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富山発金沢方面ゆき鈍行列車

富山とその周辺で見つけた、乗り物の話を書いていきます。

富山地方鉄道バス富山空港線の日産ディーゼルスペースアロー富士仮装車

20130223bs7m1.jpg

富山地方鉄道バス富山空港線に新しく配備されたスペースアロー。
新しくといっても配備されてからある程度時間がたってしまったが、導入時は地鉄ホームページの下のほうに写真付きで乗っていた個体だ。
富山空港と富山駅を結び、乗車賃は一律400円。
富山駅を出たバスは市内の大手ホテル前を結んで富山空港へ行き、富山空港発のバスは市街地を軽く停車して富山駅を目指す。
富山空港に発着する路線バスはいくつかあるが、この富山駅行きが出入り口から一番近い場所に停車する。


20130223bs7m2.jpg

車体塗装は地鉄の新観光塗装の基調をシルバーに変えたような感じのデザイン。
空港連絡バスらしくAIRPORT EXPRESSの文字がフロントと側面に入る。
車両は日産ディーゼルスペースアローKC-RA531RBM-7-00310。
富士重工業で仮装された車体を持つ。
製造は平成11年。
ナンバーは新しく富山230あ443。
フロントには少しわかりにくい板しかないが、リアには見やすい行先表示がある。
またドア横にも系統表示がされている。

撮影日 2013年02月23日(すべて)
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  1. 2013/02/28(木) 23:23:53|
  2. バスとか
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UT11A-5040

20130215ut11a5040.jpg

私有コンテナUT11A。
白と青のペイントが特徴的なラテックス専用コンテナである。
ラテックスは樹液由来の溶液などを差し、ゴムの原材料等として有名である。
タンクには合成ゴム、合成ラテックス、高機能樹脂の文字がある。
ZEONとあるように日本ゼオン株式会社用のコンテナである。
右手にあるNipolLATEXは日本ゼオンの商品名。
輸送は妻面のJOTマークからわかるよう日本石油輸送が担当している。
総重量13.5t。

撮影日 2013年02月15日
  1. 2013/02/27(水) 21:10:21|
  2. 貨物
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高岡貨物 その4

20130226takaokakamotsu23.jpg

2094レ
編成
↑高岡
DE10 1541
コキ51924(19D、19D、V19C、19D、V19C)
コキ53200(19D、20B、V19A、20B、V19C)
コキ52687(UR18A、19D、19D、19D、19D)
コキ50732(19D、V19C、19D、19D、19D)
コキ53248(19D、20B、UR18A、20B、19D)
コキ50530(19D、無、無、無、V19C)
コキ52266(なし)
コキ52977(V19B、無、UR19A、無、19D)
コキ51212(19D、19D、19D、19D、19D)
コキ53198(無、30A、無)
コキ50663(19F、無、19D、無、19D)
コキ50765(なし)
コキ50537(なし)
コキ51978(なし)
コキ52208(なし)
↓高岡貨物

かなり長めの編成。
前日見かけた20B-5がつながっていたりしていた。
UR19A-1186コンテナは「がんばろう日本」塗装であった。

撮影日 2013年02月26日
  1. 2013/02/26(火) 23:22:18|
  2. 貨物
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二塚貨物 その6

20130225futatsuka41.jpg

高岡~二塚間にて。

3083レ

編成は
↑二塚
DE10 1541
コキ50771(V19B、19F、19G、19F、V19C)
コキ51751(19G、V19B、19D、V19C、19D)
コキ50577(20C、20D、20C、20C、20D)
コキ50971(19G、20D、20C、20B、V19C)
コキ52582(19G、19G、19G、19F、V19C)
コキ53278(19F、19G、19F、19F、19D)
コキ53058(19G、19G、19G、19D、V19C)
コキ51736(V19C、V19C、19G、19G、19D)
コキ53352(19D、19D、19D、V19C、19D)
コキ52681(20D、19D、19D、19D、20D)
↓高岡

雪の降りしきる中猛進する二塚貨物。
この日はすべての貨車にコンテナが載っていた。

撮影日 2013年02月25日
  1. 2013/02/25(月) 23:41:28|
  2. 貨物
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ワラ1若番の廃車体

20130211wara.jpg

倉庫として使用されているとみられる元国鉄有蓋貨車ワラ1。
形式は薄れていて読み取れないが、かろうじて一番上の数字が5であることがわかる。
後ろには文字の位置からおそらく2つの数字が収まったとみられ、ワラ5××というのがこの個体の生前の番号であるようだ。
17000両が生産された本形式としてはかなり番号が若い。
ただ、番号は決して製造順につけられたものではない。
一度も塗り直しがされたことがないようで、錆が垂れかなりひどい状態だ。
特に妻板部分の腐食具合がひどい。
扉の手すりは高いタイプである。
検査表は薄れていて読めないが、おそらく郡山車ではないだろうか。
最後の検査は昭和57年のようである。
横にある木が大きくなりすぎてこの貨車が抜け出せるような隙間はない。
もし倉庫として現役ならばなかなか不便な位置にあるのではないか。

撮影場所 石川県羽咋市
撮影日 2013年02月11日
  1. 2013/02/24(日) 22:00:45|
  2. 廃車・廃コン
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富山空港のソラリー式到着表示機

20130223toyamapatapata.jpg

近年鉄道関係ではめっきり減ってしまった反転フラップ式の行先表示機。
富山県内では近年まで黒部峡谷鉄道が使用していたが現在は撤去された。
富山空港ではこのパタパタ式の表示機が現役で使用されている。
写真は空港に入ってすぐの場所にある到着案内。
航空会社、便名、発地、定刻、変更(時刻)、備考が表示される。
到着すると左側のランプが点灯する仕組みだ。
空港機関においても案内表示機は液晶化の流れがあるが、富山空港は便数と会社が少ないためか更新されていない。
このほか国内線待合室の出発案内もこのソラリー式の物である。
同じく5段で右部分に搭乗口番号が示されるフラップが存在する。
広告が違うほかはほぼ同じデザイン。

撮影日 2013年02月23日
  1. 2013/02/23(土) 22:29:49|
  2. 航空
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BSBU000011

20130217bsbu40.jpg

私有コンテナBSBU000011。
ブリジストン物流の所有である。
カーボンブラック専用コンテナであるが、ブリジストンのは黒く塗られているのが特徴。
カーボンブラックは平たく言えば炭素の粉末である。
ブリジストン向けとのことであるから、タイヤの補強材用であると考えられる。
このコンテナは社内番号としてNo.40という番号を持つ。
社内番号とコンテナの番号とは特に関連性がないようだ。
コキ50000搭載禁止コンテナであるが、北陸本線ではまれにコキ50000に乗った状態で運行されているのを見かけることもある。
総重量13.5トン。

撮影日 2013年02月17日
  1. 2013/02/22(金) 21:39:14|
  2. 貨物
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くみあい飼料伏木工場倉庫専用引き込み線跡

国鉄新湊駅は現在の万葉線六渡寺駅の海側に存在した。
旧新湊駅周辺にはいくつかの専用線跡が存在するが、その中で最も遺構を残している引き込み線の一つがくみあい飼料伏木工場専用線である。
長い間レールが撤去されずに残る数少ない引き込み線跡である。


20130220kumiai1.jpg

引き込み線の遺構は県道350号線を跨ぐところから始まる。
右手が能町駅方面で左が庄川である。
新湊線は右手から延び、写真中央部の新湊駅で終点を迎えていたが、この引き込み線は新湊駅より写真左手の庄川寄りに一度貨車を押し込み、そこからスイッチバックをするように手前へと来ていた。
カーブを描いて県道350号線を跨いでいたが、そのカーブの途中で別の専用線とX字にクロスしていたようだ。
現在旧新湊駅含めてレールが完全に撤去され跡形もない。


20130220kumiai2.jpg

県道350号堀岡新明神・能町線を跨ぐ踏切はレールが撤去されずに残り、アスファルトに埋められてもいない。
県道を超えると最大の遺構であるコンクリート橋がある。
レールや枕木が撤去されずに残るが、状態は悪い。
バラストのみならず枕木までが波にさらわれ紛失してしまい、ここ数年は特に進行が激しい。
左手には踏切関係か何らかのスイッチ装置があったが最近根元から折れてしまった。
バラストと枕木が波にさらわれているが、代わりに大量の漂着物が引っ掛かっている。


20130220kumiai3.jpg

橋を渡りきった場所から終端を向いて撮影。
長いカーブがずっと続き、直線になった場所から倉庫が横付けになっていた。
現役時は右手に倉庫が二棟あり、左手に工場があった。
素材を行き来させるためレールと県道の上には倉庫と工場をつなぐパイプがあった。
また写真奥にはサイロも存在していた。


20130220kumiai4.jpg

レールの締結部。
ほとんどの場所は枕木が土に埋もれてしまっている。
レールを止めている木も中には朽ち果てて割れてしまっているものもある。
もし万が一列車を走らせることがあっても、大規模な改修が必至となるだろう。
海沿いの割にはひどく錆びているというほどでもない。


20130220kumiai5.jpg

倉庫は二棟存在し、新湊駅側に戦前からあるものが一棟、もう一棟は戦後になってから建てられた。
線路には一部箇所枕木がレールとの間に敷き詰められた場所がある。
県道沿いにある溝の蓋と見比べると、倉庫の出入り口においてレールとの隙間をクリアするために設置されたのではないかと推測できる。
このような場所がいくつかあった。
いずれの枕木もかなり風化している。


20130220kumiai6.jpg

こちらは踏切跡。
一か所のみ存在し、おそらく倉庫とそうこの間の道路に設置されていたものと思われる。
鉄のパーツが取れたのか足りなくなっている。
なぜかこの場所より手前側は除草がされている。
新しい所有者の意向か、それとも草刈り条例のせいなのだろうか。


20130220kumiai7.jpg

新湊駅側を見る。
ここまでレールはほぼ完全に残っている。
ただ、状態は悪くレールはかなり歪んでいることがわかる。
この線路に関しては旧国鉄、JR貨物の所有ではなくくみあい飼料の所有ということなのだろうか。
くみあい飼料は戦後の会社であるが、倉庫や引き込み線自体は戦前から存在していたようだ。
どのような経緯で現在の形になったかは調べたがわからなった。

20130220kumiai8.jpg

終端は草で覆われていたが、レールを曲げただけの簡易車止めが今も残っていた。
なぜかこの場所はレールがそのままの状態でなく、いつでも撤去できるように外されているように見える。
この場所の延長線上には別の引き込み線がほぼ直角に交わるが、現役時からつながっていることはなかったようだ。

引き込み線は平成に入るころには運行をやめており、平成が二桁になるころには倉庫と工場、サイロの閉鎖と取り壊しが行われた。
平成14年に新湊駅は正式に廃止、JR貨物新湊線は縮小した。
くみあい飼料伏木工場跡地は現在工場裏にあった八嶋倉庫の敷地となっている。
サイロは同じく八嶋倉庫のトラック待合所となった。
倉庫跡地は更地となり、海上保安庁の敷地となった。
海上保安庁関連の自動車がいるほかコンテナが並び、まれに岸壁には巡視船が停泊する。
閉鎖処置がとられていないため、昼間の岸壁にはアマチュアの釣りマニアが集う。

撮影日 2013年02月20日
  1. 2013/02/21(木) 21:37:50|
  2. 廃線など
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残るクハ418-1

20130220419.jpg

日本車両リサイクルへと譲渡された最後の419系D01編成。
報道公開の際クモハはデモンストレーションとしてほぼ完全にバラバラに解体された。
各報道新聞やテレビでその姿が公開された。
現在リサイクル工場では着々と名古屋地下鉄東山線の車両が運び込まれている。
またバスも旧十條製紙駐車場からはほとんど消え、再整備のため工場中に運び込まれたものとみられる。
地元の中部観光や海王交通の旧型車もこの工場へきているようだ。
そんな動きの中、クハ418はいまだに動きがないままのようだ。
保存予定があるとは聞いていないが、どういうことなのだろうか。
なおモハは確認していない。

撮影日 2013年02月21日
  1. 2013/02/20(水) 21:24:55|
  2. 廃車・廃コン
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富山大橋の今

20130218rentai4.jpg

平成24年より新富山大橋の使用が開始された。
新橋は神通川の海よりに架橋され、これに伴い旧富山大橋は使用停止となった。
また周囲の道路にも変化が生じている。
路面電車の複線化などが新橋では行われた。
塗装は旧橋と同じく青色だが色味が違う。


20130218rentai1.jpg

神通川左岸山側より旧橋を撮影した写真。
旧橋の下をパスしていた道路は架け替え後使用停止となった。
代わりに左岸の奥まった位置に立体交差ができるようになった。
ただひどく道路が曲がりくねっているため事故が起きてもおかしくはない。
数年かけてこの周辺を整備する予定だという。


20130218rentai3.jpg

旧富山大橋。
神通川の中州に大きなスロープを作り、そこから重機を移動させるということか。
まだ橋本体の解体は進んでおらず、昭和初期に作られた桁橋が姿を見せる。
吊桁の特徴的な姿が美しい。


20130218rentai2.jpg

橋の上ではトレーラーが走る。
手前の舗装された部分を除いて市電の線路や架線用のポールがそのまま残されている。
新橋と比べると旧橋はやや高さが低いということがわかる。
橋の解体も数年かけて行われる予定で、完全になくなるまでにはまだ時間がありそうだ。

撮影日 2013年02月18日(すべて)
  1. 2013/02/19(火) 23:02:42|
  2. 道・橋・隧道
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二塚貨物 その5

20130218futasyuka000001.jpg

高岡~二塚間にて。

3083レ

編成は
↑二塚
DE10 1541
コキ51079(V19B、V19B、19G、V19B、V19C)
コキ50589(19G、19G、19G、19G、19D)
コキ50758(19G、19G、19G、19G、19D)
コキ50838(V19C、V19C、V19C、V19C、V19C)
コキ50863(V19C、V19C、V19C、V19C、V19C)
コキ52148(無、無、V19C、無、無)
コキ53173(なし)
コキ53295(なし)
コキ53074(なし)
コキ50466(V19C、19D、無、19D、19D)
↓高岡

この日の編成は比較的コンテナが統一された風な編成だった。
この頃は空のコキが増えて少しさびしい。
尾灯はいつも通りなかった。

撮影日 2013年02月18日
  1. 2013/02/18(月) 23:42:05|
  2. 貨物
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ワム66171

20130212wamu66171.jpg

とある住居の横に置かれた国鉄貨車ワム60000型。
国鉄時代の代表的な有蓋貨車で、全国で倉庫などに転用された姿を見ることができる。
おそらく住居横の庭に置かれているのだろうが、住居と木の間に挟まれている。
倉庫として使用されているのだろう。
車体番号は読み取れる状態で残っており、ワム66171であることがわかる。
錆がやや広がってきているがまだ腐食して崩れそうというほどではない。
手すりにはブレーキを示す白い色が残っている。
その他の表記はほとんど読み取れないが鷹取車で昭和53年に最後の車検を受けたようだ。
検査表も最後の日付は53年からになっているので車検を取ったもののあまり長く活躍せずに廃車となったのだろう。

撮影場所 石川県金沢市
撮影日 2013年02月12日
  1. 2013/02/17(日) 21:03:17|
  2. 廃車・廃コン
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二塚貨物 その4

20130216futatsuka005110.jpg

3084レ

編成
↑高岡
DE10 1531
コキ51814(なし)
コキ52392(なし)
コキ52619(なし)
コキ50977(なし)
コキ51159(19D、無、V19C、無、19D)
コキ52940(19D、19D、19D、V19A、19D)
コキ50745(V19A、19D、V19A、19D、19D)
コキ51343(19D、19D、V19A、V19C、19D)
コキ50316(なし)
コキ50980(なし)
↓二塚

空の車両が多い。
土曜日だからなのだろうか。
この日は吹雪が激しく、撮った写真のほとんどがダメになっていた。

撮影日 2013年02月16日
  1. 2013/02/16(土) 22:09:46|
  2. 貨物
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高岡貨物 その3

20130215takaokakamotsu1.jpg

2096レ

編成
↑高岡
DE10 1531
コキ107-509(UT8A、19D、UT11A)
コキ106-992(20B、20B、V19B、19G、UR18A)
コキ107-408(無、無、UR18A、無、無)
コキ106-846(なし)
コキ50980(19D、19D、UR18A、19D、19D)
コキ50316(19D、UR19A、UR19A、UR19A、UR18A)
コキ52757(無、無、V19B、無、無)
コキ50781(30A、20B、19D、V19C)
コキ52136(19D、19D、19D、19D、19D)
コキ51284(19G、19G、19D、19G、19D)
コキ51002(V19B、19D、19G、19G、V19C)
コキ51041(19D、19D、V19C、19D、19D)
EF81 633
↓高岡貨物・富山貨物

高岡貨物発最終便。
ゆえに若干貨車の数が多い。
車種も新しくコキ50000の淘汰を感じさせる。
解結途中のため若干ピントが奥まっている。
そして写真を撮り終わるまで横で待ってくれる貨物の人たち。
迷惑なことです。


20130215takaokakamotsu2.jpg

列車はDE10を切り離すとEF81にバトンタッチする。
この後1089列車として富山貨物まで行く。

撮影日 2013年02月16日(すべて)
  1. 2013/02/15(金) 21:12:14|
  2. 貨物
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北陸鉄道能登線柴垣駅跡

かつて国鉄七尾線羽咋駅から分岐し、能登半島の西海岸に沿って走っていた北陸鉄道能登線。
現在はその大部分が自転車道として整備されている。
駅舎などの構造物は現存していないが、路線をたどることは容易い。
車輛はすべて解体譲渡されており、一両のみ復元され大宮の鉄道博物館へ収蔵展示されている。
が、復元は元国鉄気動車のため北陸鉄道時代の面影はない。


20130211shi2.jpg

北鉄能登線のうち路線の海沿いに位置していた柴垣駅。
夏場は多くの海水浴客でにぎわったとされる。
サイクリングロードを終点三明駅方面に向いて撮影した写真。
後ろのほうには全国の海沿いどこででも見られる民宿なぎさという建物があるが、その手前の少し広い跡地が駅跡のようである。
休憩所としてトイレがある。
かつての柴垣駅には駅舎があったため、ある程度広い敷地を持っていた。


20130211shi3.jpg

カメラを逆方向羽咋方面に振ったところ。
右手が海で左手には漁業関係の施設がある。
かつてこの駅には国鉄から海水浴用の臨時列車が乗り入れていたためホーム長が長かったとされる。
このあたりの直線はそのためではないだろうか。
周囲を歩いたものの廃止から40年と少し、すでに痕跡など何も残っていなかった。


20130211shi1.jpg

上記二枚の写真を撮影したのはちょうどサイクリングロードを跨ぐ道の上からで、その道を歩くとすぐ海である。
このアクセスの良さなら海水浴にはかなり便利であったろう。
羽咋方面を撮影したもので右手奥が長手島。
かつて柴垣海水浴場を名乗っていたが、現在は夏季でも羽咋市から監視員が派遣されず、海水浴場ではなく柴垣海岸となっている。
崩れかけたボート小屋や建物を撤去した土台などが寂しさを感じさせた。
冬の能登はこの殺風景さこそが魅力であると思う。

撮影日 2013年02月11日(すべて)
  1. 2013/02/14(木) 21:39:37|
  2. 廃線など
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ワキ10174

20130212waki.jpg

とある造園業者と思しき敷地の端に鎮座する国鉄貨車ワキ10000型。
高速貨物用として開発されたが、需要の低下から国鉄時代末期からすでに活躍の場は少なく現在は形式消滅している。
ワキ5000などと比較すると製造数が少ないため、見かける機会は少ない。
この個体は屋根にプレス構造の垂れ木のつく後期型。
最終番号が190なため、かなり後期に製作されたものだと思われる。
場所は道路沿いであるが、道路側には木があり、ツタが絡みついているため中々とっさにはわからない。
妻面に真新しいサッシ窓があるため、倉庫や事務所として使用されていると思われる。
特筆されるのは表記がかなりきれいに残っていることで、銀色の側面には形式のほか車検や所属表記なども残る。
ウグイス色の妻板面も錆による腐食はひどいというほどでもない。
ただし、こちら側の面からはツタに邪魔されて詳しく把握することは難しい。
大阪管理局の「大」の文字と梅田駅常備の書き込みが見える。
車検は昭和60年3月より63年3月まで鷹取工場の物。
なぜか62年9月という表記を棒線で消して上に63-3と書き直されている。
最終検査は60年3月で次の期限も61年3月を消して9月に書き換えられている。
両者に入れる数字を間違えたのか。
ちなみに面を示すC1、C2という表記も棒線で消され逆にされている。
車籍抹消線とはまた別の物なのだろうか。

撮影場所 石川県七尾市
撮影日 2013年02月12日
  1. 2013/02/13(水) 22:23:04|
  2. 廃車・廃コン
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ワム188187

20130212wamumattou1.jpg

田んぼの真ん中にぽつんと置かれている貨車。
おそらく物置として使用されていると思われる。
元は国鉄有蓋貨車ワム80000量産最後期型で足回りが外されダルマ状態である。
台車の場所にコンクリートの塊が置かれ、それが土台代わりのようだ。
元はとび色なのだが、妻板と一面は白く塗られ、もう一面は写真のようにファンシーな絵が描かれている。
といってもペンキはずいぶん褪せ、遠目では何が書いてあるかどうかわからない。
近くには幹線道路があるため、その進行方向のみ見えるように絵を描いたのだろうか。
他の面は白いペンキで塗られているようだが、塗りが薄く元のとび色が透けている上、錆が浮き出して奇妙なまだら模様になっている。
表記のあった看板類もひどく朽ち果て、長い間手入れがされていないことがわかる。
車体番号はこちら側から確認できないが、写真と反対側を望遠で狙うと浮き出たペンキから番号が確認できる。
特筆されるのはこの貨車が松任工場の物だということである。
反対側には朽ちて割れているものの松任工場という文字が読み取れるプレートが張られている。
下にもう一枚小さなプレートがあり読み取れはしないがおそらく配給車代用と書いてあったのではないかと推測される。
ただ、配給車代用は大抵白帯が巻かれるが、この車体にそれらしき跡はない。
最初からなかったのか、それとも塗装が消えてしまったのだろうか。
最後の検査日は読み取れないが、鷹取車で昭和57年から61年までの印があるため、ヤード廃止時の大量廃車の際一般貨車と一緒に売却されたのではないだろうか。
だとすれば、配給代用車になった割には長生きしなかったことになる。

撮影場所 石川県金沢市
撮影日 2013年02月12日
  1. 2013/02/12(火) 22:37:14|
  2. 廃車・廃コン
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UM12A-105121

20130123.jpg

UM12Aは私有無蓋コンテナである。
無蓋といっても一応幌のような形の物がついているので、無蓋貨車のようなものとは少しイメージが異なる。
UM12Aは所有する会社や用途により色が異なる。
このUM12A-105121は同和通運の所有。
黄緑色の塗装を纏う。
総重量12.6トン。
分かりにくいが上部には架線注意のステッカーが貼られている。
金沢貨物にて。

撮影日 2013年01月23日
  1. 2013/02/11(月) 04:32:58|
  2. 貨物
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北陸本線新田道踏切

20130131fumi4.jpg

北陸本線倶利伽羅~石動駅間の倶利伽羅駅近くにある踏切が新田道踏切である。
倶利伽羅駅を出発し石動駅に向けて走る列車が最初にわたる踏切だ。
踏切高さ4.5m、冬期間は封鎖という代物である。
ちょうどこの場所のあたりで旧北陸本線は現在の北陸本線を南から北へと跨いでいた。
写真の線路向こう側はほとんど人道だが、小型特殊を除くという表記がされている。
警報機と遮断棒が一体化された踏切警報機が少し線路寄りにあるが、手前の車止め柵の横にも踏切用の看板がある不思議な形式の踏切である。
線路に並行して道が沿っているが、かなり通行量が少ないためか旧来のLED式の警報器である。


20130131fumi7.jpg

この踏切には「金鉄局」すなわち金沢鉄道管理局の文字が入った看板が現存している。
「危ない 止まれ」ということのようだが、「危ない」の周囲の赤い塗装は剥がれたのか薄くなっている。
この看板の下には冬期間封鎖のお知らせの看板もあるが、そちらはJR西日本金沢保線区の名義になっている。

撮影日 2013年01月31日(すべて)
  1. 2013/02/10(日) 23:13:10|
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EF81-725

20130208ef81725.jpg

国鉄交直流電気機関車EF81-725。
元EF81-125号機で600番台付番されて725号機となった。
昭和49年三菱の製造。
昭和50年の湖西線開業に合わせて増備されたグループの一派である。
製造当初からブロック式のナンバープレート。
初期量産車と比べると前面がややすっきりしたような形に。
スカートのグレーが新しく塗装されてまだ時間がたっていないのだろう。
前面と側面でやや色が違うように見える。
高岡駅にて。

撮影日 2013年02月08日
  1. 2013/02/09(土) 23:26:01|
  2. 未分類
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倶利伽羅駅下の開渠

20130131001.jpg

倶利伽羅駅の下には先日書いた(リンク)広畑開渠のほかにもう一つトンネルが存在する。
トンネルは倶利伽羅駅より石動寄り、ホームの下にある。
これは8号線の横から山側に向けて北陸本線を撮影した写真。
この位置からだと、トンネルの入口を把握することは難しい。


20130131002.jpg

トンネルの入り口は田んぼの下にある。
このあたりは北陸本線の新線が開業するまでは同じく田畑であった。
新線が開業するにあたってトンネルを延長した際にこんな深い場所になってしまったのだろう。
雪に足跡は少なく、あまり使用されていないことが伺える。


20130131003.jpg

入口。
コンクリート製で背はかなり低い。
こちら側の入り口から先は函渠になっている。
雪が入らないことからかママサンダンプが置かれている。
近所の農家の物だろうか。
しかしこのあたりが除雪されている風には見えない。
函渠内には側溝が設けられている。


20130131004.jpg

中はかなりじめじめしている。
函渠は途中でアーチになる。
この場所がおそらく旧線のトンネルの出口だろう。
トンネルは途中外に出ることはなく、そのまま新線用の函渠を旧線用のトンネルにつないでいる。
やや、左右にずれがある。


20130131005.jpg

山側の出口。
トンネルはかなり低い位置にあり、築堤の下を通る。
トンネルが線路の開通後に作られたとは考えにくいので、倶利伽羅駅が駅になる前からこの長さで存在していたのだろうか。
側溝の蓋はかなり劣化していてぼろぼろだ。


20130131006.jpg

アーチを拡大。
トンネル内部を含めイギリス積みである。
アーチの上の部分はかなり劣化しており、その上の部分の積みとはやや煉瓦の色が異なり劣化具合も違う。
後になってから継ぎ足したことはないと思うが。
水を防ぐためか少し張り出したような形になっている。
さらにその上にはコンクリートの壁がある。
築堤を抑えるためにあるのだろうか。
レンガアーチの雰囲気は落ちらのトンネルのほうが良いように感じられる。

撮影日 2013年01月31日(すべて)
  1. 2013/02/06(水) 23:50:36|
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高岡貨物 その2

20130130takaokakamotsu.jpg

2093レ
編成
↑高岡貨物
DE10 1541
コキ50981(19F、V19A、19D、19D、19D)
コキ52134(19D、19F、V19C、19D、19D)
コキ51109(19D、19D、20B、19D、19D)
コキ50925(V19C、19D、19D、19D、19D)
コキ50117(19D、19D、19D、19D、19D)
コキ53103(19D、V19C、19D、19D、19D)
コキ52039(19D、19D、UR19A、30A)
↓高岡

高岡駅中線でDL連結直後の姿。
余り面白みのない編成に30AとUR19Aがちょっとしたアクセントになっている。

撮影日 2013年01月30日
  1. 2013/02/05(火) 22:24:28|
  2. 貨物
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金沢駅5番ホームの号車案内

金沢駅の特急乗り場案内は通常ホーム上に吊り下げられた、もしくは電光式の号車札で行われるものがほとんどである。
しかしホーム端にはなく地面に書かれたものが使用されている場合もある。
なかには現在使用されていないものも含まれる。


20130201kanazawa1.jpg

5番ホームにある急行きたぐに用10号車の案内。
先の発表で臨時きたぐにの運行は取りやめが決まったのでもう二度と使われることはないだろう。
この案内の書かれている地面はやや盛り上がっているようである。


20130201kanazawa2.jpg

5番ホームにある特急9号車の案内。
北越、白山、白鳥の文字が読み取れる。
3番目は雷鳥のように見えるが越という文字も読み取れるので加越の上に書き足したのだろうか。
現在は加越、雷鳥、白山、白鳥ともに廃止された。
北越も9両編成で運行されることはない。
そのためか白鳥の文字は別の表記の下敷きになっている。


20130201kanazawa3.jpg

こちらは臨時特急10号車という表示。
5番ホームの富山方先端は切り欠けホームの4番線の裏側となるため、4番ホームの5番側は列車が来ないため近年ゼブラ塗りがされるようになった。
その上から表記が書きなおされているということは今後も使用されるということだろうか。
特急9号車という表記も同様に上から塗りなおされている。
特急11号車という表記はほとんどゼブラ塗りの下敷きで塗りなおされていないことから、一応差別sれているようだ。

撮影日 2013年02月01日(すべて)
  1. 2013/02/04(月) 21:47:43|
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北陸本線広畑函渠

北陸本線倶利伽羅駅を出て左へ歩くと、左手にレンガ造りのトンネルが現れる。
道は舗装されておらず雪もあってずいぶん泥濘になっているが道は倶利伽羅駅のホームをくぐって向こうまで続いている。
これが広畑函渠(かんきょ)と一連のトンネルである。
倶利伽羅駅の下には都合トンネルが二つあるのだが、これはその一つである。
倶利伽羅駅は明治41年に信号所として開業し、翌年正式に駅となった。


20130131hiro1.jpg

まずはじめに見えるのがこのレンガ造りのアーチトンネル。
上部分はコンクリートで補強され、経年を物語る。
おそらくこの駅が設置された明治時代当時の物であろう。
小さなレンガと大きなレンガの断面が交互に重なるイギリス積みである。
これは海側を向いて撮影した写真である。


201310131hiro3.jpg

さて上の写真のアーチトンネルをくぐって山側を見た写真。
アーチトンネルは1線分で終わり、次のトンネルは厳密にはトンネルではないものになっている。
レンガの組み方は同じイギリス積みで、色具合もアーチトンネルと似ているようだがこちらはトンネルではない。
天井部分はコンクリートの板が置いてあるようだ。
どちらかというとコンクリートの板は後年置かれたもので、初期はガーター橋が置かれていたのではないかと推測できる。
疑問なのは開業当初から信号所であったということは最初から2線あった筈なのになぜ形式が違うかということであるが、北陸本線、当時の北陸線の金沢高岡間の開業は明治31年なので、倶利伽羅駅開業まで約10年この場所には駅がなかったが線路はあったということになる。
とすれば、アーチのほうは開業時のもので橋台のようなこの構造物は信号所になった際に設置されたとみるべきだろう。
あるいは逆だったのかもしれない。
いずれにせよこの構造物とレンガアーチのトンネルは約10年の開きがあるということのようだ。


20130131hiro2.jpg

そして上記の橋台のようなレンガの構造物をくぐり、海側へ歩くともう一つアーチトンネルがある。
これは山側を向いて撮影した写真である。
先述二つの構造物と違い、明らかにコンクリートで施工されている。
とすれば、コンクリートの構造物が作られるようになった時代に増設された線路ということになるだろう。
先述のレンガトンネルよりやや線路用の幅は広く、道のスペースも広がっている。
が、逆に高さは低くなってしまったように思える。


20130131hiro5.jpg

これらの構造物は倶利伽羅駅の現在のホームから見ることができる。
三つのトンネルはかつての北陸本線旧線の遺物で、現在は上に線路がない
転落者を防止するため柵が取り付けられている。
かつての北陸本線は現在の北陸本線倶利伽羅駅よりもやや高い位置にあったようで、倶利伽羅駅から左の石動方向へ行くと築堤がだんだん高くなり倶利伽羅駅が見えなくなる。
なお、倶利伽羅トンネルの開業は昭和30年で、これより新路線が使用されるようになった。
この三つの構造物はその時にお役御免となったのであろう。
同時に現在のホームになったようで、倶利伽羅駅のホーム上待合室には昭和30年の財産管理票がある。


20130131hiro4.jpg

そしてコンクリートアーチトンネルを抜けてさらに歩き、現在の北陸本線をくぐって山側を見た写真がこれである。
記事タイトルの広畑函渠はこのことを示している。
函渠はボックス状の水路などに用いられる言葉のため、アーチトンネルには本来該当しない。
なぜこの函渠の名前がわかるかというと、親切に看板があり「広畑(ヒロハタ)函渠」と書いてあるからだ。
看板にはこの函渠にぶつかったりぶつかっているものを見つけた場合は速やかにJRへ通報するように書いてある。
実際この函渠は明治時代のアーチトンネルよりさらに低く、高さは2メートルあるかないかでおまけに地面はひどくぬかるんでいる。
現在の北陸本線は旧線より低いため、最初からあるトンネルに合わせてこの高さになったのだろうがあまりに低すぎる感がある。
トンネルは上に本線が二線と昔の待避線(現在は片面のみの留置線)とホームがあるため段違いに長い。
暗くて狭くて圧迫感が蟻おまけにじめじめしているので夜中には絶対に通りたくない。
海側の出口には写真にあるようトンネル入り口にレールが横たえてある。
高さ制限のつもりなのかわからないがかなり古びたレールで錆でボロボロだ。
右側には国鉄の境界杭が見える。
看板には「広畑」に振り仮名が振ってあるが、どう見ても「函渠」のほうが難読である。


20130131hiro6.jpg

おまけであるが広畑函渠を抜けて海側へ歩くと道は右側にそれていく。
途中で枝分かれし左側に行くとまた函渠がある。
これは8号線の倶利伽羅バイパスの函渠。
やや道は竹藪に浸食されつつあり、地面には雪が積もっていてしばらく誰も歩いていないようだった。
足が痛くなったので断念して引き返すこととなった。

この場所はかつて山と田んぼで、8号線ができて視界が悪くなったものの昔と大して変わらない。
集落は駅側にあり、田んぼへ行くには線路を渡らねばならないのはわかるがなぜここまで立派なものを作ったかは少し謎である。
もう一つ立派なトンネルがあるのだがその話はまた今度。

撮影日 2013年01月31日(すべて)
  1. 2013/02/01(金) 16:37:51|
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