮設通路もトイレがある場所までは残す予定で、それよりも向こうは封鎖するとのことである。
3日終電で封鎖し、4日始発から使用予定である。

撮影日 2013年08月03日(すべて)
  1. 2013/08/03(土) 20:43:41|
  2. 未分類
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森本駅車いす用専用出入り口

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北陸本線森本駅の1番上りホームには車いす用の出入り口が存在する。
森本駅は最近の橋上駅でエレベーターも設置されているが、それとは別に地上からそのままホームへと接続する通路である。
上りホームのやや富山寄りに存在し、普段はフェンスで封鎖されている。
使用する場合はどちらからでもインターホンを使用して駅員を呼び出せばいい。
ただし呼び出しは駅員がいる7時10分から19時30分の約12時間のみしかできない。
通路は自転車置き場の裏側へと通じている。
車いす用と銘打っているが、松葉杖をついているなど体に不自由があれば使用しているようだ。
近年橋上化によるバリアフリーが進むが、車いすなどを使用する人はエレベーターの使用を必ず行わなければならなくなり、構造によってはむしろ時間がかかってしまう場合もある。
森本駅周辺にはいしかわ特別支援学校や医王特別支援学校などが存在するほか、医療機関も多い。
その関係から設置されているのであろうか。
インターホンでの呼び出しという不自由さはあるが、良い取り組みではないかと思う。
一方で、合理化が進めば駅員が消え、それだけで不自由さが増してしまう。
事実、ICカードが普及したローカル駅だと、夕方以降は事実上車椅子の改札通行が不可能な駅もある。
一つ次の世代へ向けて考慮すべき点の一つであると思う。

撮影日 2013年08月02日
  1. 2013/08/02(金) 23:38:38|
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