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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

高儀駅ホーム突端

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城端線高儀駅は明治時代に開業した古い駅である。
とはいえ大半は昭和以降の構造物である。
旧ホーム跡や貨物ホーム跡があるが、いずれも埋もれている。
そんな高儀駅のホーム城端寄り突端には柵がホーム突端より手前に設置されている。
近年北陸線ではそのような事例が多いが、多くは大して理由がないものばかりである。
ところが高儀駅の場合はれっきとした理由がある。
というのは写真の通り、ホームが崩壊しているからだ。
2メーターほどのホーム突端が鉄線をむき出しにして崩れている。
何時からこうなっているかは不明だが、かなり前からここを封鎖しているようだ。
ホームの突端部分は増設されたもので作りは駅本屋より程ではないのだろうが、それにしてもこの崩れ具合はどういうことなのだろう。
そしてなぜ補修されていないのであろうか。
ちなみにホームのこのあたりは一切使用されていない。

撮影日 2013年07月24日
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  1. 2013/07/31(水) 22:57:25|
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D51-767

20130728d51767.jpg

JR西日本城端線福光駅前には国鉄蒸気機関車D51の動輪が飾られている。
D51-767は北海道で終焉を迎えた機関車で、城端線とは無縁の機関車である。
昭和52年に鉄友会というのが設置したようだ。
52年にはすでに国鉄からSLが全廃されていたので、解体後北海道から持ってきたのだろう。
土台のコンクリにはプレートも取り付けてあるが錆びていて痛々しい。
その割に動輪は綺麗な状態である。
また隣には昭和44年に設置された旧福光町と中越鉄道についての石碑が存在する。
中越鉄道は富山県初の鉄道で現在の氷見線と城端線に当たる。
プレートこそ状態は悪いが、動輪やレールは色が塗られ、花壇も整備されており状態は良い方ではないだろうか。

撮影日 2013年07月27日
  1. 2013/07/29(月) 23:35:08|
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南砺市消防団福光方面団吉江分団1

20130728shoboyoshiebundan1.jpg

福光駅前で展示を行う南砺市消防団福光方面団の吉江分団1。
この日は熱おくりまつりがおこなわれており、駅近くの吉江分団からは消防車が展示のためにやってきていた。
展示のほか、小さい子供には防火服などを着せ、写真撮影を行っていた。
夕方になると車幅灯と警光灯を点けての展示となった。
消防ポンプ車で種車は6代目トヨタダイナ。
ナンバーは富山88ぬ5027。
架装は長野ポンプが行っており、リアには富山トヨタのシールが存在する。
天井には小型赤色灯、サイレンなどが装備されている。
ポンプ車は乗っておらず、小型コンテナが載るのみとなっている。
水力発電施設立地交付金により購入されている。

撮影日 2013年07月28日
  1. 2013/07/28(日) 23:30:02|
  2. 緊急車両
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石川線電力線通信線47

20130727idt4701.jpg

この頃北鉄鉄道部の保線は頑張っているようで、徐々にPC枕木化が進んでいる。
そのほかレトロな木製の架線柱もだんだんコンクリート製へとシフトしているようだ。
今回取り上げるのは石川線野町~西泉間にある架線柱「石川線電力線通信線47」である。
適当に付けたのではなくこの架線柱の名前がズバリそれなのである。
全て数えたわけではないが、鶴来方へ行くほど数が増えるため、おそらく野町か白菊町を起点に数が割り振られているものであろう。
架線柱によってはこの番号の書かれたプレートが現存しないものもあるが、これには北鉄の社章がついたプレートが現存する。
この架線柱には北鉄沿線おなじみの北鉄自動車学校の案内板が貼られている。


20130727idt4702.jpg

野町~西泉間はすでに半分以上がコンクリート製の架線柱へと取り換えられている。
架線柱には一本の物と線路両側に立つ二本の物があり、これは二本の物である。
二本の物にはいくつか形態があるが、これは鉄枠を片側で締結しているもの。
近年北鉄で導入の進む二本式の物は、鉄枠が架線柱を挟むようにして設置されている。
架線柱は完全な木製で、両側共にくぼみがついている。
木製の通信線支持用のバーがあったと思われるが、現在は金属製の物に代わっている。
この架線柱、見た目はほかの木製の物と変わらないが、この架線柱の根元には古い架線柱の跡がない。
他の架線柱は木製の架線柱を木製の架線柱で置き換え、現在コンクリートの物で再度置き換えられようとしている。
しかしながらこの47番は根元に木製架線柱の切断した残りが存在しない。
撤去してしまったのか、それともこの場所に長い間居続けているのかは不明である。
置き換えられた木製架線柱の場合、架線の支持には細いL字の金属を使っており、この枠のようなタイプは少数である。


20130727idt4703.jpg

ちなみにこの場所にはかつて踏切が存在した。
鉄柵の区切れ具合と道路の状態からして一目瞭然である。
架線柱の根元には警報機か何かの土台がそのまま放置されている。
この踏切の存在が架線柱の長生きを決めたのかもしれない。

この区間だが、すでに架線柱の置き換えが決定しており、準備が進められている。
既存の架線柱の横にはそれぞれコンクリート製の架線柱と金属製の架線支持用の機材が準備されている。
一枚目の写真をみると、奥にはすでに架線柱用の穴が掘られていることがわかる。
石川線沿線で木造架線柱を見る機会もどんどん減っていくことになるだろう。

撮影日 2013年07月27日(すべて)
  1. 2013/07/27(土) 23:37:19|
  2. 北鉄
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クハ455-13水漏り?

20130726tc45513.jpg

北陸を走るクハ455にはAU13E冷房機が設置されている。
クハ455-13もその一つで、計5基設置されている。
この日、そのうちの一基に一部覆いがされていた。
おそらく白いものはタオルかそれに準ずるものであろう。
雨漏りなのかそれとも管の断熱が不十分で結露したのか。
いずれにせよ何らかの不調があったのであろう。
クハ455-13は生き残っているクハ455の中で一番若い番号である。
全廃が近い今、不調は放置されることが多いのだろうか。
こういう事例はまれにあり、警光灯が切れたまま備品発注の札が貼ってあったり、ガムテープがクーラーに貼りつけられたりしていることもある。

撮影日 2013年07月26日
  1. 2013/07/26(金) 23:59:08|
  2. 475/413/415
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ワラ7844

20130724wr7844.jpg

とある田んぼに佇む国鉄有蓋貨車ワラ1型。
ワラ7844は番号としては大体真ん中に当たる。
場所柄農家か後ろの工場の倉庫として使用されているものと思われる。
車体は原色のままのようである。
錆が特に扉を中心に広がっている。
一方側面は比較的錆の影響が少ない。
番号表記はかなり錆びているが、まだ何とか読み取れるレベルである。
この個体は番号が4桁だが右詰に書かれており、左にスペースがある状態である。
このため17844ではないかと推測もできてしまうが、ワラ1は17464までしかないため、17844などという番号は存在しない。
ワラ1は個体によって番号が中心に書かれているもののほか、このように右詰にされて左側にスペースをとっているものがある。
右詰の物は初期の番号だととくに推定を困難にさせる。
わずかだが、個体番号には抹消線を引かれた跡がある。
手すりは長いほうのタイプである。
銘板はなく、開放梃子用のフックが残る。
車検は昭和54年10月から59年10月まで鷹取工場にて行われている。
その後57年から58年10月まで検査が行われている。
表記は読み取りにくいがおそらく会津若松工場と推測できる。
もう一つ検査があるが、風化していてまったく読み取れない。
59年改正の前後で廃車されたものと思われる。

撮影場所 富山県南砺市
撮影日 2013年07月24日
  1. 2013/07/25(木) 00:54:34|
  2. 廃車・廃コン
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南砺市消防団福野方面団日消54-20

20130724hiacenanto.jpg

砺波地域消防組合南砺消防署福野出張所に所属するのが今回の記事のテーマ南砺市消防団福野方面団日消54-20である。
正式名称は不明であるが、ペイントからこの名前とした。
注意書きを入れるまでもなくこの車の特徴はこの型と年式である。
おそらく富山県内に存在する現役の緊急車両としては最も古いものの一つであろう。
ナンバーは富88な2610。
数少ない富ナンバーの緊急車両である。
ベースは2代目トヨタハイエーストラック。
6人乗りの物である。
荷台は初代ハイエースをベースにしているという。
2代目ハイエースは昭和52年から昭和60年まで製造された。
この個体はその中でも初期型に当たる。
30年以上前の個体であるが、目立った損傷はなく、状態はかなり良い。
この車両は昭和54年に日本消防協会よりこの場所へ送られたもの。
寄贈車であった。
リアに日消54-20というペイントがあり、昭和54年に籍を入れたことが示されている。
後部には森田ポンプの銘板があり、当初はポンプ用の車両として使われていたようだ。
森田ポンプは現在のモリタである。
トラックは幌があり、荷台には他社から流用したと思われる座席が二人分置かれている。
現在ポンプはなく、ごくわずかな荷物運びというトラック的な用途でしか使用されていないという。
サイレンや赤色灯も当時のままで、エンブレムや表記も欠損なくきれいに残る。
この車両、マニア垂涎の物だが残念ながら置き換えが決定している。
すでに代替車輛の検討が済んでおり、車検の切れる9月までに新型車と置き換わる予定だ。
あとほんのしばらくで30余年の活躍に幕を閉じることであろう。
ぜひ小矢部方面に縁のある日本自動車博物館にでも引き取ってもらいたいところだが。

撮影日 2013年07月24日
  1. 2013/07/24(水) 23:10:14|
  2. 緊急車両
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西高岡駅下りホームのゆがみ

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西高岡駅上りホームには歪んでいる場所がある。
場所はかなり金沢寄りの場所。
普段この場所に停車する列車はいない。
ホーム上に大きな段差はないが、側面から見るとはっきり歪んでいる。
写真中央部が下に沈んでおり、積んである石が全体的に歪んでいることがわかる。
ホーム自体は高さを合わせたのか、歪んだうえに若干付け足しがされているようだ。
とはいえ、この歪んでいる場所のホーム上の端にはそれぞれひびが入っている。
付け足された部分は下の石と質が変わらないため、ホーム設置時からそんなに時間を離れず付け足されたものと思われる。
乗降に影響はないと思うが、どうしてこのようなことになっているのだろうか。

撮影日 2013年07月16日
  1. 2013/07/23(火) 23:44:42|
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二塚駅便所

20130721futatsuka.jpg

二塚駅の横には便所が存在する。
近年建て替えが進む木造の古いタイプである。
財産管理票によれば昭和13年に設置されたようだ。
昭和初期の物らしく中は男女共用。
小便器と個室が各2つずつ存在し、便器は小さい。
建物こそ昭和初期だが、地鉄と違って使用に当たっては現代っ子でもカルチャーショックを受けない程度に改修されている。
外観は木造で、壁はクリーム色に塗られている。
雨樋と入り口前の壁は平成に入ってから増設されたもののようだ。
窓もサッシ戸に作り替えられている。
洗面所はないが、かわりに入り口の壁の下に蛇口が存在しており、ホースを介して手を洗うことができるようだ。

撮影日 2013年07月21日
  1. 2013/07/22(月) 22:27:34|
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城端線林駅メッセージテレ

20130721mesetere.jpg

城端線林駅は城端線では最も新しい駅である。
小さく利用者の少ない駅ながら待合室とトイレが設置されている。
そのホーム上にある待合室内部の城端寄りにはメッセージテレというものが設置されている。
メッセージテレというのは愛称のようで、何のことはないただの連絡電話である。
待合室内にボックスが設置されており、中には手回し発電機のついた電話が設置されている。
電話はかつてよく学校や事務所にあったダイヤルのないタイプで、回すと相手方のベルが鳴るもの。
この電話は高岡駅CTCセンターに接続されていることになっている。
かつてこの手の電話は駅員や乗務員保線員などに使用されたほか、ホーム上や駅舎に設置され、一般乗客が管理駅に遅延情報などを問い合わせることができた。
近年は携帯電話の普及や合理化などが影響するのか、駅舎改築の際などに撤去される例が多い。
ボックスは正式名称屋外電話機箱というもので、ホームや駅舎の廊下などにこの電話を設置した場合よく見かけた。
大抵黒色か黒に黄色いラインが入ったものだが、これは水色だ。
ただ水色の下から黄色いペンキが見えているので、当初は黄色い何かだったのかもしれない。
このボックスの製造は昭和57年であるため、駅開業時の物ではなくフラワーライン時代に設置されたものであろう。
林駅はかなり利用客の少ない駅で、戸出駅と二塚駅という有人駅に挟まれたとりたてて何もないところである。
なぜこのボックスを設置したのだろうか。

撮影日 2013年07月21日
  1. 2013/07/21(日) 23:35:03|
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越中大門駅2,3番ホームかさ上げ工事

20130720daimon1.jpg

越中大門駅の待合室が撤去されてしばらくたつ。
現在越中大門駅2,3番ホームではかさ上げ工事の準備が進んでいる。
写真ではわかりにくいが、3番ホームのかさ上げ工事を行っているところである。
旅客に関してはホームの中心にロープが張られたこと以外特に影響はないだろう。
大抵の工事と同じようにホームの富山側のはずれには土用の資材置き場が設置されている。
ロープは跨線橋出口から待合室跡地よりやや富山側まで張られている。
写真奥は日本電工の貨物ホーム跡。


20130720daimon2.jpg

この工事で特筆されることは資材搬入にトロッコを使用していることであろう。
現在、工事用の車両は越中大門駅より高岡方の空き地に集められている。
空き地はもともと越中大門駅から東洋紡績工場へと延びていた専用線の跡地である。
この場所から越中大門駅構内までトラックで資材を動かしているようなのだが、肝心の工事現場近くまではトロッコを使っているようだ。
構内端からトロッコは押されてきて、写真の位置から先は人力で下り本線を跨いで現場の3番ホームに資材を搬入している。
なぜ構内の真ん中までトラックを乗入れさせないのだろうか。
越中大門駅には側線が存在し、トロッコがあるのもそのうちの一つである。
2008年以降越中大門駅の側線を使用する貨物は基本的に存在せず、最後のデンカセメント引き込み線のレールも外され、側線は無用の物となっていた。
側線のレールが輝くことは数年ぶりである。
トラックを本線に近づけず、残ったレールを有効利用する点、このトロッコはなかなかグッドアイデアなのかもしれない。

撮影日 2013年07月20日(すべて)
  1. 2013/07/20(土) 23:05:47|
  2. 未分類
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新湊大橋仮設物撤去工事

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新湊大橋やあいの風プロムナードが開業してからしばらくたつ。
ほぼすべての工事が完成したことにより、新湊大橋工事用の施設が撤去されることになった。
橋脚などを工事するため、新湊大橋の主脚下などには仮の足場が設置されていた。
築島と呼ばれ、越ノ潟側には主脚下のほか海沿いに大きく設置されていた。
写真は堀岡側であるが、こちらも陸地から主脚下の築島へは仮橋が架けられている。
越ノ潟側については9月30日まで撤去工事を行うことになっている。
陸側の施設は陸から、築島は海上から撤去する予定である。
また堀岡側においては撤去工事の際道路封鎖が行われる。
場所は連絡フェリーから主脚下仮橋までの間の海沿いで、7月17日から来年1月31日までを予定している。

撮影日 2013年07月15日
  1. 2013/07/19(金) 23:48:59|
  2. 道・橋・隧道
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富山地方鉄道本線上市川橋梁旧線跡

富山県最初の旅客営業軽便鉄道は立山軽便鉄道である。
軽便法に基づきつくられたこの路線は所謂ナローゲージ。
大正につくられたこの路線は昭和6年に現在の1067ミリ軌間へ改軌された。
現在の上市(新宮川)から滑川までのほとんどの区間が大正時代に作られたもので、富山地方鉄道の中では最も古い路線である。


20130717kamichi1.jpg

宇奈月から中加積駅を出た電車は突然左へわずかにカーブし、上市川の橋梁を渡ると大きく左へカーブして築堤を下ってゆく。
この上市川を渡る区間にはわずかな区間だが旧線が存在する。
写真は中加積駅を出てすぐ渡る第一中加積踏切より電鉄富山方面を見たもの。
レールはまっすぐではなく若干左へと曲がって築堤を上っていく。
一方で本来まっすぐであったルートの部分にも築堤が存在する。
これが旧線区間である。
旧線区間も一応除草がされているようだ。


20130717kamiichi2.jpg

上市川右岸、つまり地鉄で言う宇奈月方面の築堤下は滑川運動公園として整備されている。
公園は地鉄の築堤の両側に展開されている。
当然この公園を行き来するには地鉄の築堤の下をくぐることになり、地鉄にはガーターが設けられている。
現在の路線は上市川上流側に存在するが、それとは別に下流側に旧線の橋台が残る。
作りは石造りの立派なもの。
石造りの突端はコンクリートで、コンクリートで固定部が存在しているようである。
問題はこのコンクリートが石造りの基礎部分よりも大きいこと。
築堤にコンクリートの押さえがあるにしてもおかしく、特に電鉄富山側の橋台は受け部分が突出していてアンバランスだ。
考えられることとして、大正2年の開業時では軽便鉄道一杯のサイズの橋しかなく、昭和6年に改軌した際ベースの橋台をそのまま使い、1067ミリ軌間に適応するガーターを掛けられるようコンクリートで補強したということ。
とすれば、開業時は築堤は土盛りのままであったと考えられる。
あくまで推論であるので確証はない。
築堤であるが、側面から見るとほぼすべて土盛りである。
しかしながら歩道から見ると切り通し部分に当たる場所では石などで補強されている。
これもちぐはぐで、宇奈月温泉側の築堤は上流側が丸石作り、下流側が角石を積んだものとなっている。
一方の電鉄富山側は下流側は丸石積みとなっている。
なお、宇奈月側の橋台には、ガーターを固定したと思われる鉄の基礎が今も残っている。


20130717kamiichi3.jpg

上市川左岸より宇奈月方面を撮影したもの。
旧線は現在の本線よりも下流側を通っていたと思われる。
写真奥にある右岸側の堤防上の通行止めは若干地鉄から離れた場所にあり、線路横の旧線区間が地鉄の敷地であることを示している。
中加積駅から上市川へ至る旧線の築堤下には、地鉄の境界杭が存在する。
あいにく川の色具合、夏草やらで旧線の面影は全くないが、ちょうど現本線の橋梁の真ん中にある橋脚より左手に、わずかながら旧線の橋脚が顔を出している。
撤去はされたが、基礎部分まではわざわざ撤去しなかったようだ。
各種航空写真などで確認することができる。
大正2年あるいは昭和6年にこの区間をたった二つの橋脚でパスしたことは考えにくいので、ほかにも橋脚があるはずだが確認はできなかった。


20130717kamichikawa4.jpg

本線は上市川左岸の堤防道路を踏切でパスする。
そのすぐ後にもう一つ橋台が残っている。
ただ、こちらは毛色が違い、旧線のほうも完全なコンクリートである。
具合も現在の路線に比べれば劣るものの強烈な古さは感じさせない。
築堤の囲いもコンクリートで、若干広さをとったものである。
パスしているのは二本の小さな用水というより側溝。
道があるように見えるが、現在の本線をくぐったあたりで行き止まりである。
なぜここに築堤ができたのかよくわからないような場所である。
旧線の築堤はおそらく現在の路線に沿ってカーブしていたものと思われるが、なぜか途中で切り崩されている。
築堤があったと思しき部分は現在の路線に沿って平坦なあぜ道となっている。

旧線と新線の切り替え時期だが、地図を見ると片側がカーブ、片側がほぼ直線ということがあり、いつ切り替えられたのか判別がつかなかった。
ヒントとして、現在の橋は1971年、昭和46年の製造であるということ。
加えて旧線が1067ミリ軌間に対応していることと、旧線上市川橋梁の橋脚跡が見当たらないことから、堤防の増設に伴って線路切り替えを行ったのではないかという推理を立てた。
昭和40年代まで特に上市川の下流では氾濫による被害が相次いでいた。
現在までの工事により下流側は直線化されている。
とすればこの路線の切り替えは昭和40年代の中ごろということになる。
上市川は二級河川で資料が少なく、地鉄の歴史にもこの程度の切り替えでは記録されなかったようで、詳しいことは不明である。

撮影日 2013年07月17日(すべて)
  1. 2013/07/17(水) 23:54:19|
  2. 廃線など
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堀切橋跡

昭和41年3月17日、怒声が飛び交う中新湊市議会は港口切断を強行採決。
8ヶ年にわたる港口切断問題に終止符を打った。
同年4月には早くも仮橋による輸送が進む一方で鉄道および道路の切断が行われた。
ところがこの鉄道と道路二つの遺構は今なお残り続けている。


20130715horikirihashi1.jpg

四方から堀岡へと歩き続けると、やがて道は旧道新道ともに同じ場所へと収束する。
これはすなわち切断前、同じ場所に橋が架けられていたからである。
驚くべきことにこの橋は切断から半世紀近くの時を経た平成の現在もなお、その一部を残し続けている。
この橋の最後の名称は富山県道魚津-氷見線堀切橋というものであった。
射水線の線路よりも遅く、昭和41年4月20日ごろから撤去されたという。
橋はコンクリート製で、当時としては標準的なサイズの物。
今でこそ小さな道であるが、この橋へアプローチする道の下の土台からしても、当時重要な道であったことがうかがわれる。
橋の銘板は取り去られて久しい。


20130715horikirihashi3.jpg

平成の橋、新湊大橋歩道部より堀切橋跡を望む。
切断時、県は地域住民の問題解決に全力を注ぐと明言したが、住民の悲願であった橋は切断から実に46年もたってから作られた。
とんでもない全力である。
問題の地域を遠くパスして掛けられた橋に当時の活動家はなんと思っただろうか。
その思いを伝えるかのように堀切橋は1スパンのみ現存する。
橋はつい最近までゴミステーションとして使用されていた。
なかなかいいアイデアであるが、写真左にある西新明神公民館横に新しくステーションが新設されたため撤去された。
そのためコンクリートの枠のみが残る。
橋の上の欄干は大部分が取り除かれ、またゴミステーション分以外の入り口はガードレールとその土台のコンクリートがかかっており、初見では橋であったことはわかりづらいかもしれない。
写真左奥に残るのは同じく港口切断で泣き別れとなった射水線の橋台。
こちらも撤去されたはずだが、なぜかこの一つだけが残されたままとなっている。


20130715horikirihashi2.jpg

対岸越ノ潟より撮影。
望遠レンズでこれだけ大きく映るほど、堀岡と越ノ潟はなおも近い。
半世紀以上前の橋だが、断面は今も白い。
パイプなども橋に装着されたままとなっているようだ。
堀切橋は県道魚津-氷見線の一員であったが、切断と県道整理により魚津-氷見線は消滅している。
現在越ノ潟側は県道350号線堀岡新明神能町線で、堀岡側は県道232号線堀岡小杉線となっている。
350号線はけっして堀岡側をつなごうとしているわけではなく、越ノ潟側も突端は堀岡と同じく堀岡新明神であるため、そのような名前となっている。
なかなかややこしい。
泣き別れとなった両方の道路は、それぞれ元とは違う使命を担うようになったようだ。

堀切橋跡であるが、住民の噂では近年解体されるのではないかということである。
主目的であるゴミステーションの土台は、新ゴミステーションの完成により必要がなくなったためである。
加えて使用していない橋とはいえ老朽化が著しいことがある。
使用しないものを残しておく理由はない。
また釣り人が立ち入り禁止にもかかわらず無断で進入することもあり、事故の可能性もある。
事実、休日にこの場所を撮影に来るとたいてい釣り人が侵入していた。
代替手段要望のため無言の碑として残してあったにせよ、新湊大橋完成の暁にはその必要もなくなったことであろう。
そろそろ役目を終える時が来たのかもしれない。

撮影日 2013年07月15日(すべて)
  1. 2013/07/15(月) 22:50:04|
  2. 道・橋・隧道
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中滑川駅3番ホームの今

20130707nakanamerikawa32.jpg

中滑川駅には現在使用されていない「3番ホーム」が存在する。
JR線路側から1,2と名付けられた島式ホームのほかに、対面式ホームが存在する。
写真は宇奈月方面から富山方面を向いて撮影したものであるが、その左手のホームがそれである。
かつて、中滑川から東岩瀬に至る地鉄海岸線の計画のために作られたといわれる。
3番線のレールは宇奈月方で分岐し、3番線に伸びた後踏切の前で途切れている。
車止めもなく枕木を置いただけの簡素なものである。


20130707nakanamerikawa31.jpg

中滑川駅3番ホーム。
看板類も存在したが、そのほとんどは抜け落ちるか朽ち果てている。
ホームにベンチはなく、代わりに器具箱やパイロンなどが放置されている。
駅名板をかけるためのステアが存在するが、幻の駅名板は永遠に掛けられることはない。
1,2番ホームと同じくホームから階段を下って改札へと行く仕組み。
階段への入り口はサッシ戸でふさがれている。
サッシ戸の向こう側は改札口のすぐそばであるが、階段は物置代わりとして使われているうえ、施錠されているため使用することはできない。
加えて改札口には手すりを新設したため、余計この場所には気が付きにくいようになっている。
後ろの朽ち果てた建物はJAアルプス滑川支店で、中滑川駅とつながっている。
計画上中滑川駅は海岸線と本線の接続駅となる予定だったこともあり、駅舎はかなり立派なもので農協と接続しているほか多数の店舗が駅舎に存在したが、現在そのすべてが撤退している。
加えて老朽化もあり、中滑川駅とその周辺施設は近いうちに解体され、建て替えが行われる予定である。
その際、この3番ホームも消えてしまうのだろうか。

撮影日 2013年07月07日(すべて)
  1. 2013/07/14(日) 23:51:13|
  2. 地鉄
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小杉駅ちり紙販売機

20130701chirigami.jpg

小杉駅北口のトイレ前にはちり紙販売機が設置されている。
というのは、トイレに紙がないからである。
北陸本線のトイレではトイレットペーパー盗難防止などの観点からトイレットペーパーが設置されていない駅が多い。
そのためちり紙販売機がトイレ前に設置されていて、大や女性は使用する時ここで購入していってほしいという形になっている。
一袋50円で、二つで100円。
50円硬貨がある場合は一つで済むが、100円硬貨しかない場合は二つの物しか買えない。
中身は少し厚手の水に流せるティッシュのようなもので、普通のポケットティッシュよりサイズが大きい。
小杉駅の場合、駅前にローソンがあるためそこでポケットティッシュを買うか、あるいは駅南の公衆トイレを使用すれば購入しなくとも済むかもしれない。
近年駅改修などの際には身障者用トイレからのトイレットペーパー盗難や仕様マナーの問題から、ちり紙販売機を撤去し、トイレットペーパーを装着する場合も増えている。

撮影日 2013年07月01日
  1. 2013/07/12(金) 22:15:22|
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富山電鉄三郷駅

20130710echusango.jpg

富山地方鉄道本線越中三郷駅は木造駅舎である。
レトロな雰囲気からマニアに人気があるが、一般利用者からすればただぼろい駅である。
この駅の出入り口の上には立派な看板が掲げられ、右文字で「富山電鉄三郷駅」と書かれている。
鉄や駅の字も旧字である。
現在富山電鉄、つまり富山電気鉄道は存在せず、富山地方鉄道となっている。
おそらく駅舎は開業時からあるものなのだろう。
開業時から越中三郷駅だったはずだが、駅名板では三郷駅となっている。
1905年に名鉄瀬戸線に三郷駅が開業しているため、越中が付いたものと思われる。
越中三郷駅は富山電鉄が1931年に開業させた駅である。
もともとは立山軽便鉄道と黒部鉄道という路線があったものを統合し、線路を一部付け替えて登場したのが富山電鉄である。
軽便鉄道だった立山鉄道のレールを付け替え、電化して開業している。
戦中各地で大規模な鉄道会社合併が行われた際、富山県でも越中鉄道や富南鉄道を合併させ、だいたい1943年ごろまでに富山地方鉄道へと統合されている。
従って富山電鉄だった時代は1931年から43年までのわずかに12年しかなく、その頃の越中三郷駅を物語るものとなっている。

撮影日 2013年07月10日
  1. 2013/07/11(木) 21:51:37|
  2. 地鉄
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8590系富山貨物到着

20130720chitetsukoshu.jpg

新幹線開業に向け富山地方鉄道では増発実験向きに新車導入を発表した。
それから数か月、その車両として東急より8590系が甲種輸送によって運ばれてきた。
関東から上越線経由で輸送され、夕方富山貨物へと到着した。
塗装は東急の頃のままで、ステッカー類は外されている。
幕は「回送」であった。
数か月工場にいたため何らかのぎ装がされているとのことである。
富山貨物に到着後ただちに入れ替えが行われ、現在貨物駅駅舎近くの留置線に入っている。
そのためどの方向からも撮影は困難な状況である。
地鉄では数十年ぶりのロングシート車導入となる。
富山貨物駅と地鉄ではいくらか距離があるため、トレーラーによる輸送が行われるであろう。
地鉄では前日にも車両輸送があり、京阪電車からのダブルデッカー車が海上輸送ののち稲荷町工場へと運ばれている。

撮影日 2013年07月10日
  1. 2013/07/10(水) 23:04:31|
  2. 地鉄
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キハ30気動車甲種輸送

20130709kiha30.jpg

久留里線で活躍していたキハ30ほかは新津にて留置されていた。
それが岡山県の水島臨海鉄道へと行くことになり、北陸本線を経由して甲種輸送された。
輸送は日中に行われ平日にもかかわらず多くのマニアを沿線で見かけた。
車両はキハ30など6両で、うち2両は国鉄色にリバイバルされたものである。
幕は久留里線のままであった。
北陸地域ではすでにキハ30が消滅してからかなりの年月がたっている。
輸送途中金沢貨物では長時間停車が組まれ、乙丸の橋梁などから眺めることができた。
夕日が沈むころ列車は金沢貨物を出発していった。
10日に到着する予定である。

撮影日 2013年07月09日
  1. 2013/07/09(火) 23:18:44|
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平成25年7月の城端線新高岡駅

20130706shintakaoka.jpg

着々と進む北陸新幹線工事。
新高岡駅も徐々に姿を現しつつある。
一方、在来線との乗換駅となる城端線新高岡駅の予定地は依然として空き地である。
写真は第一下黒田踏切より高岡方面を見たもの。
写真中央が計画図ではまさにホームなどを作る予定の場所であるが、更地のままだ。
新幹線駅は億の施設であるが、いまのところ乗り換え用の施設などは見えない。
横ではロータリー建設のため土が盛られている。
この踏切はいずれ駅整備とともに撤去されるであろうが、工事の関係か監視カメラまでついている。

撮影日 2013年07月06日
  1. 2013/07/08(月) 21:49:24|
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ワラ12906

20130707wr12906.jpg

とあるレンタル会社の端に佇む国鉄有蓋貨車ワラ1型。
番号としてはそれの中期から後期に当たるワラ12906である。
下周りが撤去されたおなじみのダルマで、下周りにはコンクリートがあてがわれている。
状況からして倉庫として使用されていると思われる。
手すりは高いタイプ。
色は黒だが近年塗り直しがされたもの。
塗りなおしていっても定期的にメンテナンスされていた話ではないようで、塗装の割に腐食は年相応である。
南京錠や塗装の新しさから倉庫としてはバリバリ現役のようだ。
塗り直しのおかげで表記などの特定は困難である。
車検の年日などは不明であるが、検査印は消されず何度も並べてきていたようである。
また車番も塗り重ねるようにして書いていたようだ。
銘板などは取り外されていて存在しない。

撮影場所 富山県富山市
撮影日 2013年07月07日
  1. 2013/07/07(日) 22:45:14|
  2. 廃車・廃コン
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二塚貨物 その7

20130706futatsukakamotsu.jpg

3084レ

編成
↑高岡
DE10 1728
コキ107-125(なし)
コキ106-519(無、無、19G、無、無)
コキ106-85(19G、9G、19G、19G、19F)
コキ107-509(無、19D、無、19D、無)
コキ107-140(19D、V19B、19G、19G、19G)
コキ107-640(19D、19G、19G、19G、19G)
コキ107-122(19D、19G、19D、V19C、19G)
コキ106-801(19D、19D、20D、19D、19D)
コキ106-319(19D、V19C、19D、19D、19D)
コキ106-950(19D、19D、19D、V19B、19D)
↓二塚

心なしか19Gの多い編成。
何よりも驚きなのはコキ50000系列が完全に駆逐されていること。
かなりの勢いで淘汰が進んでいるようだ。

撮影日 2013年07月06日
  1. 2013/07/06(土) 23:59:11|
  2. 貨物
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津幡駅駅灯室

20130703tsubatakiken.jpg

津幡駅4番ホーム横の金沢寄りにはレンガ造りのレトロな施設がある。
危険物保管庫だとかと呼ばれる存在である。
施設の正式名称は駅灯室。
名前の通り灯りのための燃料などを保管していたところだ。
更新によってレンガ造りのこのような施設もずいぶんと見かけなくなり、この近辺で現存するのは津幡駅位となってしまった。
錆びてはいるが火気厳禁のプレートがかかる。
扉が少し開いていることや、プレートの更新がされていないことから現在は別の用途に使用されているのかもしれない。
壁はレンガ造りで、扉は木製である。
屋根は瓦造りでライトなどが増設されている。
明治大正期の物もあるが、管理票によればこれは昭和13年に作られたものであるといい、レンガ造りのこの手の施設としてはかなり新しい。
津幡駅に残る数少ない戦前の現役の施設である。

撮影日 2013年07月03日
  1. 2013/07/05(金) 23:34:23|
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倶利伽羅駅ホームかさ上げ工事

20130703kurikara1.jpg

倶利伽羅駅のホームかさ上げ工事がラストスパートを迎えている。
待合室の解体から始まったかさ上げ工事だが、もはや残すところ上りホームの一部分だけである。
写真に写ったその場所が工事残りのすべてで、その他の場所では点字ブロックの設置などが完了している。
勿論営業時間内のため工事は慎重を期して行われていた。
上り列車が停車するとちょうど乗降場所とかぶるのでやや不便そうであったが、昼間はあまり降車する人がいないので大きく問題にはなっていなかったようだ。


20130703kurikara3.jpg

かさ上げ工事は運転掛事務室よりやや富山寄りまで行われた。
運転掛事務室は旧ホームを基準にして作られたため、写真のように周りの地面が高い。
したがって水などは事務室めがけてたまることになるのだがどうなのだろうか。
待合室を撤去した理由の一つにこのことがあるのかもしれない。
4両対応の距離で、この日は車掌用のシールをホームに設置していた。
旧貨物ホーム跡には停止目標位置とみられるポールが置かれていた。


20130703kurikara2.jpg

ホームの富山寄りに設けられた工事用スペース。
ホームかさ上げ工事では大抵このようなスペースを乗降スペースより遠い場所に作り、この場所から土を持ってくる。
倶利伽羅駅の場合用地が広いため、工事用の車両は駅舎裏の旧ホーム横や貨物ホーム跡に止められており、そこから工事用具を搬入している。
旅客乗降場ホームの中心にロープが張られ、その場所を中心に機材が並べられていた。
工事完成予定日は7月10日である。

撮影日 2013年07月03日(すべて)
  1. 2013/07/04(木) 23:33:04|
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越中大門駅ホーム待合室最後の日

20130702daimon1.jpg

最近、北陸本線沿線で待合室の撤去が加速している。
倶利伽羅駅、福岡駅などに続き、越中大門駅ホームに設置されている待合室も解体されることとなった。
越中大門駅の待合室は2,3番ホームに設置され、主として下りの旅客が使用する。
他の駅の待合室と同様跨線橋やホーム屋根よりやや離れた場所にある。
コンクリートを土台にした比較的近代的なもので、設置は財産管理票によれば昭和38年と新しい。
特徴的な部分としては出入り口部分がかなり広くとられており、大きな荷物を持っていても楽に出入りできる。
引き戸サッシドアで2,3番線線路側にのみ存在する。
窓のサッシの状態も悪くはない。
中はコンクリートの土台に木を使用したベンチが設置されている。
屋根には蛍光灯があるのみで、殺風景な室内である。
福岡駅に設置されていた待合室と違い外側は白いペンキだけで済まされている。
天井はフラットで、屋根は鉄骨支持の三角屋根。
屋根の雨樋にヨレが感じられるほかは年式相応の維持状態である。


20130702daimon2.jpg

期間は長くなかったが駅構内や跨線橋、待合室本体に解体のお知らせが高岡駅名義で貼られていた。
工事準備のためすでに電線などがおおわれている。
待合室の利用者は全くゼロというわけではなかったが決して列車毎に使用されているものではなかった。
一日数十人程度のために待合室という建物を維持することはコストを重視するJRには耐えられなかったのだろう。
確かに夏場はあまり利用者がいなかったと思うが、冬場のホームベンチなどはこたえるものがあるのだが。
利用客の少ない駅にもはやこんな建物は要らないということか。
同時に越中大門駅は写真の通り521系対応ホームかさ上げ工事が2両分しか完了しておらず、撤去工事に合わせてかさ上げや待合室の新設あるいはベンチの増設を行うものであると予想される。
すでに解体された例を見る限り、解体にはそれほど時間はかからないだろう。
何度か利用した施設だけに解体は非常にさびしい。

撮影日 2013年07月02日(すべて)
  1. 2013/07/03(水) 02:29:46|
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小杉駅南口待合室

20130701kosugistminamimachiai.jpg

小杉駅南口は簡易委託窓口ではあるものの、待合室を備えている。
ベンチがいくつか置かれ、テレビも設置されている。
飲料の自動販売機も設置されており、紙コップの物も含め三台存在する。
JRの駅舎だが射水市に委託されており、射水市サービスセンターが運営を行っている。
そのため待合室内には射水市サービスセンターの待合室がある。
但し役所と同じ扱いなのでかなり早くに閉まってしまう。
サービスセンターがあるため待合室内にJRの案内はほとんどなく、代わりに射水市の行政案内が多数を占める。
射水市の広報誌「広報いみず」はここで閲覧できる。
防災マップや観光マップなども貼られている。
ただ観光という点小杉駅南口はあまり使用されないであろう。
射水市はホームページにてこのサービスセンター内の広告を募集している。
展示品として柳沢敦をはじめとした旧小杉町の偉人のサインや地域特産品の小杉焼が展示されている。
このほか厳密には待合室の外ではあるが公衆電話機が一台備え付けられている。
小杉駅の北口から公衆電話は撤去されており、使用したい場合は南口の物を使うことになる。
なお南口開放時間外は南口地下道横にある公衆電話ボックスを使用することになる。
南口にはコインロッカーが10個設置されているが、うち3台は故障により現在使用できない。
行政委託窓口に小奇麗な小規模待合室を備え付けた例は呉西では比較的少ない。

撮影日 2013年07月01日



この記事でちょうど本ブログは一周年を迎える。
記事数は316と一年間のうち50日ほどサボったことになる。
アクセス数は17800というところだが、アクセスログはかなり後になってから設置したので正確な数は不明である。
普通のブログは書き続けるとコンテンツが深まるか充実するかで人が増えるのだが、このブログはその傾向にない。
散文的に気の向くまま記録を続けていくつもりである。
  1. 2013/07/01(月) 23:41:20|
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